プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

自分は存在していてほしいです
少なくとも存在する確率が0%にはなってほしくないです
やっぱり神秘のようなものは残っていてほしいし、謎も存在してこそ人間の想像力とかは豊かになっていくと思うんです

全部科学的説明が出来てしまうと何も夢のない世界になってしまう

A 回答 (13件中1~10件)

だからお墓参りをしたり、神社詣でに出掛けたり、家に仏壇・神棚置いて崇拝するのでしょうね。


中には宗教に凝る人もいるでしょうね。
愛する人・親しい人が亡くなれば、これからも当家の守神として空から見守っていてねになるでしょうね。
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確立100%で存在し続けます



宗教的にではなく
科学的に論じられます

科学では
原因と結果の法則と
エネルギー不滅の法則があります
すなわち有るものが無になることはありません
変化し、存続するのです

生命とて同じ事です 生命だけは死ぬと無くなる、なんて言う例外は
科学ではありません

一人の人間の一生の行いは、科学的には消えません
情報として残り、それが原因で、それに似合う結果が出ます

因果応報、自業自得、 仏教ですが、科学です

死んでも情報は残ります
情報があれば、条件がととのえれば、再生します(生まれ変わる)

ここの④の「量子脳理論」にちょっと詳しく
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html
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同じく

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魂という漢字はあります。

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魂とは何かと言うと、それは卓越性の極致へ導く、卓越性を牽引するものではないかと思います。


例えば神業をもつ職人の職人魂や、一代で財を成すような豪商の商魂など。
これを、本来の意味とは離れるが、良く言い表した言葉として、俗に、"哲学"などと言う場合もあります。

他方、魂はたしかにスピリット(精神)やプネウマ(霊)などの訳ととして使われることがありますが、現代実在する魂とは先述したようなものになるかと思います。人間はこの魂によって様々な職能を得て職域を確保し、人生を築き上げていくと言うのが大体の筋道であり、この魂を欠損すると病気になったり事故にあったりすると言われます。要するに、自分の生きる道を見失うと、魂を損なうことに通じてしまい怪我をすると言うことでしょう。
原始時代に近い、ネイティブ・アメリカン達を例にとると、自然と共に行かなければ生きていけない彼らは、現代社会とは異なった魂のあり方を獲得しており、それによって"自然"に通じていたと考えられます。

ところで哲学(フィロソフィ)の中には、何故生きるのか、如何に生きるべきか、や、死生観など、この魂の存在する前提を問うものが少なくありません。この事により、哲学的問いを抱えた人の中には、魂を欠損してしまう人も幾らか出ると考えられます。

この魂の欠損を修復するにはどうするのか、或いはその事自体を超越するにはどうするのかと言うのを、私は一つの課題としています。

生存することが全てではないと考えるので、魂が揺らぐ。生存することが全てであると考えると死を超えられない。これはあの世や輪廻を肯定する意味ではなく、死というものをどう捉えて生きているかと言う現実の人間の有り様に影響する話です。
しかし、あの世や輪廻を否定する意味も持ってはいません。

生存する事が全てであるなら、善く生きることは問われない。人間とは?と言うことも問われない。道についても徳についても問われない。

しかし現実には、これらについて問うことの方が実際の生存にも適していたのだと考えられるのです。これらの問いが無ければ高度な社会は成り立たない。ただ生存のみを肯定する様な社会においては、生き残る為ならなんでもありの社会になるからです。その様なものは社会とは呼べない。

つまり、人がこの様な、生存を凌駕するものを求める故に、魂は不安定となるが、それ故に、今に見る様な、人生に意味を見出せる社会を構築することも出来るのです。

欠損した魂の処方箋とは、健全な社会を構築し、またそもそも健全な人間を作り出すものであり、それが魂へ全傾する生き方を否定する事なく超えるものとなる、その様なものであるでしょう。

つまり、哲学をするリスクとその克服は抱き合わせに存在しているようです。

総括すれば、
哲学が魂を否定し、哲学の目的が達成される事で一度否定された魂が否定される事なく超えられる。魂の起動する背景を、魂や只の生存ではない、人としてまともに生きる事に据える事で、安心して生きられるようになると言うことなのかなと。この様に、今思います。
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森の魂とか、魚の魂とか、宇宙の魂とか、人間の魂とか色んな魂がありますよ。



焼き払って消滅させたら魂もなくなるでしょうけど。

謎ならいくらでもあります。科学や哲学の理論は仮説ばかりですよ。
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《たましい》は 多義的です。

定義を連ねてみます。

○ たましい:

 (1) 身体組織としての感性 

 (2) こころ 

 (3) 霊

○ こころ:

 (1) 感覚を意識し 認識すること。また 認識した内容。 

 (2) いっさいの認識をもとにして 自己および他者あるいは世界に相い
   対するとき人間存在に生じるはたらき。

     これは 好悪の感情や喜怒哀楽の気持ちであったり こころ指し
   (志)であったり あるいは要するに 《わたし》という意識そのもの
   であったりする。

 (3) さらには たましいが霊としても捉えられる場合としての心がある。

     これは 肉(つまりこの場合 精神および身体を言う)をあたかも
   超えて伸び広がるかに思われるところがある。→《信じる》

○ 信じる(信仰):

  非経験思考のこと。すなわち 経験思考に非ざること。という場が想定で
  きるかも知れない。

  または 表象しえぬものをわざわざ思うこと。ただしその表象し得ぬもの
  をも 言葉などその代理によって表象すると主張することがある。

  あるいは 絶対とわれとの関係を言う。→《絶対》

○ 絶対:

  そういう想定である。経験的な相対世界を超えたところと規定し 想定す
  る。思考を超えている。《考える》を超えるこころのはたらきは 《信じ
  る》と呼ばれる。

  それは 有神論と無神論とに分かれる。どちらも 互いに同等である。信
  仰であり その形態が 有神と無神とで分かれるのみ。

  つまり《神がある》と言うのも《神がない》と言うのも ともに《信じる》
  の領域を捉えて言おうとしている。なぜなら 《絶対者》は表象しえぬゆえ。

○ 肉:

 (1)身体 

 (2)身体および精神 すなわち 経験的な存在の全体

○ 精神:

  こころのこと。特にこころの(2)のはたらきとして 基本的に 記憶・知
  解・意志の三つの行為能力を言う。

  ( a ) 記憶行為:

     精神の秩序。感性内容を意識し記憶する。意識内容を知解行為が
     加工したものをも記憶する。

     その組織・その過程。

     先験的に 存在じたい もしくは その自然本性じたいの秩序を  
     司ると思われる。

  ( b ) 知解行為:

     記憶組織という宝庫から ものごとを捉えて認識し さらにあ
     らたな整合性をもった認識内容につくる。

  ( c ) 意志:

     大きく広く 直接的にせよ間接的にせよ 記憶および知解を行為
     するときに すでにそれらを促すように発動していると思われる。

     知解行為の結果(つまり選択肢)から取捨選択しその内容を み
     づからの意志(おもむくところ)として判断し決定する。実行に
     も及ぶ。 

○ 三一性:

  これら記憶・知解および意志の三能力行為は 経験的・時間的な行為を為し 
  他者のそれらと 社会的な関係をむすぶ。

  このとき 時間的な隔たりを持って 三行為は けっきょくのところ一体性
  を有すると考えられる。

  社会形態(一般に国家)にあっては順番に 司法・立法および行政という役
  割にそれぞれ 相当する。

○ 三位一体:

  これは 《絶対》という表象しえぬものを 人間のことばという代理物で 
  仮りに表象し仮りに表現しようとしたもの。

   ・記憶能力が 父なる神。

   ・そこから生まれる知解行為が 子なる神。

   ・それら両者から発出するかのような意志行為が 聖霊なる神。

  絶対の領域では とうぜんながら 三つのものは 一体である。

  三つのそれぞれの個は全体と 全体は各個と 各個は各個と それぞれ 等
  しい。無限の半分も無限であり 三分の一もやはり無限である。

○ 霊:

  《絶対》ないし《絶対者》のこと。

○ イエスはキリストである:

  霊なる神が 肉(精神および身体)になった。という物語。

○ 人間:

  このキリスト・イエスつまり 《かみ=ひと》 なる存在に似る存在者であ
  るが それは 霊なる神を分有するというかたちだとされる。

  《絶対》によってあたかも指先でのように触れられている。または その方
  向へ 〔こころの〕窓が開けられている。

  それが 《分有する》という意味である。

○ 人間は神の似像(にすがた)である:

  三位一体なる神のはなはだ不類似にしていくらかは類似する三一性をそなえ
  た人間。

  この人間は 神にかたどって造られたと表現された。

  一定の社会形態(国家)も 三権の分立かつ協業というかたちで一種の三一
  性を有し 似姿の様相を呈している。

   ・光源としての父なる神 ∽ ひとの記憶行為  ∽  司法

   ・発耀としての子なる神 ∽ ひとの知解行為  ∽  立法

   ・明・暖としての聖霊なる神 ∽ ひとの意志行為 ∽ 行政

 《光源・発耀・その明るさや暖かさ》は 《光》として 三位一体です。ひと
 の《記憶・知解・意志》あるいは社会としての《司法・立法・行政》は 時間
 的なずれを伴なった三一性を持つと考えられます。

 これが 《ひとは 神のかたちに似せて造られた》という表現の意味だと思い
 ます。

 

☆ 《たましい》に関して 哲学としては このような分類と認識になると考え
ます。文学的にはいろんなかたち あるいは神秘思想としてのかたちもあるかと
思いますが 触れません。どうでしょう?

《愛》は はなはだ抽象的な概念ですが 経験的な思考ないし行為として捉える
なら 《意志》の行為に当たると思われます。好悪や愛憎を超えて あたらしい
一歩をあゆむその志向性です。
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分子生物学で、ノーベル賞を受賞した


利根川進先生は、魂など存在しない、と
断言しています。

ワタシも存在して欲しいとは思いますが、
多分存在しないでしょう。

脳細胞が織りなすネットがあるだけです。

残念ですが。
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存在するよ。


でも火の玉は肉体から出たガスで違ったと思います。
肉体が亡くなって、魂が抜けていく動画があります。
亡くなる直前に秤に平等にかけて、亡くなると軽くなる記事も読んだ事があります。
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まず、科学で「魂」の説明などはしないし、科学の対象に「魂」は無いです。

(「意識」や「認識」などの、現象の生理的説明は可能かもしれませんが、その根源的な存在などは、証明も説明も不可能でしょう)
「魂」を扱うとしたら、宗教や、古典哲学の一部でしょう。(「理性」や「倫理」などは、現在の哲学でも対象です)
なお、「魂」があるから、「神秘」と言うわけでも無いです。(宗教は、「魂」を扱いますが、それは神秘的存在では無く、宗教的事実です)
科学も宗教も、「世界」の合理的解釈の方法です。(科学は、現象しか扱わないのに対して、宗教は現象以外も扱うと言う事です)
神秘的な内容を扱うとしたら、根源的な「自然主義」や、「スピリチャリスト」と言う事になります。
これらは、キリスト教的世界観や、科学の立場からしたら、啓蒙されるべき対象となります。(なお、啓蒙は、差別的な用語とされるので、現在は啓発などで言い換えられる場合があります)
なお、上記のとおり、科学的説明は、「魂」を扱えませんし、宗教の場合は無条件に受け入れるだけで、説明などは不要です。(科学も宗教も、基本的にはそこで説明されている以上の内容は説明しません)
夢は想像力の事だと思いますが、科学はその限界において、想像力を制限する事はありません。(現象の理解であって、現象以外については言及できないだけです)
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