■バレーボールの起源とは
まずは、バレーボールの起源についてだ。
「もともとバレーボールは、アメリカ人であるウイリアム・G・モーガンによって、1895年に考案されたといわれています。当時モーガンは、中高年層の運動指導を行っていましたが、冬に屋内でできて運動量が適度なスポーツはないかと模索していたそうです。そのときに、バドミントンをヒントに生まれたのが、バレーボールだといわれています。ちなみに、ボールをダイレクトに扱うことから、呼び方も『ヴォレー→バレー』となったようです。テニスも参考にした可能性はありますが、ボールを地面に落とさないで扱うという点からは、バドミントンのほうからヒントを得たと考えられるでしょう」(石丸さん)
なんと、バレーボールの起源はテニスではなくバドミントンだったのだ。「バレー」の語源がサッカーでも使う「ヴォレー」と同じということも興味深い。
■バレーボールが今のような形になった時期
バドミントンを起源に生まれたバレーボールは、その後どのように広がって進化し、今のような形になったのだろうか。
「当初のバレーボールは、コート上の人数もネットの高さも、ボールを触れる回数も定まっていませんでした。しかし徐々にルールが確立され、1947年に国際バレーボール連盟(FIVB)が誕生してからは国際ルールにより、6人制に統一されるようになりました。また、1964年の東京オリンピックで、公式種目として採用されました。現在は220カ国の国と地域が加盟するまでに発展しています」(石丸さん)
黎明期のバレーボールにおいては、ボールに触れる回数すら決まっていなかったとは驚きである。
■日本におけるバレーボールの歴史
最後に、日本のバレーボールの歴史についてもお話を伺った。
「1908年(明治41年)にYMCAの教授であった大森兵蔵が、日本にバレーボールを初めて伝えたといわれています。当初は16人制でしたが、『12人制→9人制』へと移行し、戦後、国際ルールである6人制に変更されました。戦前は、カタカナ表記が禁止されていたこともあり、バレーボールは『排球』(ハイキュウ)と呼ばれていました」(石丸さん)
人数だけでなく、その名前についても紆余曲折あったようだ。
「現在は6人制が中心となりましたが、日本国内ではママさん(家庭婦人)バレー、実業団などで、9人制が行われています。オリンピックでは、1964年東京と1976年モントリオールで女子が金メダル、1972年ミュンヘンで男子が金メダルを獲得していて、男女とも世界のトップに君臨していました」(石丸さん)
東京オリンピックで「東洋の魔女」が活躍したことは、日本の誇りだ。今はどうなのだろう。
「近年、男子はオリンピックの出場権を逃すなど困難な状況にありますが(世界ランキング12位、2017年7月現在)、柳田選手や石川選手など若い有望な選手や2mを超す大型選手が数多く所属しており、2020年東京オリンピックでの活躍が期待されます。女子は、2012年ロンドンで銅メダルを獲得し再び世界一を狙えるレベルにまでになっており、今年の世界選手権でのメダル獲得に期待したいところです(世界ランキング6位、2017年8月現在)」(石丸さん)
強い日本のバレーボールが、復活の兆しを見せているのだ。
誕生から120年以上経過しているバレーボールは、今や世界中で愛されるスポーツとなった。今回の世界バレーも、これまで以上に世界中から注目を集めている。ここは、やはり日本のメダル獲得に期待したいところだろう。
参考:日本バレーボール学会(2017)Volley chronicle バレークロニクル
●専門家プロフィール:石丸 出穂(いしまる いずほ)
仙台大学体育学部スポーツ情報マスメディア学科准教授。仙台大学男子バレーボール部監督。研究領域は、バレーボール、コーチング論、スポーツ情報戦略。著書に、「スポーツの統計を考える―バレーボールのアナリストの役割と実際―(単著)一般社団法人 日本統計協会 平成28年7月」がある。