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裁判は 証拠の採用や 量刑の決定は それぞれの裁判官の判断に委ねられます。
それが不当と思う側は控訴ができ 上告もできて 間違った判断なら それぞれの時点で是正されます。
それが日本の裁判システムです。
それで何か不都合がありますか?
冤罪とか言っても 本当のことは 本人しか知りませんので、本当は罪を犯していても冤罪だとか言って無罪を主張することは勝手ですが 裁判官が信じないのも自由です。
みなさんは 日本の裁判システムについて どう思いますか?

A 回答 (4件)

>求刑より重い判決について どう解釈しますか?



とある分野に偏っているようですが、まれにそのようなケースもあるみたいですね。

またまた野球の例になってしまいますが、
ヒットを打った打者が二塁まで進んだけれど、
今のヒットは過去のケースでは大多数が三塁打だったから、三塁まで進んでください
と言われるようなものですよね。

個人的な意見ですが
たしかにそういった事例は、裁判官の判断が行き過ぎているのではないかと思ってしまいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>とある分野に偏っているようですが、まれにそのようなケースもあるみたいですね。
裁判員裁判になってから増えたようですね。私も 裁判官の中立性という視点からも 違和感を感じていましたが、疑問視している人は少数のようです。私の推測ですが、恐らく 刑事裁判を 検察側と被告側の弁護士の綱引きで 審判として裁判官が綱の中央の前に立っているというよりも、江戸時代に 吟味方与力の役目を警察と検察が担い、奉行の役目を裁判官が担っているような 白洲のイメージで捉えているからだと思われます。そして、多くの人が 裁判官に求めるのは 別の意味での「厳正さ」、つまり、時代劇での 遠山の金さんや大岡越前のように、吟味方与力の量刑意見を元に、悪人には思いっきり厳罰を与え、同情の余地のある者には寛大な沙汰を下す裁きではないでしょうかね。まあ、何ですかね、「公平」、「公正」、「厳正」と言った抽象名詞は 日常でもよく使うようで、根本的な概念を十分に認識していない人も多いと思われます。

お礼日時:2017/07/30 18:15

野球で言うところの審判みたいなものなのでしょうかね。



やはり人が人を裁くには、間違いがあったりは仕方ないのかもしれません。
ただコンピュータに裁かれるよりは随分ましだと思いますが
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>野球で言うところの審判みたいなものなのでしょうかね。
それでは、求刑より重い判決について どう解釈しますか?

お礼日時:2017/07/30 17:29

>日本の裁判システムについて どう思いますか?


建前では一応三審制を採っていて、納得がいかなかったら最高裁まで行けるようになっていますが、上級審に行くほど裁判官は政府に忖度する判決を出しがちですね。
最高裁裁判官の任命権は総理大臣にありますから、裁判官といえども「人の子」で、自分の身分を賭してまで政府に抗う判決はほぼ出しません。
タイムリーな話題では、朝鮮学校の授業料無償化の対象としない国の判決について、大阪地裁は無効とする判断を示しましたが、高裁や最高裁まで行ったら覆るでしょうね。
官房長官は控訴すると言ってますから、上級審で争われるでしょう。
要するに地裁は「ガス抜き」的な役割で、高裁や最高裁に行くほど忖度度合いが高まると判断しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/30 00:29

人が人を裁く事は大変難しい事ですね。


裁判官と言えども、検察庁から送られてくる資料を参考にしていますので、すべてが正確に判断出来ているとは言えませんし、検察庁も担当刑事や色々な一般人及び諸証拠物件を参考にしています。
さらには、一旦罪を認めた人が弁護士や状況の変化で、自白を翻すなど大変複雑です。
本当の所は犯罪者本人しか知りえない事ですが、それでも冤罪を無くすための色々な工夫ななされて居る日本のシステムは、良く出来ていると言うか有り難い事だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/29 21:39

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