
■成田山新勝寺は平将門の乱を鎮め、神田明神は平将門を祀っている
そもそも、成田山新勝寺と神田明神はどのような目的で建立されたのだろうか。
「平安時代に平将門による乱が起き、それを鎮めるために建立されたのが成田山新勝寺です。そしてその乱によって命を落とした平将門を祀っているのが、神田明神です」(神田明神 広報)
この2つは両方とも、平将門に関係している。片方は乱を鎮め、もう一方は平将門自身を祀っている。
■このウワサのもう一つのエピソード
ではなぜ、成田山新勝寺と神田明神の両方の参拝はよくないとされているのだろう。
「もともとは成田山新勝寺が平将門に対して、調伏祈祷(じょうぶくきとう)を行うために建立された寺院だからだと思われます」(神田明神 広報)
調伏祈祷とは、悪魔や敵を鎮めるために祈ることだ。
「平将門の乱のために調伏祈祷をした神社仏閣は成田山新勝寺だけではなく、伊勢神宮や石清水八幡宮なども行いました。ただし、成田不動尊を別の場所に移して本尊を公開する“出開帳(でがいちょう)”が行われた際に、神田明神の氏子は門戸を閉ざして外に出なかったというエピソードがあります。この出来事が大衆に広がっていくなかで、成田山新勝寺と神田明神を参拝してはいけないというウワサが立ったのではないかと考えられます」(神田明神 広報)
平将門の乱を鎮めるために建立されたのは成田山新勝寺だけではないというのが、当時の荒々しさを今日に伝えている。それに対し、平将門の魂が根に持っているということのようだ。
■神社仏閣の歴史を学ぶ意義
最後に、神社仏閣を参拝する際に気をつけることや、神社仏閣の歴史を学ぶ意義について聞いた。
「参拝については、一般常識的なことに気をつけていただけば、他に気をつけることはありません。歴史を学ぶことについては、神社仏閣に限らず現代を生きていくうえで非常に重要です。歴史を知ることで、その神社仏閣の成り立ちや、これまでの変化を知ることができます。その知識は神社仏閣を訪れる楽しみを増やしてくれるはずです」(神田明神 広報)
さらに、続けてくれた。
「神社仏閣は常に変化しながら伝統を創造しています。神社仏閣は“建立当時から変わらない”と考える人がいるかも知れませんが、そんなことはありません。例えば神田明神では、車用のお守りと同じように、パソコン用のお守りも授与しています」(神田明神 広報)
こう聞くと笑う人もいるかもしれない。だがこれは、神社仏閣が長い歴史の中でさまざまな変化を遂げている証なのだ。
「神田明神は1,300年ほど前から江戸東京にありますが、お参りするのは『現代』の人。現在生きている人たちと同じ時間を共有しているのです」(神田明神 広報)
今回の取材で、成田山新勝寺と神田明神が歴史的にどのような敵対関係にあるかが分かった。しかし、両方参拝したからといって、必ず何か悪いことが起こるというわけではない。あくまで都市伝説のようなものだが、このような背景を学ぶことで平将門やその歴史に思いを馳せてみてはいかがだろう。
●専門家プロフィール:神田明神
江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神社。平将門をはじめとして、「だいこく様」と呼ばれる「大己貴命(おおなむちのみこと)」や、「えびす様」で知られる「少彦名命 (すくなひこなのみこと)」を祀っている。