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知人から、宮崎県高千穂にある「高天原神社」のことを聞き、是非訪れてみたいと思っています。

しかし、インターネットで調べても、「高天原神社」という神社は出てきません。

高天原神社というのは、高千穂神社・天岩戸神社・くしふる神社などがある辺りのことを
総称して呼ばれているのでしょうか?

また、調べているうちに「高天原遥拝所」という言葉が出てきましたが、
そのことでしょうか?

それとは別に、「高天原神社」という神社があると思っていたのですが、
熊本県の幣立神宮も高天原発祥の地という記事もあり、
調べれば調べるほど分からなくなってしまった次第です。

こちらで教えていただければと思い、質問させていただきました。

どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

探したら、、


霞権現高天ヶ原神社っていうのは出てきましたけど、どうなんでしょうね。
高原町ですしねぇ。
http://www.lococom.jp/tt/24530164230/

ただ、高千穂で霊験あらたかで有名な神社とすると
やはり「天岩戸神社」とその奥にある「天安河原神社」になると思いますよ。

「たかのあまはら」と「あまのやすがわら」を聞き間違えた可能性はないでしょうか。

天安河原は天岩戸に天照大神が隠れてしまった際に八百万の神が集まり会議をした
場所なので、パワーが強く霊感が強い人は近くに寄れないそうです。

前宮崎県知事のそのまんま東さんも、天安河原で神の声を聞いて宮崎県知事戦に
立候補したとブログで書いていました。

ちなみに高千穂は宮崎県ですが、空港を使うなら熊本からのほうが近いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「たかまがはら」と平仮名でも書いてもらったので、
聞き間違いではないと思うのですが・・・。

また、「高天原神社」で検索すると、いくつかヒットもしますし
google Mapでも該当箇所が出てくるのですが、
その場所を画像で見ても、神社らしきものはないので、
実際に高千穂を訪れても辿り着けなかったら・・・と不安になり
質問させていただきました。

でも天安河原神社もすごそうな神社ですね!
もし高天原が見つけられなくても、天岩戸と天安河原は
訪ねてみようと思います。

どうもありがとうございました!

お礼日時:2011/05/07 21:14

高天原は天孫降臨の時に天照大神様の孫がこの世界にこられた場所一体を指します。

神社は天津神と国津神の神社があります。先に回答されている方の神社は国津神の神社です。これから先の神社は天津神の神社で天岩戸に隣接し、霊感の強い方は近づく事ができません。これらの場所には神社の神殿はなく祠があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「場所一体を指します」ということは、やはり「高天原神社」という名称の神社は
存在しないということですね!

知人から「高天原神社に行っておいで」と言われ、それ以上に詳しい説明はなかったので、
てっきり「出雲大社」や「伊勢神宮」のように、名前そのものの神社があるものと
勘違いしておりました。

先の回答者様の「天岩戸神社」と「天安河原神社」が国津神系で、
それより先に隣接する神社が天津神系であり、
それらの神社周辺一体が高天原である、という理解で大丈夫でしょうか?

教えていただいたことを頭に入れて、実際に行ってみたいと思います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/05/08 18:28

No.1です。



天岩戸神社も天安河原神社も天津神ですよ、というか天津神の象徴みたいな神様ですけど。

簡単にはご説明すると、「津」はいまでいう「の」にあたります。

ですので今の表現では天津神は「天の神」、国津神は「国の神」です。
イザナギ、イザナミから始まり
イザナギが川で御祓をした時に左目から天照、右目から月読、鼻からスサノウが生まれるなど
しますが、これらの神様は高天原という天の国に住んでいました。
No.2の方のお話は全部は理解できないのですが
高天原が地上にないのは、高天原が天にあるからです。

天にいたので彼らが天津神と呼ばれます。

そして天照の孫のニニギの命が天孫降臨と言って、5人の随伴の神様とともに
初めて地上に降りてきます。この天孫降臨の地が高千穂です。
ちなみに5人の随伴した神様の1人である
アメノコヤネノミコトが私の祖先で、アメノコヤネノミコトからの家系図が家にあります。

ニニギが天孫降臨で地上に降りてきましたが、地上にはすでに地上の神様がいました。

それが国津神です。
出雲大社の大国主命が国津神のトップでした。
はじめは天津神と国津神でもめるのですが、
大国主命は、大きな家をくれたら地上を天津神に譲り渡すという条件を出し
その時に渡された大きな宮が出雲大社です。
ちなみにニニギの命は国津神と結婚しており、それがコノハナサクヤヒメです。
また二人の子供が海幸彦、山幸彦になり、
海幸彦の子孫が今の天皇家、山幸彦の子孫が南九州にいた隼人になりました。

上記の話は古事記や日本書紀に出てきますが
古事記の方が面白いです。とても書ききれないので省きますが国津神にも一寸法師のモデルの
スクナビコナや天照と対比される神である下照姫などなどたくさんいてなかなか面白いストーリーになっています。
漫画もありますから読んでみられても良いかもしれません。

歴史的には大和王権が信奉した神が天津神、大和王権に滅ぼされた民族が信奉していた神が国津神だろうと研究されています。
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この回答へのお礼

再び教えていただきありがとうございます。

なるほど、そういうことなのですね。
拝読している間にすごく引き込まれてしまいました。

ぜひぜひ古事記を読んでみたいと思います。

実は高千穂の神社巡りをする次の週に、
出雲大社に行く予定だったので、
こんなに近い間隔で天津神様と国津神様を参拝しても
大丈夫なものかと不安に思っていたところだったんです。

でも拝読すると、両神様は和解されているようなので安心しました。
度々のご回答、誠にありがとうございました。
とても感謝しています!

お礼日時:2011/05/11 22:48

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