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日本全国、大人のバカみたいな危険な祭りが多すぎると思いませんか?
昨日も祭りで2人の方が死にました。
大の大人が一体何やってんの!?
危険な遊びをする子供に注意出来ないだろ
って思うのは私だけでしょうか?
私は、見物人も含めてアホちゃうかと思ってます。
あの人達は、祭りで死ぬのは本望なのでしょうか?
本望でなければ死んだ2人はアホということでしょうか?

A 回答 (9件)

反対意見が多いようですが、


私はikariyabooさんに同意します。

危険なスポーツは、ヘルメットかぶったり、ドクターストップがかかったり、命綱をつけたり
と一応安全を考慮しています。
祭になると、シートベルトをつけておみこしに乗る人はいないだろうし安全に配慮しているとは
思えません。

もし、友人や家族が祭で死んだら私はずっとその祭を恨むと思います。
でもスポーツで死んだらそうは思わないかも。
何でって聞かれてもよくわかりませんが。。。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
私は危険と隣り合わせの仕事をしてますが、
それで死んでも本望なので納得出来ます。
スポーツ選手等もそうだと(本望だと)思います。
ただ祭りごときで死ぬのはアホだと思います。
反対意見の方は例え方が無理矢理すぎ。
見物客で身内が死んでも同じこと言えるのかな?

お礼日時:2010/05/12 06:32

高層ビル建設とかトンネル堀りとか林業とか止めるべきかな?



人類は高層ビルやトンネルや危険な林業が無くても生きていけるのに人間はそれをやっている。人生において必要ないもの。昔の人はビルやトンネルが無くても生きていた。林業が無くても生きている人たちもいる。人生を楽しく豊かに過ごしたいというだけでそういう危険を犯している。

野球なんてあんな硬いボールを時速100kmを超えるスピードで打者方向に投げるんだから危険すぎる。
サッカーなんて人と人がぶつかるんだから危険。
水泳やヨットやスキューバーなんて日本だけでも海で毎年何十人もおぼれるんだから危険中の危険。
車の交通事故死者は毎年数千人。毎年数千人も死んでいるのに休日に車で外出するなんてアホかな。
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>私だけでしょうか?



あなただけです。
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世界にはもっと危険な祭りがある。

でも人間はそれらの祭りを神聖なものとし、時には神への捧げものとして連綿と継承してきた。そこに何があるのか。人の死よりも崇高なものがある。たたえ、畏れるものがある。だから祭りは続く。
軽薄に人のことをアホアホ言っている間は、あなたには永遠にわからない。わかりたくもないでしょうけどねwwww
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小利口で小心者の小市民。


あなたはこういうタイプの人間ではないですか?

部屋にこもってネットやゲームばかりしているのがお似合いですよ。あなたには・・・。
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 危険な状態ほど神に近づけるのでしょうか?修行の場でも命を危険にさらすことで得る物が有るようです。

命そのもの力を知っているからかもしれません。
 日本に限らす、世界中にあります。危険な祭りは。
 イッテQという番組で世界の祭りを紹介していますが、安全な物から危険な物まであります。

 人間は適度な恐怖感が必要な生き物なのかもしれません。脳科学的にも脳が要求しているとも言われる学者も居ます。

 今回の二人の事故は生け贄だったのかもしれませんね。人柱のような。 まぁ本人達は本望かもしれません。危ないことは知っているはずですから。

 人類は危険にチャレンジしてきた生き物です。今あなたの住んでいる場所に人類が到達したのは危険な事を乗り越えてきた人類が居たからです。危険の中に神を見続けたのかもしれません。
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最初に聞きますが、あなたの中ではある程度危険が伴うものに参加して死んだら「あほ」という基準ですか?


具体例では格闘技の試合で亡くなる人もいます。ボブスレーなどのオリンピック競技ですら死者が出ました。また、カーレースなどでも亡くなる人はいますし、普通に運転していても事故でなくなります。手術でもなくなりますし、祭りに見物に来た方でも亡くなる事件もありましたね(足場が崩れたとか花火の失敗に巻き込まれたなど)
また、死ぬ気はなくてもテンションがあがって注意力がかけていてなくなることもありますので一概には言えません。
「なにも危険なことを祭りにしなくてもいいだろう」といいたいのでしたら、その地方としての言い分があるのでしょうし、何より安全策は取ったという回答がほとんどだと思います。
不慮の事故に対して冗談でも馬鹿にする権利はないと思いますがどうでしょうか?やめておけばいいのにと思うことには共感はできますが、実は全国にこのような危険な祭りは結構残っています。もちろん十分な安全策をとっているのですが不慮の事故は付きまとっていることも事実です。人の自己責任ということもあるので一概に判断できません。私は理解はできても感情が納得しないでいいと思います。
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「自分の感性では理解できないもの」だからと言って否定することを偏見と言います。



先の回答にもあるようにボクシングもそうですし、スカイダイビング、パラグライダー、自動車レース・・・・事故と危険がつきもののレジャー・スポーツは多数あります。
それらすべてを否定するならまだわかりますが、祭りだけを否定されても「それはだだの偏見です」としか言いようがありません。
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それを言ってしまうと、「大の大人が殴り合うボクシングなんて、危険だし、残虐で子供に見せられない。

ボクシングする人は馬鹿じゃないの?」とか、「いい大人がよく調べもせず、何人も山で死んでる。遭難して大勢の人に迷惑までかけている。子供に申し訳ないと思わないの?登山する人って馬鹿じゃないの?」とか、「いい大人がボール遊びして、1年に何人か死んでる。野球する人は馬鹿じゃないの?」とか、馬鹿な人だらけになってしまいますよ。

人間、合理的な考えだけでは生きていけません。
人生に潤いを持たせるためには娯楽が必要なんです。
そして、娯楽に合理性はなく、ただ不合理だけが集まっています。
伝統行事も趣味も根っこは同じで、不合理が集まった娯楽に過ぎません。
娯楽に合理性を求めるあなたの考えは、おそらく理解を得られないでしょう。
まぁ、あなたの娯楽を私が理解することはできないと思いますが(何となくそう思います)、私はあなたの娯楽を否定しませんよ。
もっとおおらかな心を持ちましょう。
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