マンガでよめる痔のこと・薬のこと

わたしは昔から、ふつうに努力していても、職場などで、かなり厳しい処分をくだされることが多いです。とつぜん契約を切られたり、上司からねっちりと説教されたり。
いわゆる、幼い頃から、おとなしいのでひとから何か言われやすい子供ではありました。
はっきりいって高いレベルをめざしてはいませんし、ふつうであればいいと思っています。
そこが努力がたりないようにみえるのかもしれませんが、
ひどいときには「あんたみたいなひとははじめてみた」というように意地悪く酷評されたこともあり
ます。
いつも普通以下の評価をされてしまう理由は一体どこにあるのでしょうか。
いわゆる大人社会の機知にたけた行動はいっさいできないタイプです。
なぜ自分だけがそのように評価されてしまうのか、わかりません。
悩んでいます。

A 回答 (8件)

まあ「普通」なる抽象的概念をよりどころに



「普通でよい」などと言っている時点で

やる気ない証拠。

普通なんて存在しません。
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正直難しそうですよねー。

改善は。


だってさ、この質問の内容自体がさ、下のような感じなんだもの

「分かりません。教えてください」
「どのあたりが分からないのですか?」
「分かりません」

これで答える側はどーしろと?って話なのですよ。相手に答えを丸投げしすぎです。

答える側としてはですね。ぐだぐだ説明などせずに「yes」か「no」って言えるのが
一番楽なんですよ。だから下のように質問できるといいのです。

「分かりません。教えてください」
「どのあたりが分からないのですか?」
「この辺りが分かりません。私は○○だと思うんですけど、合ってますか?」
「大丈夫です。合ってます」もしくは「間違ってます」

「私は○○だと思うんですけど、合ってますか?」これ言えてますか?
ここまで持ってくるには、自分の中でたとえ間違っていても「答え」を出す必要があります。
その答えが正しいのかどうかを相手に聞くのです。いきなり答えを聞いてはいけません。

それが「考える」という事かと私は思っています。
もちろんこの私の回答が「正しいか」「正しくないか」は別問題です。
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努力の方向が間違っているのではないでしょうか。

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私も人様が 普通にこなしてる事務とか販売他色々な仕事で ことごとく失敗 何度も呼び出されたり 契約を切られたりしてきたので


もしかしたら何かお力添えできるかな~と思い参りました。
私も大人しいタイプですが コミュニケーションが不味いことで 立場が悪くなることも多かったです。教える人から見てると解ってるか解ってないかワカラナイ、教えてるのにお礼をあまり言わない、と言われたことがありました。
普通に皆が当たり前にこなしてる ように見える職場でも 実は向き不向きが かなりあると思います。
今まで辞めて行った人の中には 実は自分と同じように努力してもダメだった人が沢山いたハズだと思います。
周囲の人が皆が普通にこなしてるのに自分だけができない事もよくありますが、世間一般的な適性と自分がちょっとズレてる と考えて あまり落ち込まないようになりました。2~30箇所位は転職したと思いますけど 数打ちゃ当たるじゃないけど 中には 人並みにできた仕事もありました… 私は単調な仕事や細かい仕事が合っていたようでした。
段々適性も 掴めてきました。どんな雰囲気でどの位の規模の職場なら働けるか、とかも。
今40代 パートは営業関係で(あまり皆がやりたがらない仕事)、まだ短くこの先はわからないですが意外に合ってることもわかりました。生まれてはじめて結果を出せてます。 もしかしたら、人気のない仕事だけに優秀な人がたまたま少ないのが良かったのかも知れないですが、本っ当に どこに自分でも出来る仕事が転がってるかわからないです。
あと経営者がそこらで見てる会社なんかは働きが悪い人にはすぐに説教、辞めるよう促す、反対にお役所関係の末端的な作業は少々働きが悪くとも、全く関係なしでした。
質問者様はお若い方ですか?お辛い状況なんでしょうか…
私も高校のバイトから散々、泣いてきましたが…、諦めずに色々な仕事にチャレンジして 長く頑張って行けそうな仕事を見つけて下さい、転職を繰り返した分 強くなって行けると思うし 諦めず頑張ってください。
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人が評価するときは、科学的になんかやって


いません。
イメージでやります。

同じ結果を出しても、自信満々で声が大きい人と
大人しくて、自信がなさそうな人とでは、評価が
まるで違います。

私の見るところ、tomokoさんは、大人しく
声も小さく、おどおどしているので評価が低い
のではないでしょうか。

性格はどうですか。
明るく、はきはきした性格ではないでしょう。
どちらかといえば、暗い性格ではないですか。

そういう人は、10の結果を出しても、5しか
評価してもらえません。
真に不公平ですが、社会ってそんなもんです。
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具体的に普通というのがどういう状況なのかわからないですが、少なくとも、質問者様が思っている普通と世間様が思っている普通にギャップがあることに違いないと思われますね。



ご質問分の中では次の部分が気になります。

>はっきりいって高いレベルをめざしてはいませんし、ふつうであればいいと思っています。

これは、一般の人は高いところを目指して頑張ることが普通なのではないでしょうか?
たとえ、うまくいかなくても、少し高い目標とそれに向かって少しずづ頑張ることで昨日より今日、今日よりも明日の自分の方が成長していくと思うからです。

質問者様が思う普通の状況を補足しておくと、ほかの回答者が回答しやすいかもしれませんよ。
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 女性的な考えだなと痛感しますが、努力したから評価されるべきと思っているところが間違いだと思います。

学校では平常点で努力は点数化されますが、社会は0点か100点のみです。「僕は総合点80点の医師です」と言う医師に手術で命を預けるでしょうか?製品もサービスもすべて100点が望まれます。「頑張ってひとりですべて作ったんです」と言っても、ネジが一本余っている自動車は買ってくれません。
 その時その時に、何が酷評の元となったか分析しましたか?わからなければ聞きましたか?酷評されたことだけに気がいって、不満だらけでふくれっ面して何も言わずに下がったのであれば、「だめだこりゃ」と思われますし、男なら「ダメなところを教えてください」と、飲み会や昼休みの食事などで頭を下げて聞くでしょうね。勤務中に聞くのは、仕事範疇ではないと考えますし、上司の仕事のジャマになりますから。そこに飲み会の意味はあります。
 「徹夜で頑張ったのに」は上司には無意味です。それがわかっていなければ、低評価の元はそこです。
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>ふつうに努力しても


>ふつうであればいい

この「ふつう」というのが曲者ですね。

実は、
「特別でなくても良い」
「飛び抜けて素晴らしいものは欲していない」
「高いレベルは目指していない」
「普通でいい」

という事を考えている時、その当人は
「高望みなんてしていない」
「ささやかで構わない」
等と、
「身の丈を弁えた『つもり』」
「ほんの小さな望み『のつもり』」
になっています。

しかし、具体的な話をさせると
即ち、「貴方の言う『普通』とは、例えばどんなものですか」と尋ねると

大抵の場合、

「随分、楽して良い思いしたいと思っているなあ」
「貴方の願いは、貴方の現状からすれば十分『高望み』ですが」
「否、それを『普通』と言ったら、多くの人は『普通になど手が届かない状態』だけど」
「それを『普通』だと思い、それを求めるなら、今のままでは足りないでしょ」

という事に収まります。

「普通=周囲と同じ程度」と思うなら
「周囲と同じ位かそれ以上の労力・手間暇をかける」
のでなければならない筈です。


「結果が悪くても、叱られずに済む」
「最低限の努力しかしなくても許される」
「何時までも成長しない(未熟なまま)でも許される」
「その上で、自分の働きを認められる」
「周囲からも優しくされる」

これは、「普通」どころか「優遇・特別扱い」のレベルです。



一寸例え話をしますが。

「テストで100点を取れなくても良い。平均点(普通)に届けば良い」
と考える人がいたとします。

平均点が「50点」だとしましょう。
その人は、「50点」を取る為の勉強(努力)はします。

例えば、確実に出題されると分かっている部分や、出題範囲の半分をしっかり覚える・出来る様になる努力はするでしょう。

しかし、「残りの50点」は最初から捨てて掛かっているのです。
その「残り50点」を取る為の勉強(努力)は、全くしないのです。
授業や講義に出席していても、先生の話や他の生徒の解答に注意を払わず
身を入れて課題に取り組む事もしません。

何故なら、

「自分は100点は目指していない。平均点(普通)の50点取れれば良い」
「自分は、平均点(普通)を取る為の努力はしている」
「つまり、自分はサボってなどいない。手も抜いていない」
「平均点(普通)を取る為の努力は、ちゃんとしている」

と、「自己中心的な論法」で自分の行為を正当化しているからです。

「出題範囲の半分しか、身を入れて勉強しない」
これでは、
「努力が足りない」
「怠けている」
「普通以下の評価が適切」
と看做されるのは当然です。



貴方は、どうでしょうか。

※因みに、現実には「平均値≠普通」(平均値を「普通」とは看做さない)です。
※「平均値=普通」として扱うのは、誤解・曲解・勘違い(+マスコミの情報操作)です。



>いわゆる、幼い頃から、おとなしいのでひとから何か言われやすい子供ではありました

「大人しいから」だけではないと思います。

「大人しく、人の陰に隠れて、こっそりとしていれば、多少手抜きしても大丈夫」
「大人しいから、色々と全力で取り組めなくても仕方ない、と許して貰える」
歳を取るにつれて、そういう「小狡い気持ち」を持ってきたのではありませんか。

>いわゆる大人社会の機知にたけた行動はいっさいできないタイプです。

それは、「今迄全力で、精一杯、必死に物事をやって来なかったツケ」です。

子供の頃から一所懸命物事に取り組んできて、
「もっと良い物・もっと凄い事」を目標にして
それを達成する為に、思考錯誤を繰り返して
時には、「今以上の力」を付ける為に
「一寸か、ずっと大変に感じる物事」にも挑戦して
その過程で受ける、周囲からの助言や叱責を
「自分の為のもの」だと理解して、真摯に受け止める。

そうやって成長してくれば、
「大人社会の機知に長けた行動」である
「臨機応変な行動」
「突発的な事象にも落ち着いて対応する行動」
「新たな仕事に取り組む際にも、逃げずに立ち向かえる行動」
のいくつかを出来る様になるのです。

「大人社会の機知に長けた行動」とは
「狡して、楽して、良い思いをする為のテクニック」ではありませんよ。


貴方は、「今の自分に出来る事しかしない」のではありませんか。
「今、容易く出来てしまう事」だけで人生を乗り切ろうとしても無理なのです。

「今、容易く出来てしまう事だけで、安穏と生きていきたい」というならば
それは、「普通」ではなく「甘ったれた高望み」なのです。



貴方の言う、「普通」とは何ですか。
その「普通」の評価や生活を得ている人達と「同じか、それ以上」の努力をしたのでしょうか。

「努力」は、
「目標達成に対して適切な努力」
「方向性が間違っていない努力」
「主観的でなく、客観的に評価出来る努力」
でなければ、駄目ですよ。

「私なりに、こんなに努力したのに!」
「結果を伴わない・的外れな努力でも、取り敢えず『努力した』という事を褒める」

というのは、家庭でも学校でも「義務教育」辺りまででしか通用しません。
しかも、「認める・褒める」だけでなく、「結果につながる努力・的を狙える努力」を促す指導・教育・躾けと合わせて行うものです。
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