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20年前の1994年5月1日、A・セナが事故死しました

享年34歳

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …

彼ほどの天才ドライバーは今までも現れていませんし、今後も現れないと思っています

たらればになりますが、もしA・セナが生きていたら今頃どうなっていたでしょう?

また加えて20年前の今日、皆さんは何をしていたか覚えていますか?

A 回答 (11件中1~10件)

こんにちは。



その当時のGPはすべてビデオテープに録画していました。
なので事故の時のレースもTVで見ていました。
レギュレーションの変更などもありますが天才ドライバーですよね。
マクラーレンVSホンダという構図もありましたね。
もし事故が無かったらしばらく天下が続いていたと思います。
当時シューマッハもいい走りを見せてくれました。
今もし生きていたら総監督くらいしていたかもしれないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

あの当時、深夜枠でしたっけね?

別室の兄もF1見ていました

日本GPは普通に予選から放送していましてね

私はCMがイヤなので、遅れてBSの放送を録画していました

ブラジルGP初優勝で泣きじゃくっていた声がマイク越しに聞こえたのがとても記憶に残っています

なかなかブラジルで勝てなかったんですよね

ようつべも懐かしく拝見しました

あったあった!!

お礼日時:2014/05/01 14:11

>もしA・セナが生きていたら今頃どうなっていたでしょう?



ひょっとしたら、「ジャン・マイケル・ヴィンセントが扮した“超音速ジェットヘリ・エアーウルフ”の主人公、ストリングフェロー・ホーク”」よろしく、湖に面した山奥のロッジで、ひっそりと隠遁生活を送っていたかもしれませんよ、もちろん、ときどきは、“下界”に降りてきたりしてね・・・(苦笑+汗;)

こんばんは(笑) おじゃましますlin(_ _)imo
いつも、こちらへはご来訪有り難うございます。

”不世出のF1ドライバー”として今なお語り継がれるアイルトン・セナですが、既出のご回答も含めて、たぶんに孤高、厭世的なエピソードには事欠きません。当時の”Number”“ AUTO SPORT”誌や他の資料にも、その奇行ぶりが掲載されています。

彼が命を落とした“イモラのタンブレロ・コーナー”は、それまでも多くのドライバーが悪戦苦闘していました。
ここはF1サーキットの中でも数少ない“左回り”のコースでしたが、マシンの総合的な能力が非常にシビアに要求される場所でして、記憶に間違いがなければ、ここで優勝したマシンは、その年のコンストラクターズ・チャンピオンを必ず取っていたはずです。

当時の映像、または数々の報道を目にするにつけ、「オーバー・スピード」だったとする説が有力ですね。
例えばコーナー進入時、コーナー通過時のハンドルの切り返し等、疑問符が投げかけられる点も多々あり・・・

彼の全盛時は“マクラーレン=プロジェクト・フォー=ホンダ”とするのが一般的です。
たしかにホンダはセナの才能に魅せられてロータス時代からエンジンを供給してきましたが、まっ、セナに限らず、レーシング・ドライバーってなぁ、“優勝できるマシン”に乗りたい、と思うのが当たり前、ナイジェル・マンセルがウィリアムズに移ってからというもの、ウイリアムズに対しての想いは並々ならぬものがありましたし、オノレのチームに対しての嫌悪感を露にしたときもありましたし、やっと、その願いがかなったとおもったら・・・

彼も人の子、当時のベネトンの悪ガキの台頭もあり、自分自身も年齢的にピークを終えたことを察知してか、もう一花咲かせて、さっさとチャンピオンをとって引退すべぇ~や、と考えていた、としても不思議ではありません。(苦笑+汗;)

>また加えて20年前の今日、皆さんは何をしていたか覚えていますか?
このときの中継放送食い入るように眺めていました。今宮純さん、川井一仁さん、三宅正治フジテレビアナウンサーらの実況は、いまだに鮮烈な記憶として残っています。


ちなみに、当方が「F1」に興味を示し始めたのは、最近公開された映画「ラッシュ/プライドと友情」でも扱われた、1976年のジェームス・ハントとニキ・ラウダが全盛期の頃です。(懐)

それにしても・・・
セナって、オイラの二つ上、三宅正治フジテレビアナウンサーって、同い年かぁ・・・
やれやれ(苦笑+汗;)(爆!)

おじゃましました。lin(_ _)imo
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私もNumberは愛読しておりましたし、「川井姓」の人を見つけるとチャン付けで呼んでしまいます

今でも手元に追悼の増刊号があります

>「オーバー・スピード」だったとする説

そうだったんですか

タンブレロコーナーは危ないと前々からFIA会長のマックス・モズレーに直談判していたと伺っております

A・セナともあろう人間がそんな単純ミスをするというのが考えられなくて…

やはり「魔の」コーナーなんですね

お礼日時:2014/05/01 23:43

michiyo19750208さん、こんばんわ。


ithiです。

ブルーノはF1を去り、電気自動車フォーミュラEに参加しているようです。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます

電気自動車?

おじさんは天国でどう思っているでしょう?

F1こそ無駄遣いの極致なのに…

「セナ足」ならぬ「ブルーノ足」ってあるんでしょうか?

お礼日時:2014/05/01 23:27

michiyo19750208 さん、こんばんわ。



今頃、F1チームを作って、オーナーになり、甥っ子のブルーノをドライバーにしていますよ。

私は実はプロストファンだったので、最初はあまり関心がありませんでした。その数年前から二人の確執は有名でしたし、ウィリアムズのシートを獲得した時のいきさつにも憤りを隠せなかったので・・・でも、20年もたつとそういったわだかまりも風化してしまうものですね。そうか。20年かと思うだけです。
その頃の私はちょっと人生に躓いてましたから、余計にそう思ったのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

甥っ子のブルーノは頑張っていますか?

A・セナ亡き後、F1から遠ざかってしまいました

>2人の確執は有名でしたし

そうですね、常勝チームならではのトラブルはあったでしょうね

でもA・プロストも実はいいヒトでA・セナのファンクラブのフランス代表なんですね

私も正直好きにはなれませんでしたが、今はA・プロストのメインスポンサーだったジタンを吸っています

余談でした…

しかし20年ってそのとき産まれた子が成人式ですからね

「えっ!?もう20年!?」です

お礼日時:2014/05/01 20:13

N07です、訂正があります。



マクラーレンとホンダの誤りです。
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この回答へのお礼

回答?ありがとうございます

ご丁寧に訂正して頂き、どうもです

お礼日時:2014/05/01 14:12

こんにちは(⌒∇⌒)ノ"



アイルトン・セナのファンでした。
競馬の宝塚記念でアイルトンシンボリが2着に入り、
ちょっとだけ懐が温かくなりました。
アイルトン・セナがサンマリノGPで命を落とす事が無かったとしても
記録は常に塗り替えるものです。
自ら引退するまでレースを観たかったものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

>アイルトンシンボリ

競馬詳しくないんですが,馬主さんがファンだったんでしょうか?

私はもろにセナ・プロ時代の回しもんです

日本GPで鈴鹿の1コーナーで両者がクラッシュした映像もつい最近まで保管してありました

さすがにテープの劣化が激しく処分しましたが...

今となってはいい時代でしたね

お礼日時:2014/05/01 10:07

ああ、懐かしい名前だ。



そうですね、生きていたならどうしていたでしょう。なんとなくですが、メジャーな日の当たるところにはいないで、どこか表舞台から離れたところでひっそりと暮らしているような気がいます。

セナって、そんなに幸せそうなドライバーのイメージがないんですよね。今でも覚えているのは、優勝して、誰も相手にしてくれず、一人でシャンペンを自分で自分にかけていた姿です。セナはF1の世界では異端の天才でした。常に孤独で、回りは彼の才能を高く評価しつつも距離を置く、という感じだったように思えます。

彼にとっては、実際にハンドルを握り走っている時だけが自分の生きている時間だったんじゃないかな。走れなくなったら、もうF1の世界に彼の居場所はなかったように思えます。たとえまわりが求めたとしても、走れないのにその場にでかい顔して居座り続けることはきっとできなかったでしょう。そういう人だったように思えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

仰る通り,どこか孤高な一面もありましたね

事故死する前日には彼女に「走りたくない」と漏らしていましたし...

あそこまでの領域に達してしまうと周りも大変だったでしょう

※以前,マクラーレンが総合優勝したとき,ホンダがカーナンバー27番のトランプを無料配布しました

学校で没収されたことを今思いだしました

お礼日時:2014/05/01 09:20

こんにちは。



アイルトン・セナが事故死したニュースは
テレビで見た記憶があります。
私はレースにはくわしくないのですが、
純粋な人だった印象があって、
好きだったので、
ニュースは結構ショックだったです。
生まれた年は違いますが、
誕生日が私と一緒なんです。

もしセナが生きていたら・・、
それはわかりませんけど・・。

20年前は私はまだ独身で・・
親元にいました。
真面目にやってましたね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

先般「皆さんの誕生日はいつですか?」って質問をしたんですよ

A・セナと一緒って箔がついていいですね(^^)

彼はレースの傍らで慈善事業にも熱心な方でした

最後のお別れは「国葬」でした

私の20年前は学生で1人暮らしでした

もう20年も経ったの!?

と、びっくりしています

お礼日時:2014/05/01 07:33

セナが史上最高かどうかはさておき、良い時代の良いドライバーでしたね。


今のF1に彼が興味を持てたかどうかは分かりません。
時代の変化とはそういうものですし、それこそがF1であるとも言えます。
私もセナプロ(+マンセル)時代の人間ですから、もちろん彼は特別なヒーローなんですが。

閑話休題。

セナが事故死した94年は、マクラーレンホンダの天下が終わり、ウイリアムズが天下を取り、ベネトン(というかシューマッハ)が頭角を現したシーズンでした(ウイリアムズは後半盛り返すがドライバーズタイトルは穫れず)。
その後は…仮にあと6年(40歳まで)現役だったとしましょうか。
95年…引き続きベネトンとウイリアムズの戦い。ウイリアムズは戦闘力はあるものの、信頼性不足でリタイヤが多く自滅。
96年…シューマッハがフェラーリへ移籍し、ウイリアムズの独壇場。
97年…ウイリアムズ優勢ながら、フェラーリでシューマッハ体制が完成しつつあり、ライバルへと成長。
98年…マクラーレンの復活(ハッキネンの活躍)、フェラーリはトップチームへと定着。ウイリアムズは脱落。
99年…マクラーレン(ハッキネン)とフェラーリ(アーバイン)の戦い。
00年…引き続きマクラーレン(ハッキネン)とフェラーリ(シューマッハ)の戦い。→フェラーリ黄金時代の始まり

セナの事なので、また移籍していただろうとは思いますが、
少なくともウイリアムズのままでも3年は優勝争いが出来たはずです。
2回はチャンピオンになれたかもしれません。
その後古巣であるマクラーレンに戻っていたら、さらに2回チャンスがあったかも。

引退後のセナはどうしていたでしょうね。
ホンダは今でもセナを愛し続けていますから、アドバイザーとして招聘していたかもしれません(2000年からエンジンサプライヤーに復帰)。
2001年~2008年はホンダ関係者としてパドックに顔を出し、しばらくお休みして2015年から再び…
なんて未来もあったのかもしれませんね。
もしそうならなくとも、F1関係者が彼を放っておくはずもありませんから、毎年モナコあたりで顔を見れた事でしょう。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

54歳の渋いオジサン、何していたかったでしょうね?

20年前のあの瞬間、TVで観ていましたが、「ああ、やっぱり人の子なんだ」と思い知らされました

他にはNSXのテストに参加したり、とんねるずとカート対決したり…

いろいろありましたね

また、マクラーレンホンダが復活と聞いて嬉しく思っている1人です

地上波でやってくれないかなぁ?

※20年前はシューマッハもハッキネンもハナクソみたいなカワイイもんでした

お礼日時:2014/05/01 07:25

もし生きていたとしてもだいぶ歳なので今頃はとっくに引退しているでしょう。


その後クルサードが現れる事もなかったでしょうしもっと違う展開になっていた事でしょう。

20年前といえば自分はまだ小学校にも行ってないような歳なので今日この日に何をしていたかなんて全く憶えていないですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

そうですね、現役だったら怖いかも!?

潤沢な資金でチーム丸ごと買ってそうな気もします

それかニキ・ラウダのように別のビジネスをやっているか…

>小学校にも行ってないような歳

・・・そうでしたか

過去を振り返るのは歳を取った証拠とよく言いますが、A・セナという素晴らしいドライバーがいてたんですよ

ご参考までに

お礼日時:2014/05/01 07:10

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