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釈迦の原始仏教には、極楽浄土や輪廻転生の概念はなかったように思えます。
この概念は、どの時代に生まれた、あるいは取り入れられたものなのでしょうか? 
また輪廻転生は、どの仏教宗派にも共通した概念なのでしょうか?
さらに転生を待つ間は、どこに存在しているとしているのでしょうか?

教えてくださると、ありがたいです。

A 回答 (3件)

はじめまして



釈迦の時代のインドには、輪廻転生の概念は一般的でした。ですから、当時の宗教にはいかに輪廻転生から離脱して永遠の平安をもたらすかということが求められていたのです。

釈迦の説いたのは、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地をもたらす(涅槃=ニルヴァーナ)ことができれば、輪廻から離脱して永遠の平安が求められるということなんですね。釈迦は積極的には輪廻転生を説いていないにせよ、輪廻転生の概念はあったのは事実でしょう。ですのでどの仏教宗派にも大なり小なり輪廻転生の概念はあると思いますよ。

極楽浄土については事情が異なります。原始仏教から大乗仏教が勃興する中で、仏というのがふえてくるんですね。当初は仏は釈迦一人でしたが、これだけ素晴らしい人が生まれたと言うことは、前世で釈迦に仏法を教えた仏がいたはずだ、将来にはまた民衆を救うための仏がでてくるはずだ、そのうちに釈迦だけでなく、別の世界(仏国土)で別の仏が教えを説いているはずだ、こうなってくるわけです。薬師如来とか阿閦如来とか多宝如来とか宝生如来とか、もうインフレです。その中で涅槃を求めるというよりも、現世利益を仏教に求めるようになります。

これだけ如来が増えてくる、現世利益を求めるというのは、当時の多数派であるヒンドゥー教の影響でしょうね。仏教はその後もヒンドゥー教化が進み、マントラや秘技などを重視する密教が勃興しました。結果的にはこのヒンドゥー化がインド本土において仏教が滅亡した一因でしょう。

話を戻しますが、その仏国土のひとつが、西方にあるといわれる阿弥陀仏が説法をしている極楽浄土です。私達が住んでいる娑婆でも功徳をつみ一生懸命願えば、この仏国土に生まれることができるということが、浄土三部経に書かれています。極楽というのは地獄の対比ではなく、別の世界だということですね。

輪廻転生を待つ間というのは、明確にはなっていないですね。どうもインドの時間的感覚は私達には理解できません。

なにかご質問があれば私の知っている範囲でお答えしますよ。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
①輪廻解脱よりは、バラモン教からの抑圧の苦しみから精神的な面で解放されるための試み
⚫︎戦争を仕掛けてアーリア人を追い返す力はない
⚫︎かといって独立地域を作っても、その集団を守る力もない
⚫︎そこで、苦しみは心の問題であるとすることで、そこからの解放を考えた⚫︎正面切って反抗するわけではないので、バラモンからの抑圧もない
そう合理的に考えたわけだとは思っていませんが、行き着く先がそこにあったのだと思っていたのですが、輪廻を意識していたというのもなるほど納得できます。
②仏様のインフレ!おもしろい表現ですね。まさにそういう印象を抱いていました。大日如来という存在を知って、わけがわからなくなり、調べ始めたのですが、膨大な量の仏様が、時代や新宗派とともに新しく作られていったのには本当に驚かされました。
この欄を使って、さらなる質問をしてはルール違反かもしれませんので、別途、質問事項を投稿します。
気が付かれたら、また回答をお願いします。
ありがとうございました。

お礼日時:2018/07/06 20:04

釈迦自体はそういうことを言いませんでした。


彼は現世の悩みの解決のみを命題としていたからです。

しかし、インドは当時もそれ以前も、そしてその後もヒンドゥー教が主流の国です。
仏教は当時もそれ以降も社会から見れば「異端」です。
釈迦自身はそういうことを言わずに布教できたとしても、それ以降の弟子は力量も違いますし、考え方も微妙に違います。
あくまでヒンドゥー教が主流である以上、それに迎合しようとするのは当然の流れです。

ただし仏教がヒンドゥー化する過程については、いまのところ資料がないため解明できません。
大乗経伝ですら初期のものは「紀元前1世紀あたりまでに誰かがどこかで書いたもの」程度です。

輪廻転生についてはエジプトでも似たような話があり、少なくても当時は世界のスタンダードだったように思います。
私は仏教徒なのでその手の話は詳しくありませんが。
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この回答へのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。
なるほど、確かに布教を考えれば、弟子たちがヒンドゥー教に迎合するのは当然の帰結ですね。
シンプルな釈迦の教えが、仏教という巨大な哲学(宗教)体系に至ったことに驚き、その経緯が知りたかったのです。
私は、宇宙に興味があり、キリスト教などの系列は、神と人という対比で世界を見るのですが、仏教は「宇宙」をとらえているところに、実に興味深いものがあります。
ご親切に感謝します。ありがとうございました。

お礼日時:2018/07/06 17:01

>>釈迦の原始仏教には、極楽浄土や輪廻転生の概念はなかったように思えます。



書籍やネットで調べてみて、そう思われたのですか?
仏教が誕生する前のインドのバラモン教やヒンドゥー教では、輪廻転生の考え方がありましたよ。
また、釈迦の仏教は、もちろん極楽浄土や輪廻転生の教えがありました。
手塚治虫さんの仏陀を描いた作品にも、輪廻転生思想が書かれていたと思います。

なお、仏教の「無我」あるいは「無」の教えが「我が無いってのは、つまりは、自分が無い、魂が無い」ってことだろう?」という誤解した分派も生まれたようです。
その考え方は、輪廻転生する主体の魂が無いという理論でもあるから、それまでのバラモン教やヒンドゥー教の輪廻転生の考えを信じていた一般の人たちと対立する考え方です。
ですので、それがインド地方での仏教の勢いが衰える原因にもなったそうです。

現代の日本仏教大学も「無我とは、霊、魂も無いこと」という間違った考え方を教えているらしいです。
そういう状況を考えると、どの仏教宗派に共通した概念とはいえないように思えます。

また、古代エジプトでも、生れ変わりの思想がありました。だから、生れ変ったときの肉体用にミイラなんて作ったということですね。
(アニメ「鬼灯の冷徹」でもエジプトの宗教思想について、解説されていたと思います)

>>さらに転生を待つ間は、どこに存在しているとしているのでしょうか?

キリスト教やその前にひろまっていたユダヤ教でも、天国と地獄という考え方がありますね。
ただ、キリスト教の「終末論」、千年王国(至福千年期)の思想は、「輪廻転生」を否定しています。
世界が終末になったとき、良い行いをおこなった人の魂がよみがえって、至福千年を生きることができるとしています。
それまでは、人々の魂はすべての活動を停止しているってことみたいです。
人々が死後、天国というところで、新たに生まれるまで、楽しく過ごしているという「輪廻転生」的な思想はキリスト教では否定しているみたいです。
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この回答へのお礼

朝早くからの回答、誠に恐れ入ります。
私の質問のしかたが悪かったようです。
●釈迦の教え(原始仏教)の中には、極楽浄土や輪廻転生の考えが見当たりません。その後の弟子達の口伝や新解釈で、どの時代に、それらが取り入れられたのかとの意味でした。すみません。
詳しい説明を、ありがとうございました。

お礼日時:2018/07/06 16:46

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