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この世に生まれてきた人間は、誰であろうが不死身の者も一人もおらず、誰でも1時間後とかにはあの世に逝っているかもしれず、あの世にはこの世のものは一切何一つ持っていけないのに、

大金・財産や権力や地位や名誉や出世や容姿の良い異性や豪邸や高級車等を追い求め必死になっている連中はむなしいと思わないのでしょうかね?

自分の生きた証だしあるいは歴史に名が残るし財産や豪邸等も自分の子孫に残せるから、たとえ自分が死んでもそれで良いとでも思っているんでしょうかね。

肉体が死ねば全てが無になるというおとぎ話を信じ、だから生きている間に楽して大儲けしてやりたい事しなければ損だ、この世の春を謳歌しなければ損だなどと考え、善行は一つも行わず、犯罪・悪・被害を与える等も行い、あるいは他人をこき使ったりして利潤追求だけ考えている連中は、肉体の死後無になるどころか地獄に逝く事を全く心配していないのか、神も地獄もあの世も因果応報も輪廻転生もないのを信じたいのか知りませんがね。

犯罪や悪政やテロはもちろん戦争や冤罪等に関わった連中もですがね。

A 回答 (2件)

複雑化した社会の中で、真の幸福めざして生きることは困難を極める。


しかし実際にはその確たる答えがないまま人は迷いながら努力し、
生きているのが現状ではないだろうか

人間は死によって、人間は己の有限性に気づかされる事になります。
どんなに無限の『富』や『権力』を手にした人間であっても、
いつかは死ぬという定めからは、絶対に逃れることはできません。
この有限性を自覚し、死の恐怖や不安を克服するために、
人間は何らかの永遠性に参画し、動物的本能の生き方を超えて、
一個の人格となることができたのではないでしょうか。

ルソーは『社会契約論』のなかで「市民宗教」について説いている。
それはプロテスタントのキリスト教をよしとして、
宗教を個々の市民が自由に信仰できるようにすることが
必要であるとしています

トインビーは宗教の必要性について次のように述べている。
「私は宗教こそは人間本性にとって必要であり、
不可欠な一部をなすものであると考えている」
さらに優れた宗教を選択する大切さにまで言及してトインビーは語る。
「われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。
そこでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、
優れた宗教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです」
と言っています

「宗教は、使い方によっては〝悪魔〟となる。人々を結びつけるべき宗教が利用され、かえって分断を煽っている。これほどの不幸はない。
どこまでも『人間のための宗教』が根本とならねばならない。『宗教のため
の人間』では絶対にない。『二十一世紀の宗教』の、これは根本原則だとおもいます。
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生きている人間は、みんなあの世とやらを知る由もありません。


戒めとして生きている間は善行をするべきと言われているのです。
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