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終戦直後という時代背景が影響しているのでしょうか、
大谷の内縁の妻「私」に対して
投げやりな印象を受けました。
大谷や自分の息子を非常に熱愛しているようにも
思えませんし、座布団位、いくら貧乏でも穴があけば
繕うだろうに、穴のあいたまま、客に差し出す。
夫が女性と一緒であろうと気にならず、また、見知らぬ男を泊め、明け方には
簡単に身を任せるところなど、彼女には強い虚無感が
漂っているように思えました。
 そんな彼女の感性を考えると、作中の以下の文に矛盾感を感じてしまうのですが、
私の読みが根本から、間違っている為でしょうか。

「金も出来たし。」
 と客のひとりが、からかいますと、ご亭主はまじめに、
「いろも出来、借金も出来、」と呟き、それから、ふいと語調をかえて、「何に
しますか?よせ鍋でも作りましょうか?」
 と客にたずねます。私には、その時、或る事が一つ、わかりました。
やはりそうか、と自分でひとり首肯き、うわべは何気なく、お客にお銚子を
運びました。

ここの、「いろも出来、借金も出来」と言う亭主の言葉ですが、直ぐに、
「いろ」とは、亭主の妻が大谷と愛人関係であったと、分かりますか?
 
ということは、大谷の内縁の妻は実は非常に感性豊かであることになります。
でも、全体から漂ってくる内縁の妻には、それが感じられません。
 私の読み方の欠点をご指摘して戴ければ幸いです。

 

A 回答 (1件)

うーんと。

文学の読み方は人それぞれだと思うんです。
正解があるのはテストの読解問題だけです。

私ならこう読みます。

妻は虚無的になっているというよりも、
まだ若い美空で夫の放蕩と貧困、病気の子を抱える生活に疲れ果てて
何も感じなくなってしまっているんじゃないかなと。
現代ならさしづめ、軽度の鬱状態と診断されて休養を勧められるでしょうが、
この時代この階級の女にそんな余裕はありません。

夫と違って庶民階級に生まれついた妻は表面を取り繕う必要もないので、
穴あき座布団を出すのにためらいはありませんし、
そこにはうわべばかり上品な夫への復讐の気持ちもあったのかもしれません。

題名の「ヴィヨン」がどんな人物だかご存知ですか?
ルイ7世の時代のパリで、放蕩と無頼で鳴らした詩人です。
泥棒の王様でした。

ある夜突然、夫が「泥棒」であることを知ってしまった妻は、
さらに夫が他人の妻をも盗む「泥棒」だったことも知ります。

なぜ気づいたかって、そこは、子までなした女の勘ですよw
っていうか、その前段にある、
どんな女も華族出を振り回す“夫”にイチコロだった、
という料理屋の亭主の述懐と重ね合わせれば気づきますよ、
料理屋のおかみさんも例外ではなかったと。

ここで、妻の視界がぱあっと開けます。
泥棒の王様の妻ならそれにふさわしい暮らしがあるのではないか、と。
盗みも密通も是とされる世界に住んでいることに妻は気づいたんです。
見回すと世間はそんな人ばかりです。

妻が覚醒したことでかえって夫婦が理解し合えるようになったのでした。
そんなお話だと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/03 20:43

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