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和歌山・太地町のイルカ追い込み漁とイルカの入手。海外団体からの批判の声や要求を、どう考えますか?

参考URL:今後も漁で捕獲…太地町の博物館
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sank …

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gooニュース編集部から時事問題に関する質問をお届けします
http://news.goo.ne.jp/

A 回答 (17件中1~10件)

旭山動物園の園長が言ってましたが、要するに反捕鯨と動物園・水族館のいるか問題は別の話。

動物園や水族館の話に限定するならば、ほかの野生動物同様、自然界からの調達はよくないというのはその通りだと思います。反捕鯨に関してはただのjapanバッシング。鯨の脳みそから油しぼってあとは捨ててた連中に言われたくない。ペリーが日本に来た理由のひとつはアメリカの捕鯨を有利にするため。歴史問題を認識しなければならないのはアメリカと取り巻き連中。ケネディーばあさんもシーシェパードとつながりあることだし、とっとと追い返してほしい。
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傲慢な人間の頭の悪い戯言。


聞く必要などない。

これが、イルカに限らず生き物全てというのであれば、そういう考え方もあるんだなと捉える事もやぶさかではありませんが、イルカやクジラなどと限定している事に理解ができない。
頭がいいから殺してはいけない?
絶滅する品種がいる?
絶滅するような品種は話は別だが、頭の良い悪いで殺してはだめというのは恐ろしく上からの目線で気持ちが悪い。
牛、豚、鶏などを食べる為に殺すなんてなんて残虐なんだってその人たちに日本人がいったらどういう反応示しますかね。それはきっと彼らのイルカを殺すなんて残虐だと同じ感想になるでしょうね。

ついでにいうなら、他国の文化も無視している段階でお察しです。
「和歌山・太地町のイルカ追い込み漁とイルカ」の回答画像16
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その国その国に伝統と歴史があって、考え方も違えば価値観も違うと思います、今回の問題は少し矛盾があって、イルカに対して、かわいそう、人間に懐いて従順な動物をなぜいじめるのか、という感情が働いていると思います、確かに一見そのように見えますが、果たしていじめているのか、虐待しているのか?、私たちの感情から見ればそうではない、ある意味共存であって、愛情なくして調教できないと感じています、イルカから違う動物に視点を変えたときに、では牛や豚はどうなのか、過去から現在恐らく未来もこのまま彼らは食料のための飼育であって、彼らはかわいそうではないのか、


同じ生き物という観点から見れば、それはおかしいではないか、かわいければダメ、そうでないならいい、そんな風に取れてしまう、その基準は何か? その辺の答えなくしては、今回の通告は平等性を欠く、人工飼育のイルカはいいのか、小魚は追い込みでとっていいのか、違いは何か、もう少し論理性がないと関係国にとっては、納得がいかないのではないか。
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問題はその理由です。



かつては、鯨は頭が良いから、という理由があげられていました。
しかし、何を持って頭が良いとするのか。
体重と脳の重量比なら、鯨は犬やブタよりも劣ります。

それに、頭が良いから、というと頭の悪いのは捕獲してよい
ということになり、これはかつて、欧米人がアフリカ、アジアを
侵略した理由に酷似しています。
特にアフリカ人は、人間でない、せいぜいが亜人間に過ぎない
という理由で4000万もの人間が奴隷として売買されました。

そういうことで、頭の善し悪しは、公式の場では主張されなく
なりました。
その代わりに出てきたのが資源論です。

しかし、資源論化したのは、鯨油の為に欧米が乱獲したのが
原因です。
自分たちで乱獲しておいて、鯨油が不要になったら、日本を
批判する。
あまりにも身勝手です。

最近、声高に主張されているのが、残虐論です。
しかし、残虐論なら、ブタや牛を殺すのは残虐ではないのか
という疑問が湧きます。

フランス料理のフェラガモは残酷ではないのか、
英国の狐狩りはどうなのだ。
エスキモーの捕鯨は。

あれらは伝統だ、というのなら、日本の捕鯨も封建時代
から続く伝統です。

結局、欧米人は彼らの価値観が普遍的であり、最も優れている
と信じ込んでいることから来る、合理性のない主張、謂われの無い
批判に過ぎません。
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ローマ法王様へ



多くの牛、豚、鶏を虐待しておきながら、イルカはいけないのでしょうか。欧米的思考だけが正しいと思っているのではないでしょうか。同じ人間です、自己主張ばかりの欧米はうんざりです。イエスはそのように教えているのでしょうか。
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海外のイルカを、日本の水族館等に高く買って欲しいということでしょう。

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韓国と同じだと思っています。

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この問題を難しくさせているのは、海外のイルカ保護派は圧倒多数でありながら、その(日本を非難する)主張に合理的説得力がまったくないこと。



だから、イルカを食べない日本人からも反発を招く。
その反発を数の倫理で抑え込もうとすれば、さらにナショナリズム的な怒りに発展する。
そうなればもう非難の応酬で話し合いどころではない。

イルカ保護の潮流が世界の標準となりつつあることは認める。
日本人の多くもその空気を感じ取っている。
しかし、理屈で議論すれば、イルカ漁反対派に合理性がないのは上述の通り。
イルカ漁反対派は、合理性のないことを相手に強いている、という認識を持つこと。
それが話し合いの第一歩。
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一部海外団体からの主張は批判にすらなっていない。


なぜなら非科学的・非論理的な感情論であるからだ。
追い込み漁でたたき殺す様子をもって"残酷"だ、と評するようであるが、
そのように傷を負ったイルカは、水族館での展示にふさわしくない。
つまり追い込み漁そのものが"残酷"ではないという証拠となる。
そもそも、イルカを殺すのはその後食肉とするためなのだから。

日本人は古来よりイルカを含むクジラ類には畏怖に近い敬意を払ってきた。
各地に残るクジラ塚がそれを物語る。
クジラに限らず生物・無生物全てに魂があるとする神道が日本文化の根底にある。
人間という矮小な存在が命をいただくことに畏れと感謝をもって接してきたのだ。
その文化背景すらも理解せずに、あるいは理解しようともせずに、彼ら自身の尺度だけで"残酷"だと決めつけるのは、グローバル化が叫ばれる昨今の時流に反していると言えよう。

ただし非科学的・非論理的な主張であってもそれが多数派を占めることは問題だ。多数派が「正しい」とされてしまう。彼らの主張が誤っていることを強く主張し、良き理解者を増やす努力が必要である。

以上のような理由から、海外団体の難癖には取り合うべきではないし、その不当要求には応じるべきではない、一方で日本の文化的背景と合わせ理解を促す必要があると考える。
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批判の声や要求は宗教じみて非科学的です。

調査捕鯨の結果を確認してみてください。

以下、和歌山県の見解
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/
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