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ありふれた質問ですが、僕からも皆様へ問わせてください。

まず、僕はとある作品を拝読しました。
結論を言いますと、気持ち悪い、読みにくい、残念の気持ちが抑えきれない、読む気が失せる、受け付けないものでした。
しかし、なんだこれ、と思って、その小説のレビューを見てみたのですが、星は五つ星。つまり、高評価でした。
実はこの小説、売り上げ部数が凄い他、ランキングに何度か入っていることや、アニメ化もしています。
ただ、僕にはとてもとても受けないというのが率直な心です。貶すような言い方で申し訳ないのですが、この作品が評価される現実が意味分りません。非常に理解に苦しみます。

と、いうような体験に幾つかと出会いまして。そしてタイトルの疑問を思い至りました。

皆様のご意見をお聞かせください。面白い作品って、一体何なのでしょう。

A 回答 (12件中1~10件)

>に関してなのですが、殆どの小説は情景は思い浮かぶものではないでしょうか。



すみません。私の説明不足でした。情景描写を読んで浮かぶ情景というのはかなりしみじみと感じるものではないでしょうか。おそらくひとより想像力が豊かな質問者さまは、どんな表現からも作者が描こうとしているものを読みとられるのではないでしょうか。
問題は浮かぶ絵なり映像なりが「面白い」「お洒落」「カッコいい」「大人っぽい」「不思議だ」「官能的だ」などの表情をもっていてそれを味わいながら物語についていくのが「楽しい」かどうかなのだと思います。
その場合、内容もさることながらテンポというものが大切になると思います。
情景が小気味よく変化したり、会話の流れが軽快であったりすると、読者の頭の中に流れる映像がスピード感を持つ。
この時に、メタファーや暗示的表現を用いると、無駄な説明がはぶけたりします。

テロリストのパラソルの冒頭の部分

十月のその土曜日、長く続いた雨があがった。
目が覚めたのは、いつものように十時過ぎだった。蛍光灯のスイッチをいれ、
いつものように窓から首を突き出した。陽のささない部屋の住人が、いつのまにか
身につけた習慣だ。ひとつしかない窓からは隣のビルに手が届く。だが、空は見える。ビルの輪郭に薄く切りとられた空にすぎないが、目にしみる青さがひさしぶりだった。セーターに腕を通し部屋を出た。そんな日には陽射しのなかにいるのも悪くない。一日の最初の一杯にとって、陽の当たる場所も悪くない。だが何よりもそれは、晴れた日の私の日課だった。くたびれたアル中の中年のバーテンにだって日課はある。


どうですか、まるで映画のシーンのように映像が浮かびませんか?まどから首をだして薄く切り取られた青い空を見る。作者は空の雲だの余計なことは書かない。テンポよくカメラを動かすかのように映像を展開し短いセンテンスでつづられた文章の中に、簡潔に主人公の姿を表現しています。
これは、おわかりかもしれません。チャンドラーのハードボイルド作品を意識した文体と構成ですね。

藤原伊織とくらぶべくもない駄文をご覧いただきます

一九八七年の夏。丸の内・大手町界隈は、一連の再開発に先行して東京サンケイビルの撤去準備がはじまったばかりだった。久保山遙輔の勤める会社のビルの前に石畳の広場があった。遥輔は小さな湧水が作り出すせせらぎの脇に腰掛け空を見上げた。上着を脱いだシャツの背に感じる柘植の葉が柔らかかった。四方のビルが不規則に切り取った歪な青空を綿雲が意外な早さで流れて行った。
視界の一隅に人影が現われた。
「言った通りにするのね。」
笑みを浮かべながらangieは言った。手足の長い女が立っていた。黒目勝ちの目は顔立ちを幼く見せていた。会社の前の広場は昼休み前で人通りは少なかった。遥輔は見分けられるように「座って空を見上げている」とメールに書いたのだった。
angieはネットの筆名で、本当は羽田亜津子といった。まだパソコン通信の名残で遙輔が閲覧するサイトでも皆筆名を使っていた。その中の一人のangieが遥輔に会いたいと言ってきた。亜津子という名は遙輔の母と同じ名だ。そのせいか遥輔はangieをずっと苦手な相手だと思っていた。
並んで歩くと遙輔はangieが身体を寄せてくるような感覚を覚えた。来年建替えで閉店する予定の古いホテルの割烹で昼食を食べた。

これは私の書いた文ですけど読んで全然映像が浮かばないと思います。少なくとも文学作品と素人の作文の差がここにあります。

後者は驚くほど無駄な言葉が多い。一方伊織さんは、繰り返しを多用しながらも少ない表現で鮮烈なイメージを描ききっています。

面白いというのは、読者にむだなく読者労せずに感性をしげきされて物語に引き込まれるという仕掛けが上手にしくまれていることです。

この回答への補足

>おそらくひとより想像力が豊かな質問者さまは、どんな表現からも作者が描こうとしているものを読みとられるのではないでしょうか。

そうなのですか? 終始、文字の流れを見て、ドラマやアニメを見るように、映像が頭のなかで流れてきます。もしかして、貴方が仰るのは、もっと深い、掘り下げた部分のところでしょうか? 作家が描いた意図とか、技術とか。

ただ先日も申しました通り、川端康成さんの雪国、あれは想像がとても難しいですね。

貴方が執筆した文章ですが、確かに、少しだけ想像しにくいものでした。あと、文字の並びも毎度「~だった、~った」と、繰り返しそういう文章の終わり方なので、それも含めて仰るとおりテンポは悪いかと思われます。

しかし、僕が見た作品よりは読みやすかったです。全然と全てを否定するようなものではないと思いました。といっても、これだけの文章では、総合的な批評への次第へと続きませんが。

ですが、たったこれだけの文章でも良作かどうかを測れることができる文章というものは、前回記述された導入部から読み込ませる、惚れされるものなのでしょうね。

補足日時:2014/11/29 17:54
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。再度ご回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2014/11/29 14:38

結論 面白い作品=つかみはOK



近年、「探偵!ナイトスクープ」がつまらなくなってきたなーと連れ氏とほざいております

私たちの目が肥えてしまったんでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/11/26 20:00

>冗長で退屈、結末がぐだぐだ、この条件は入ってても善いのですか?


>マイナスポイントと思いますが……

いらないのかもしれませんが、現実的に高く評価される作品を具体的にイメージしたのでマイナス点も挙げました。

(1)の結末や後味に特徴のある作品は、読者の予想を裏切ったり一歩先を行くためのミスリードとして本編を使うことがあるので、冗長で退屈になりがちです。映画「ユージャルサスペクツ」「シックスセンス」や、星新一の短編小説などがそのイメージ。短くまとまっているので苦痛ではないですし、むしろ結末を引き立てることにもなりえます。

(2)の展開を重視する作品は話が飛躍しすぎて綺麗な結末に着地できなくなりがちです。こちらの具体例は村上春樹の小説とか浦沢直樹の漫画なんかがそんな感じです。結末に胸ふくらませて読み進むのは楽しいです。満足のいく結末だったことは少ないのですが、連載自体が長いので最後がつまらないくらいは許せます。
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この回答へのお礼

なるほど、再度のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/26 20:04

 その小説が描く世界に浸れるかどうかでおもしろかどうかが決まります。



 特におもしろのは導入部がしっかり出来ている物であれば面白いですね。入口で世界観とか描かれていることで世界に入り込めます。しかし、当たり前の事だからと省かれてしまうと入りにくい状態になります。

 自分が知っている世界、知識とかも入れるかどうかも関係しますね。

 
 私は星が好きなので銀河鉄道の夜が好きです。午後の授業から始まるところがね。

 
 分からない、楽しめないと思ったら、その世界観についての基礎的な知識を調べてみれば分かるかもしれませんね。

 
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/11/26 16:34

(1)冗長で退屈な内容が続くが、巧妙な伏線がはられており、結末が極めて秀逸な作品。



(2)期待をふくらますような煽りや急展開が多く、飽きることのなく読みすすめられる物語だが、終盤で広げ過ぎたふろしきをたためないまま真相はうやむやのまま終わったり、夢オチなどに逃げ、結末がグダグダになるような作品。


真逆の2タイプですが、上記に該当するような作品は高い評価を得やすいと感じます。
私の好みは、映画やショートショートなどの短い作品であれば(1)、連載小説や連続ドラマなら(2)です。
(1)(2)の長所だけを兼ね備えた作品は大概小さく纏まってしまうので好みではありません。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

冗長で退屈、結末がぐだぐだ、この条件は入ってても善いのですか?
マイナスポイントと思いますが……

お礼日時:2014/11/26 16:36

ものすごいクセの強い作品の場合、好きと嫌いの両極端に分かれるということはよくありますよ。



例えば江頭2:50さんという芸人さんがいますね。上半身裸でタイツ一丁で、下品な芸をやるので「こんなのは芸でも何でもない。ただバカ騒ぎをしているだけだ」とまったく評価しない人がいる一方、「下品を極めようとしているので、これはこれでひとつの究極の芸だ」と評価する人がいます。両者が論争しても見解の落としどころは見つからないでしょう。
そういうのは、芸術の世界においては常につきまとう問題です。21世紀現在、ヴィンセント・ファン・ゴッホはオークションで最も高値が付く画家の一人です。しかし生前に彼の作品がお金になったのはたった一度だけです(長年生涯一枚も売れなかったといわれていましたが、近年実は一枚売れていたことが判明しました)。晩年の狂気は自分が認められないことのストレスも多分に影響したでしょうから、これはもう皮肉としかいいようがありません。
ゴッホを始めとする印象派は日本では大変人気がありますが、当時の画壇では「下品」「気持ち悪い」「醜悪」と実に口汚く罵られていたんですよね。またその逆で、その人が生きている間は非常に人気があったのですが、死後は忘れ去られた人なんかも大勢います。ファンの人には失礼ですが、きっとラッセンさんなんかはそういうタイプなんじゃないかと思います。

かくいうワタクシも、IDを最近ちょっと変えたのでまだ浸透していないですが、実は結構回答がブロックされています・笑。お礼という名の「抗議」もちょいちょい受けます。その一方でファンといってくださる人もいまして、まあこれは私自身が昔からそうなのですが、江頭2:50さんみたいなものなのかなと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/11/26 16:33

>面白い作品って、一体何なのでしょう。



文芸作品なら、「読ませる」作品であることです。映像作品なら、「飽きさせない」作品。
そういう意味で、導入部は重要です。人との出会いが第一印象で左右されるのと同じ。誤解を恐れずにいえば「好きになれるかどうか」という直感とでも申しましょうか。

さて、この話抽象的に語っていても面白くないです。
具体例で申し上げます。
私が一番面白いと思う小説のひとつに藤原伊織の『テロリストのパラソル』があります。
この作品が最上級のエンターテイメントであることは、江戸川乱歩賞と直木賞の同時受賞という史上初の快挙からも議論の余地はないでしょう。
何が面白かったかというと、「文章から映像が浮かぶ」という表現力によって物語にぐいぐい引き込まれること。これを業界用語で「筆力」といいますが、物語のプロットがいかに巧妙で、トリックに新規性があっても、ストリーテラーとしての語り口が上質なものでないといい作品は生まれません。
そして、この語り口そのものが「面白さ」を伝える重要な要素なのだと思います。

そもそも、小説のテーマは猟奇的なものがあったりします。『禁断のパンダ』は第6回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作ですが、テーマはカニバリズム。
渡辺淳一は不倫をテーマにした作品が多いのですが『シャトールージュ』は若い妻をフランスのSMクラブに送る話。芥川賞を受賞した西村賢太『苦役列車』は
貧しい日雇い労働者の男の日常を独特の心理描写を交えて描いた作品。
テーマだけでは、みな「気持ち悪い」作品だらけ。
しかし、いずれも読み始めると知らず知らずに物語に引き込まれるのは作者の「筆力」ゆえのこと。

私はベストセラー作家の万城目学は読んだことがないのですが映画化された作品は面白かったです。
おそらく万城目の作品が異様で気持ち悪く思えたのでしょう。
ただ、妖怪が出てくる話は、荒俣宏にしろ京極夏彦にしろ桁外れに面白いものが多いのですが。
本と映像の差を感じることは多いです。
書籍で読んだベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』は
映画化された『愛を読むひと』(The Reader)2008年より格段に面白い。

さて、質問者さま。ここまでの私の書いている話を面白く読んでいただけているでしょうか。
面白くないのは、私の筆力のせいだとお考えください。書き手は思い切り知恵を駆使して相手を自分の言葉の世界に引きづりこもうとしています。
書評を読んだり本屋でてにとったり、読まずにアマゾンで買ったり本との出会いはいろいろですが、面白そうなのですが導入部で挫折しているのが岸惠子『わりなき恋』和田竜『村上海賊の娘』です。
読んでいて映像が浮かぶ作品は面白い作品には欠かせない要素ですが、ユーモアや薀蓄も長編小説の重要な隠し味です。堀田善衛の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』は、戦時中の苦悩の時代にもかかわらず育ちのいい学生の主人公が警官に「おまえ、被害者と関係したのか」と問われ、郷里の遊郭で筆おろしをしたとき娼妓の女性から「さあ関係しましょ。」と褥に誘われたことを思い出し、おもわずにやにやしてしまう場面で警官に殴られたりとか・・・おかしみのあるエピソードがちりばめられていて時代の隔たりが縮まる面白さがありました。

あと、時代感覚というのも面白さと密接に関係があるのではないでしょうか。
1970年代に上村一夫が漫画アクションで連載して大人気の『同棲時代』これをいまの若い世代が読むと、気持ち悪いといって嘔吐する人までいるのだそうです。
阿倍次郎の『三太郎の日記』大正昭和期の青春のバイブルとして有名でしたが
その内省的真摯な強靭な思索を「面白い」とうけとめる人は現代の若者なかにどれだけいるかわかりません。
当時は、哲学というバックボーンがないとインテリゲンチャの資格がないという風潮のなかで需要があった本だと思います。

最期に面白さと「カタルシス」との関係を申し上げます。最初に導入部を申し上げましたが、最後に「読後感」としてのカタルシスの重要性を。
一昨日、高倉健、マイケル・ダグラス、松田優作の「ブラックレイン」を観ました。妻が「面白いから観たら」といって借りてきてくれました。
派手なアクションもさることながら、さわやかな正義と友情みたいなものが描かれていて東洋趣味のキルビルなどとは一線を画す作品でした。
みてよかった、読んでよかったと思わせるのはカタルシス、精神の浄化だと思います。
私の好きな小説のひとつに浅田次郎の『蒼穹の昴』があります。長編中華浪花節小説なのですが、読み終わると涙で心が洗われます。それが果てしなく心地よい。
こういう面白さも大切だと思います。
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この回答へのお礼

「読ませる」作品、その導入部は必要。

表現によって物語に引き込まれる。

ストーリーテラーとしての語り口が上質。

ユーモア、薀蓄。

読んで善かったと思わせるカタルシス。

ですね。ご回答有難うございます。


しかし、
文章から映像が思い浮かぶ。
に関してなのですが、殆どの小説は情景は思い浮かぶものではないでしょうか。
僕の例外として、川端康成さんの雪国は情景が思い描きにくいものでしたが、それ以外は思い浮かべることができています。

お礼日時:2014/11/26 18:00

>面白い作品とは?



作品が面白いというのは、それ自身に知的興味が持てる、それに感情移入ができる、うんうんとうなずける内容がある、5感や性的感情以外で精神的に興奮させられる、そんなことでしょう。
おおかたは小説とか言葉でつくられたものが多いですが、芸術作品なら面白い音楽とか面白い絵画だとかいうものもあるかもしれません。大衆演劇などで笑わせるアチャラか喜劇や漫才なども面白いといわれる場合はありますが、これらはここの質問には含まれて居ないと理解しています。それらは単純に可笑しいのであって、精神的に興奮させられるというような、知的興味が持てるようなものではないとおもわれます(一部ではそういうものがあるかもしれません。)

これはすぐれて個人的なことなのですが、ベストセラーというものがあったり、古典文学とかいうものがあったりするので、そんな共鳴させられる個人がやたら多い作品もある、つまりかなり広範囲に共通な面白さがあったりするのでしょう。でもこれはかなりまれなことだろうと思います。ですから、貴方の場合のようにこの逆の、広範囲に面白い作品があることは事実だけれども、それが100%ではない、多くが「これは面白いよ」という作品でも「いーや、おれは面白いとはおもわん」というひとが居るのは至極当然の現象だろうなあとも思います。

さてそれで、ですが
>面白い作品って、一体何なのでしょう。

これが実に難問なのですね。それがわかれば苦労はない!という唄がありましたが、まさしくそういうことでしょう。芸術とはすべからくなぞ(というか言葉ではいえない、言語芸術であってもその面白さの理由をことばで明確にすることはできない)のであって、それは作者自身にとってもそうなのです。ある私が敬愛する評論家が居られて、そのひとはさいきん10数年のりに乗って著作をたくさん書いておられるのですが、そのひとですら、書く前はそれがどんなものになるか分からない、書いて見なければそれがいいものになるか、それともくだらないもになるのかわからない、そうおっしゃっておられるのです。もちろんかかれたものがかなりの確率で面白いものになるのも事実ですが、それはそのひと個人のなかの才能がそうさせるのだとしかいえないということです。
芸術とは予想できない、計算できない、偶然に近い造作、そういうもののようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/26 14:52

野球やサッカー、バスケやバレーなんてのはプロリーグがあるくらい「面白い」ものらしいが、私にはどこが面白いのか分かりません。

爆発の派手さだけが売りみたいなアクション映画も興味ないですし、アイドルグループにも全く惹かれるモノを感じない。
酒やタバコ、痛車や珍走、ヘビメタやクラシック、浮世絵や抽象画、ホラー映画やロマンポルノ、劇画に少女マンガ…勉強だろうと趣味だろうとスポーツだろうと性癖だろうと、ある人には面白いというものでも他のある人は全く面白く感じない。そんなもの沢山ありますよね。

生か死かなんて最も重要な事柄でさえ人類全員が一致した感情を持つなんてありえないのですから、面白さ、美しさなど、形容的な事柄について絶対的条件を考えるだけ無駄ってモノです。面白い作品イコール多数の人に受け入れられるって事じゃあ無い。単に「それが面白いと感じる人にとっては、それが面白い作品」ってことでいいじゃないですか。
あなたが理解できなかったのは単に「ジャンルが違った」ってだけの事ですよ、きっと。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/25 23:20

「自分を信じろ!」って何様!?ですが自分が面白い作品と思うのならいいんじゃないですかね?


自分の好みを人の顔色伺って、世間体気にして否定するなんて馬鹿馬鹿しいことだと思います
趣味嗜好ぐらい個人主義でいいでしょう と私は思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/25 23:04

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