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早いもんですね、もうセナが逝ったのは10年以上前の話しです。
当時の映像は今でも鮮明に思い出すほどショッキングでした。
先日古いビデオの整理をしていたらセナが逝った翌日?に
古館さん森脇さん中島さん(中島さんは深夜すぎて放送中
ひっそり寝てましたw)らが事故を振り返る番組をしていて
そいうのを見ると今でも少し感慨深くなりますね。

セナがなぜ逝ってしまったのかは一般的には?
ステアリングコラムの溶接不良から破損し正常な操作不能状態に
減速を試みるもタンブレロを突っ切り210km/hの速度で
コンクリートウォールに激突。
その時の衝撃により折れたサスペンションアームの
破片がヘルメットとバイザーの弱い部分を突き抜けて
脳にまで達し死に居たった。と言われて居たと思うのですが。
物理的事実としてそれが死因と言うのは分かるのですが
そいう事ではなく私が彼の死になんらかの因果を求め
居るだけかもしれませんが、セナの死は欲に言う
彼の人生の全てが頂点に達し逝くべくして逝った…
勝手に思えてしまうのです。

当時の事故を知っていたりする人は
どの様に彼が逝った事を受け止めているのでしょうか。
はやり何らかの因果の様なことを感じたりしてますか?
また人の死に関してなにか因果関係など感じた事はありますか?
この様な答えがないと思われる質問はいけないのかも
知れませんが、皆様の感想を聞いてみたいですね。

A 回答 (8件)

こんにちは!


ステキな知識と感覚をお持ちのようで、質問・補足を読ませていただくとお返事がしたくなりました。
私も詳しくはありませんが十数年F1をTV観戦しております。
私にとってセナは正直当時あまり好きなドライバーではありませんでした。
セナの死はNo5さんのようにレギュレーション変更が大きな要因に感じられます。
そのレギュレーションを変更する要因にセナがいたのは間違いないはずです。
強すぎるホンダ・速過ぎるセナ
それゆえに、敵を造り、確執を創り、孤独になってゆく…
そして宗一郎の死、ホンダ撤退!
輝きをなくすセナ。
ウィリアムズのスーツを着たセナにオーラを感じず、似合わね~と感じたのは私だけでしょうか?
現在のシューの様にチームを作り速くなる!のとセナの速さは違っていた様な気がします。
完璧なチームだからレギュレーションがどんなに変わろうが完璧な対応が出来る。
セナにF1が追いつかなかった?
考え始めるとsin2222さんのように止め処もなくいろんなことが思い浮かびます。
ホントに止まらなくなるのでこの辺で、
良友ベルガーが炎上したコーナーの因縁?!
以上!
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この回答へのお礼

D-onkこんにちは!
お褒め頂きありがとうございます(>▽<;;
因果とかそいう無意味な事を考えてる変人は私だけかもしれません。
でも一度誰かの意見を聞いてみたかったのです。
確かにレギュレーションの変更がもし無ければ事故は
起こらなかったかもしれませんよね。
ハイテクストップでアナログに戻すことはある意味
安全性を確保する意味もあったのかも知れませんが
進みすぎたマシンからハイテクだけを取り除いたマシンは
今考えるとシーズン開始時には危険な物だったのかも知れませんよね。
ウイリアムズのスーツを着たセナにオーラを感じなかったのは全く同感です!w
私も最初見たときは似合わね~って言ってましたw(^-^ ) ニコッ
確かにセナとシューマッハのカラーって違いますよね。
今もし仮に戦う事が出来たらもしかしたらシューマッハの方が
早いかも知れませんが、セナが時々見せた様な奇跡で鬼神の様な
走りってシューマッハにはあまり無いものだと感じます。
運さえも味方にし勝つことで勝ちを得る何もかもが完璧なシューマッハ。
自分を追い込むほど張りつめ奇跡も起こすがモロさもあるセナ。
自分はそんなイメージですねw
シューマッハに負けないぐらいのオーラのあるスターが
そろそろ欲しいですね。

ベルガーが炎上したコーナーの因縁だと考えると
な~んか怖い気がしますねw

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/17 21:18

多くの意見の後の補足としてですが。



セナは94年、極度のスランプに陥っていたと聞いています。92,3年勝算の低くなったマシンで戦い続けたストレス、新たシートを得たウイリアムズのマシンは新レギュレーションの中で思うに任せず、かってタイトルを争ったドライバーは殆んどが引退しており、彼の座を脅かすのは若手ドライバーばかり。何よりもライバルだったアラン・プロストの引退を誰よりも惜しんでいたのは他ならぬセナだったそうです。
セナ・プロ対決時は犬猿の中のように見えたのですが、プロストの引退はライバル喪失という彼の心に大きな穴を開ける原因になったようです。もちろんシューマッハをはじめとする新人を新たな挑戦者として迎え撃つ決意を固めるべきだったのかもしれませんが、その時のセナには少々重すぎたようです。速さは衰えなかったのですが、3戦続けて完走も成りませんでした。

すっかりナーバスになる中、運命のサンマリノGPを迎えましたが、予選1日目にジョーダンのルーベンス・バリチェロが事故で尾てい骨骨折、2日目にシムテックのローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故という事態になりました。セナがドライバーの事故死に立ち会うのは初めてだったといいます。86年事故死したエリオ・デ・アンジェリズの時はブラバムのテスト走行だったのでセナは不在で情報のみ知ったのでしょうが、実際に居合わす時とは気持ちは違ったと思います。あの直後、セナは愛人に「もう走りたくない」と電話で語ったそうです。

なお、予選2日目にセナは車載カメラでのテレビでコース説明をする予定でしたが、その時の通信にアラン・プロストが参席した際、セナは「親愛なる友人アラン、君がいなくなって寂しいよ」と予定外の発言をしました。その後プロストがセナに「グランドスタンドは3速、4速、5速、6速」「この右コーナーは最高速で入っていく」「ここは2速に落とす」など、むしろセナが説明を受けている感じになっていました。彼の速さの裏のガラス細工のような繊細さを見ているような気分になりました。

全てを放棄したかったがプロドライバーとしての意地というより執着がそれを許さなかったようです。多くのプロドライバーはレース以外の人生を持った上で臨んでいるそうなのですが、セナにとってはレースが全てという価値観すら持っていたといいますから。

歴史にもしも、という言葉は許されないのですが、前年度までのセナだったらあの時最悪の事態だけは避けられたのではないか、と未だに時折考えています。
私は体験していないのですが、68年に天才ドライバーのジム・クラークが不慮の事故死を遂げた時も多くのドライバー、関係者、ファンに計り知れない衝撃を与えたと聞いています。それらに止まらずスタードライバーの突如の死はいつの時代もやりきれないものです。

この回答への補足

まとめのお礼を補足に付けさせて頂くことをお許し下さい。

セナが逝って早10年、テレビやメディアなどで
セナの話題が出ると世間では「もういいよ」と
言う言葉もちらほら出てきていて
実際私の中でもそいう思いも最近は多々ありまして
セナの当時の実力は認めるもなんだかメディアの
道具として使われてるな~と言う感がありまして…
ってそれは私の思い過ごしかもしれませんね。
そもそも私が因果というか人の死に対して
特別な物を感じる様になったのは親戚の叔父の死と
このセナの事故からでした。
叔父は家庭をかえりみない程仕事に生きた人で
家庭を大切にしていませんでしたが
定年になったとき家族にその事を謝罪し
次の日からは余った余生で奥さんと旅行に行こうと
言ったその日に車に跳ねられ帰らぬ人となりました。
その時なんと偶然にも奥様の目の前でです。
家の前とかなら偶然目撃するのも分かりますが、
家から数km離れた地点でです。
定年の日の謝罪や交通事故などが一日に集約しいる感があり。
そいうので叔父の死も何か因果めいた何かを感じていました。
だったら飛行機事故などで大多数の人が亡くなるのは何故?
とか言われると答えなんて言えないものですし
その人のことを愛して居たからこそ因果的な
何かを求めて居るに過ぎないのかも知れませんよね。
そんなセナの死から遠く過ぎ去った今日に共に何かを考え
答えのないテーマに貴重なご意見をくださった
皆様に感謝いたします。

本当にありがとうございました。

補足日時:2005/01/19 02:12
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この回答へのお礼

>多くの意見の後の補足としてですが。
いえいえ、とんでもございません。
興味深く、また当時の事を思い出しながら
読ませて頂きました。
私の感じている事と似たような事が書いてあり
しかし私のように漠然とした因果ではなく
当時の状況を振り返ったもので
そいう事実があったから結果因果なるものに
結びつけて考えて居るんだろうな~と思います。
前年度までのセナでしたらあの時の事態は
避けられていたというご意見は全く同感です。
前年度ならば事故を起こして居なかった
その事故すらもモチベーションで起こらなかった?
あるいは事故が起きてもいつものように
ケロっとして居たような気すらします。
しかし歴史にもしもが無いように
そこに答えなんてないんですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/19 01:48

F1専属医として有名なシド・ワトキンス博士の著書「F1一瞬の死」によると、博士があのサンマリノGPの決勝前にセナと会話を交わし、セナは何か予感してしることを博士に話したそうです。

博士は事故が起こったと聞いたとき、それがセナであり、瀕死の状態であろうことを予測したということです。

sin2222さんの質問に対する回答ではありませんが、セナの死についてなにか因縁めいたことを感じておられるのでしたら、この本をご一読することをお勧めします。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872900 …
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この回答へのお礼

そのような本が出版されて居たのですね!
事故を起こしたのがセナで瀕死の状態であろうことを
予測していたって本当ならばかなり凄い事ですよね。
なんか興味を引かれます。
参考URLまで付けて頂き助かります。
是非読んでみたいと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/19 01:47

何かの因果に関しては私も他の方と同様、あまり考えられません。


ただ、燃え尽き症候群というのはどうでしょう?
であれば、前年マクラーレン・フォードというお世辞にも最強とはいえないパッケージを選択せざるを得ない時点でモチベーションの維持は難しかったでしょう。
確かにあのレースでセナはトップを走ってましたが、お世辞にも楽な展開には見えず、ピットインのタイミング等でミハエル・シューマッハに抜かれるのでは?と思ってみてました。
前2戦でも思うように結果が出せておらず、あせりはあったんでしょうね。
それと、あの年のウィリアムズのマシンは、空力的に非常にピーキーで扱いにくいマシンだったことも、セナの焦りを誘ったのではないでしょうか?
そこへ、マシントラブルという最悪の状態が襲った・・・ということではないでしょうか?

因果というか運命というか、すごく感慨深かったのは、セナが病院で息を引き取ったというニュース速報が流れたとき、セナの盟友のベルがーがちょうどシューマッハにかわされた・・・そんなことを覚えています。
回答にならずごめんなさい
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この回答へのお礼

燃え尽き症候群というのが少し表現が悪かったですかね。
まだマクラーレンの時にはプロストと言う標的が居たし
弱いと思っているマシーンで戦う事でモチベーションが
あったように感じるんですよね。仮に負けても
マクラーレンのパッケージの問題だとセナ自身が
とらえる事で心の折り合いを付けられるし。
しかし前年度までの最強マシンを手に入れ
マクラーレン時代よりもシーズンが始まる時には
力が抜けて居たのでは?
それが蓋を開けてみるとニューウェーの作ったマシンは
完成の域まで達しておらずピーキーで操作しにくく
早いのは事実だが給油OKの集中力を要す昨年とは違うレース展開に
セナ自身何の集中力がついてこれてなかった気がします。
初戦のブラジルでは残り5周を残しまさかのスピンでしたし。
それで焦っていたと言うよりも私には落胆と長年の疲れが
吹き出して居るように感じました。
追い込まれてる相手がプロストならばまだ抜かれても
今まで争ったライバルなので認めないも尊敬もしていたでしょうが
シューマッハではモチベーションに火を付けると言うよりも
何だこれは…納得できないなぁ…という感覚だったのではないかと
想像してしまいます。
目の前にあるべき越える壁を無くし人生のフラットスポット?に
はまったんじゃないかなぁ…とw

ベルガーが抜かれた瞬間でしたか。
そこまで覚えて居ませんでした。
また何となく感慨深くなりますねw

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/17 21:16

アイルトンが亡くなってしまった事の因果関係は僕には解りません。


ただ個人的の思うセナの事故死の要因は「レギュレーション変更」にあったんじゃないかなと思います。
ご存知かどうか知りませんがF1で今では普通になっている「レース中の給油」は94年からレギュレーションが変更になり初めてOKになりました。
それまではマシンにギリギリまでオイルを積んでレースは戦っていました。とは言っても満タンに積めばいいもんじゃなくレースを戦えるだけの量を計算して入れていたので中にはその計算が狂いガス欠になるマシンもたまに見られました。
しかし途中で給油が出来てからは全チームそういう1杯に入れる必要はなくなりますよね。(多く入れるとそれだけ重くなるし遅くなるから)そうなると車体は軽くなる→それだけマシンのスピードも上がります。

たしかアイルトンがコンクリートウォールに激突した時もオイルも少なく車体も軽い、スピードも300キロは優に超えていたと思います。
もしあの時レギュレーションが給油NGだったらあそこまでスピードも出ていなかったんじゃないかなと思うし、例えなんかのレバーが折れて激突していたとしても死亡まではいかなかったんじゃないかなと思います。

よって僕が思うアイルトンを死に追いやった要因はその年から実施された給油OKのレギュレーション変更にあるんじゃないかなと未だに思いますし、そう思うと悔しくて仕方ありません。
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この回答へのお礼

Facesさん、こんにちは。ニックネームのFacesって
セナのウイニングランに使われて居たT-SQUAREの曲、Facesと同じですよね。
あの曲は私も大好きで前は携帯の着メロにしていましたよ。(^-^ ) ニコッ

さて事故の原因はレギュレーション変更が
原因で特に給油が原因だったのじゃないか?というご意見ですよね。
セナがタンブレロにさしかかったときの
速度は310km/hを記録して居たようですね。
しかし激突したときは210km/hまでセナの力で減速していた様ですよ。
昔F1雑誌で読んだ記憶がありますしNo.2さん参照のURLの
イモラの悪夢の頁を見るとより詳細に載っています。
もし仮に原因がステアリングシャフトの破損が事故のきっかけならば
満タン状態のスピードが仮に20km/h程度落ちたとしてもマシンの
質量は上がるので衝突したの衝撃は上回って居るかもしれませんね。
ただし激突したときの破片の軌道はスピードによっても
変わると思いますので衝撃が多少高くても生きていた可能性は
ありますよね。しかしそれこそ神様にしか判らない問題なのかも?w

しかし給油OKレギュレーションは個人的には嫌ですね。
常に軽い状態を3回などに区切ってる事になるので
常に全開で責める必要がありそうなると集中力の豊富な
若い人向けでベテランの味が薄まった気がします。
タイヤ交換だけの高速なピットインはピット作業の速さの
ドキドキ感がありましたしw
今みたいにタイヤのグリップをレギュレーションで下げ
その代わりピット作業の回数のみで勝負をさせるようなやり方って
イマイチだな~と個人的には思います。

ご意見ありがとうございましたw

お礼日時:2005/01/17 21:14

 ご存知のように、サンマリノグランプリで命を落したのは、アイルトンだけではありませんでした。

その後のグランプリに於いても、大きなクラッシュが相次いで起きていますが、これらが教訓となって随所に大幅な改善が図られています。他のカテゴリーも例外ではありません。
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この回答へのお礼

そうですね。一つの事故が教訓になり
新しい物が作られていくそうやって
つながって行くんですね。
それでも事故の後の怪我が無くならないのは
そうであるスポーツ、マシンも人もギリギリの
所で戦うからでしょうね。
セナが確かそう言ってました(^-^ ) ニコッ

回答ありがとうございまいた。

お礼日時:2005/01/16 19:10

今だ事故原因に異論が出てくることからも


謎が非常に多いわけですが

先頭を走っていて完全に単独事故
であることからも
これはマシントラブルだと思います。

現にステアリング系にトラブルがあった
と思われるデータも残っています。

ただ、不運なのはそこにタイヤバリアが
なかったことですね。

私は不確かな因果とかは信じない人なので
あの事故もマシントラブルであるという風に
考えています。

参考URL:http://www.senna-web.com/jp/index.html
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この回答へのお礼

ステアリングの破損であったと言うのは
ほぼ間違いないのでしょうね。
異論が出てくるのは偉大なレーサーの死を
モータースポーツと言う死の危険性も含む事から
誰かの責任にしそれを受け止めるには矛盾が生じる
からではないでしょうか。

因果を感じるのは人それぞれですよね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/16 17:43

 昔、ジル・ビルヌーヴが亡くなった時、ピローニとの確執からビルヌーヴが無理をしすぎたという話を聞いたことがあります。


 セナも、何かに焦って無理をしすぎたのかも知れませんね。
 回答になってないかも知れませんが・・・。

この回答への補足

ちょっと補足します。
私が勝手に因果を感じてしまう理由として…

*10年間以上死者が出て居なく安全性があると言われたF1マシンでの
事故死があったにもかかわらずレースが続いた。
またその前日にはバリチェロが重大事故を起こしているが
対策すら不十分だった。(と思える)

*レース開始直後クラッシュが発生、観客席にタイヤや破片が
激しく飛び散り8人が重軽傷を負ったにもかかわらず
レースは続いた。理由は赤旗を探したが見つからなかった為。

*クラッシュ直前、マシンに異常を感じたセナはフルブレーキと
シフトダウンにより減速を試み210km/hまでの減速に成功
その速度はF1マシンのクラッシュでは良くある速度であった。

*またその際に壁に激突する蛇角の補正を試み
成功とまで言えないが緩和出来る状態にはなっていた。
(両足に損傷がないのがその証拠と考えられる)

*セナ自身レースに出たくないと強く思ったにも関わらず
また運命まではコントロール出来ないと発言しつつも
ドライブする選択をした。

*セナは当時最強のパッケージと言われたウイリアムズと契約し
開幕前には全戦優勝では?と言われるほどだったのに
一勝もあげることが出来ていなかった。

*永遠の犬猿の仲であろうと言われた元ライバル、プロストに
レーススタート前に和解とも言える呼びかけをした。
君がコースにいなくて淋しいよと。

*実況中継の解説者が三宅アナだったw

など、もしかしたら生きていることへの可能性なども
十分に考えられたが結果、いくつもの網をすり抜けて
死に居たったような感覚が否めません。
また運命と言うべきか大きな流れがこのイモラGPに
集約していた様に感じるのは私だけでしょうか。

補足日時:2005/01/16 17:35
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ジルのことは知りませんでした。教えて頂きありがとうございます。
セナも何かに焦って無理をしていたか。
私の感覚的には何かに焦っていたというよりも
全てにおいて頂点を極めたセナの目標がなくなったというか、
燃え尽き症候群?に近いような気がしてました。
セナは勝てていませんでしたし、そいう心理も
あったかも知れませんね。

ご意見ありがとうぎざいました。

お礼日時:2005/01/16 17:33

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