街中で見かけて「グッときた人」の思い出

友達に相談しても
わかってもらえない気持ちを相談します。

数年前ある日、突然仲良しが亡くなりました。

私は、自分が何も出来なかった事を
すごく後悔しました。

それ以来、どの人に会っても
もしかして、もう二度と、会えないのではないか?
と内心、常に不安になってしまいます。

前は、そんなに何も考えず、自然体で接していたのですが
今は、自分を押し殺して、まずは人に合わせてしまいます。

もし、会えるのが最後なら、自分の事よりも全力で
相手に優しくしないと、と思います。
もう、瞬間でそう反応してしまうのです。

でも、やっぱりすごく疲れてしまう時があります。

昔のように、自然に接するには
どうしたらいいのでしょうか?

A 回答 (3件)

辛い経験をされましたね。


私も数年前、2人続けて友人を亡くしました。棺桶の中に眠っていた友人たちの顔と、葬儀場の独特の香り…今でも、昨日のように思い出すことができます。

私自身は一人っ子で、いわゆる兄弟間バトルをやった経験がないことから、
「相手に気に入られないと、もう遊んでもらえないかもしれない。」という不安感を、幼稚園あたりからずっと持っていました。

友人の死によって、確かに『 いま目の前にいるひとと、もう会えないかもしれない。 』という気持ちは持ちましたが、
質問者さまのように、相手に合わせなければ…という気持ちまでには至りませんでした。
まぁ、学生時代に、だいぶ他人に合わせて、既に疲れていたからかもしれません。

疲れる原因は、「自分が無理をしているから」です。
“よい”と思っていないものを“よい”と言い、自分の心に嘘をついて、心理的な負担をかけているからです。

こんな方法があります。
自分の立場や意見はそのままに、相手の立場や考え方を、
「初めて分かったことだから詳しく知りたい」
「自分と違うから教えてほしい」
「興味があるから聞かせてほしい」などと、好き嫌いや是非の判断はせず、下手(したて)に出て、“教えてもらう”スタンスで訊きます。
相手も、いやな気持ちにはならないはずです。
…むしろ、ずっと相手に合わせ続けていたことがばれたときのほうが、お互いに気まずくなるでしょう。

率直に言ってしまえば、
「自分の意見を殺してまで相手に合わせる」のが、優しさではないと思います。
相手と意見が違っても、相手をおとしめない限り、ちゃんと意見を言い合って、最後は「きみのおかげで、○○に気づけたよ。ありがとう。」と言って終われるのが、いつ相手と別れることになっても、後悔のない付き合いかただと思います。
そのひとが生きている証…つまり、そのひとの人生から導き出された人生哲学を受け止め、それによって、お互いが多少なりとも変容していくこと。
人間社会でも、それが基本ではありますが、短くて濃い時間の中でそれができれば、他人を大切にすることにつながっていくと思いますよ。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご自身の体験を書いて下さり、わかりやすくアドバイス下さり、どうもありがとうございました。
「自分の意見を殺してまで相手に合わせる」のが、優しさではないと思います。
」の1文、目からウロコでした。
私はそれまで、他人に合わせると言う事を、しっかり意識して、した事がありませんでした。
なのでなおさら、ここ数年、すごく意識して、ぐっと自分を我慢してしまいます。
少しずつ、前のように自然にふるまえるよう、思考錯誤しようと思います。
本当に、ありがとうございました。

お礼日時:2011/02/07 20:57

3人の知人の死を同時期に知った時、喪失感におそわれました。



でも、時間が経つにせよ、彼らのことは辛くならなくなりました。

人の出会いは一期一会です。

でも、自分を殺してまで一生懸命に相手につくさなくてもいいんですよ。

死と言う別れは質問者様にとても辛い経験ですね。

わたしは、3人の知人が自分に学びをくれて天国に旅だったと気づきました。

お友達から何か「学び」はなかったですか?

なんでもいいんです。

質問者様の友達はこれを伝えて天国に旅立ったんだと思えるように祈ります。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。
学び。。。考えてもいませんでした。
自分がしてあげられなかった事ばっかり考えていました。
もう2度と会えないのに、何も出来なかった自分が本当に本当に最低だと思いました。あれをしてあげれば良かった、こう言えばよかった、後悔ばっかりでした。
私に何を伝えたかったんだろう?
考えてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/02/07 21:11

お友達を亡くされた事はとても悲しく辛いことでしょう。



私も数年前 身近な人を突然亡くしました。その悲しみは未だ消える事はなく、もっとああしとけばよった こうしとけばよかった と後悔の念に苛まれてばかりです。

大切な人を突然なくしたことによって私も質問者様と同じように、今 目の前にいる人と会えるのが今日で最後だったら・・・ はたまた 自分自身に明日は来るのか とか考えてばかりいました。
でもそんな事に一々神経質になっていたら生きていけませんよ。

人には誰でも生まれ持って寿命というものがあって 一度の人生を精一杯生きる 今日も無事に過ごせた事に感謝しよう

人を大切に思う気持ちは大事だと思います。でも相手を思うがばかりに自分自身がつかれきってしまうほど過敏にならないで 考えすぎないで下さい。

今はお友達を突然亡くされたという現実が ご自身をそうさせているのだと思います。

時が経てば もっと楽に考えられるようになれると思いますよ。

お辛いでしょうが、お友達のご冥福を祈ってあげてくださいね。
 
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この回答へのお礼

ご自身体験も踏まえ、アドバイスをどうもありがとうございました。
お友達の死への悲しみは、おっしゃいますように時によって少しづつ、楽になってきたように感じています。毎日泣く事もしなくなりました。
ただ、私の悩みの場合、日々の対人関係の中、無意識に瞬間で繰り返しているので、時が経っても楽になっていかないような感じです。
なので毎日ちょっと苦しいです。

お礼日時:2011/02/07 21:04

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