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不思議な力を持つ人に、
「あなたは魂が古く、おそらく今生で終わりです」と言われました。

私はここ何年か悩んでおり、スピリチュアルな本を読んだりしていたので、魂の学びのために輪廻転生をするということは信じています。
ただ人が苦手というか社会オンチ?みたいな所があって(手探りで人とかかわっている感じ)、とても悩んでいたことがあるので、学びを始めたばかりの新しい魂なんだとばかり思っていました。(←この考え方も合っているのかどうかわかりません)

なので今回の人生で学びが終了するとは思えないというか・・・

具体的には「今生で終わり」な人ってなんなのでしょうか?

非常にあいまいな質問になってしまいましたが、この方面について詳しい方のご意見をいただければと思います。
よろしくおねがいします(__)

A 回答 (6件)

opi777さん、こんにちは。



僕は、宇宙学で
この世(三次元の現世)とあの世(四次元の霊界)の
道理を学び始め、約10年経つ者です。
その観点から、回答を試みたいと思います。

あらゆる生命は魂の進化のために生きております。
まず、僕たち地球人は人間としてどんな進化段階にあるのか、
ということをまず知る必要があります。

僕たち地球人は、
「人間」という形態に宿れるレベルにまで進化してきた魂(本体)です。
人間以降の進化段階は次の通りです。

未開人類 (理性を有してから幾十万年を経た魂)

不良人類・霊界人 (幾十万年~幾百万年を経た魂)

優良人類 (幾百万年~幾千万年を経た魂)

上級人霊 (幾千万年~幾億年を経た魂)

高級霊人 (幾億年~幾十億年)

高級霊  (幾十億年~幾百億年)   

聖霊   (幾千億年)

神々

この中で、不良人類と霊界人は
三次元のこの世と四次元の霊界を交互に輪廻転生して進化します。
また、優良人類と上級人霊は
三次元と四次元の上級霊界を交互に輪廻転生して進化します。

僕たちのこの地球地上は、今まで、
未開人類と不良人類の住む地であったわけです。

ところが、この地球という星は少々、特殊な星でありました。
宇宙間で優良人類が住む星はたくさんありますが、
その中で稀に「我(が)」と「欲」を露呈して、
周囲に迷惑をかける(魂としては進化レベルをおとす)人たちが現れます。
この人達を一括して降ろし、
再修業のための「道場」となった星がこの地球であったわけです。
ですから、この地球という星は、
魂レベルでの人種のるつぼであるわけです。

ところが、地球はその不良星としての役目を終え、
優良星に進化することになっております。


>具体的には「今生で終わり」な人ってなんなのでしょうか?

けっして暗い方向に意味を取り違えてはならないのですが、
非常に特殊な例を除いて、魂が消滅することはありません。
僕たち生命は、
その本体である魂を永遠に進化向上させてゆく存在です。

その魂が、不良人類と霊界人を輪廻転生するレベルの学びは、
「今生で終わり」
ということです。
(先ほどの進化段階を参照してください。)

このレベルを終えた人
(我欲を捨て去った人、あるいは捨てようと努力する人)は、
死後、地球の霊界上層で暮らし、
地球が浄化を経て優良星となった後、
地球地上に転生する人もあるでしょう。

または、我欲を捨て去り、
元いた星への帰還が許される人もいるわけです。

僕たち人間は、魂のさらなる進化向上のために、
「常に『今』を生きる」生命体なのです!!
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この回答へのお礼

とても興味深く読ませていただきました。
よく理解できました。

>地球はその不良星としての役目を終え、
優良星に進化することになっております。

聞いたことがあります。とても待ち遠しいですよね。

>地球が浄化を経て優良星となった後、
地球地上に転生する人もあるでしょう。
>または、我欲を捨て去り、
元いた星への帰還が許される人もいるわけです。

どちらかになれたらいいですね^^
私ももう少し、勉強してみようと思います。
ご回答、本当にありがとうございました。
とても参考になりました^^

お礼日時:2005/05/17 06:26

蛇足ですみませんが・・・。



昔から歌は心(魂)の故郷といいますが、
「椰子の実」はきっと島崎藤村さんが、
心の奥(潜在意識)で、
元いた星への帰還を夢見た、望郷の歌なのだと思います。
僕は、心が沈んだ時には、この詩を口ずさみます。


  椰子の実

  作詞 島崎藤村

  名も知らぬ 遠き島より
  流れ寄る 椰子の実一つ
  故郷の岸を 離れて
  汝(なれ)はそも 波に幾月

  旧(もと)の木は 生いや茂れる
  枝はなお 影をやなせる
  われもまた 渚を枕
  孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ

  実をとりて 胸にあつれば
  新なり 流離の憂い
  海の日の 沈むを見れば
  激(たぎ)り落つ 異郷の涙

  思いやる 八重の汐々(しおじお)
  いずれの日にか 国に帰らん
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この回答へのお礼

この歌、はじめて知りました。

つい最近、島崎藤村の「夜明け前」を図書館で借りたばかりでしたので、とても驚きました。
偶然ですね^^
(偶然じゃないのかな?シンクロというものですかね)
yoh001さん、ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/18 13:46

>不思議な力を持つ人に、


>「あなたは魂が古く、おそらく今生で終わりです」と>言われました。
opi777サンの言われる不思議な力を持つ人、ですがどのような不思議な力なのでしょうか?確かに悟った人にはそれ相応の神通力が備わります。イエスキリストはじめ仏陀、モーゼ、過去の救世主、偉人、賢人、哲学者、スウェーデンボルグやエドガーケイシー、日本でも多くの宗教において中興の祖となられた方など神秘的な力を持った方もかなりたくさんいらっしゃいました。法力、観自在力、六大神通力は確かに存在いたします。
「不思議な力」のレベルにも大きな差(雲泥)があります。あなたが言われた事は仏教的に言うと観自在力の中の宿命通と言われる能力とおもわれますが、この能力は菩薩界上段階以上の悟りを得た人が発揮します。
日蓮や空海レベルです。その後大きな影響力を残した方たちの悟りです。マザーテレサでもそこまで入ってません。かなりの大人物です。言うだけであれば、ちまたのテレビに出ている占い師も言うかも知れません。日本では数多い邪教の教祖、幹部などよく言います。あのO教のA尊師も弟子に皆言ってました。
そういう事を売りにしている人はよく観察してみるとどこかおかしい、ただの変人であることが圧倒的に多いという事です。まずこれが一点。
>今回の人生で学びが終了するとは思えないという
>か・・・
魂は永遠の転生輪廻であります。大如来であってもおおよそ3000年前後で生まれているようです。我々の転生は一般的に300年前後といわれています。
釈尊が弟子の一人にそのような事を言ったと仏典に残ってるようですが、あくまで方便として言ったようです。
時間空間は、人間から見、考え、感じるところによれば、無限であり、永遠です。
神仏が魂の存在を願い続ける限り、魂修行は続く。と強く信じています。
>ただ人が苦手というか社会オンチ?みたいな所があ>って(手探りで人とかかわっている感じ)、とても>悩んでいたことがあるので
まさに魂修行の意味を知ってるじゃありませんか.
魂の傾向性のでこぼこを直したり、大きく輝かすために今世また生を受け、努力精進していくんだと思います。今世で終わりの人などいないと断言してよいとおもいます。もしいるとすれば、最大の罪、救世主や仏陀をきずつける者かも知れません。
永遠の魂の修行論につきましてはまた機会がありましたら。
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この回答へのお礼

見極める目も必要ですね。
hw4183さんは専門家の方なんですね^^
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/17 06:15

2です、


一カ所落としました。
つまり、仏教的に言うと、あなたが輪廻したいと思えば輪廻するんです。あるいは輪廻できるんです(インド人の発想ではしたくないというのが普通なんですが)。生まれ変わるか、解脱するかは最終的には自由です。ですので人々を救済するために、わざと輪廻する菩薩というも出てくるわけです。ダライ・ラマもそう信じられているわけですね。彼らは、理屈の上では、自らの意志で輪廻しているのですね。

この理屈で行くと、あなたがこの世で転生したいかどうか、死んでから選択してくださいということになります。希望すれば、好きなだけ出来ます。仏教の理想は輪廻をしないことですし、普通カルマに引きずられておしまいなので、机上の空論に近いですが、理論上はあり得る話ですし、菩薩はそう信じられているのです。

スピリチュアル系の理論で行くと、あなたはもうかなり成長しているらしいので、次の次元へ行ってください。ここにいても、学びがありません。魂は成長を欲していますので、次の次元へ止まらないで、進化を止めないで行ってくださいということになると思います。
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この回答へのお礼

なるほど、いろいろな考え方があるんですね。
自分が読んだ本からの知識しかありませんでしたのでとても勉強になりました。
qwerasdさん、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/17 06:09

こんにちは。


そんな知り合いがいるということ自体、何かスピリチュアルな引き合いを感じさせますね。

一度そういう人に会いたいもんだと思いつつ、見たことないです。私が一番怪しいクチですね。。

>体的には「今生で終わり」な人ってなんなのでしょうか?


ものの本によると、この地上ではおしまいで、もっと高次元の人生が始まるというのを読んだことがあります。精神的な要素が強くて、肉体的要素の低い世界だそうです。あるいは、古代インドの理想の境地のように、涅槃とか完全なる無になるという場合もあるかもしれません。こちらは普通ありえませんので、考慮しなくていいでしょう。その人が言ったのは前者の意味でしょうね。違う次元で学びが始まると言うことでしょう。

なお、ちょっと古代インド世界で説く輪廻と、お友達やあなたの言う輪廻の違いを説明しておくと、インド世界仏教世界では学びのための輪廻という考えはもともとありません。煩悩やカルマがあるために、「生まれてしまった」のが人間であり、様々な生き物です。学ぶ「ため」という目的論ではありません。人生の様々な問題は、学びのためにあるのではなくて、過去世になした行いが原因となって起きているものであって、それ以外の意味はありません。ですから、学んで成長すれば成長するほど新しい課題が出てくるという発想はありません。苦労している人が宿題が立派だとか、魂が成長しているという理屈も、ですから出てきません。原因となるカルマがあるかないか、それだけの話でしかありません。カルマを精算し終わると輪廻しなくなります。カルマの根本的な原因になっているのは、生まれたい、生きたい、存在したいという、存在欲求です。ですので、インド人に言わせれば生まれてきたものは、生まれたかったから生まれた、生まれる原因があって生まれたという意味しかないのです。ですんで、成長という発想は基本的には彼らにはありません。でもカルマを刈り取り、新たなカルマを作らないということは、結果的に成長と似ている部分がたくさんあるとは言えるかもしれません。我執や悪感情は、悪しき輪廻をしてしまうカルマをたくさんつくります。その反対は、解脱に繋がっていきますから。これを成長と呼ぶならそうですが、いろんなことを経験しなくてはいけないとか、カルマを精算する上で必要もないことまで背負い込んで学ぼうということではないのです。

生まれたくて生まれてきたのだけど、輪廻の生存は何かと苦しいので解脱しようというのが、インド(原始仏教)の考え方です。これが涅槃です。また新しい魂とか古い魂といった考えも、仏教やインドの宗教にはありません。

このごろ様々な本で説かれる魂が成長していくというスピリチュアルな考えとは、元来はかなり違うことに気がつくと思います。もちろん、スピリチュアルな教えが間違っていると言うことではなくて、彼らの本にもあるように、古代インドの価値観に沿って、教えが開示されたのかもしれません。今私が書いたのは、残っている文章や歴史上の思想の違いを言っただけなのです。

それで、そのお友達はたぶんこれからあなたは別次元の人生を歩むという意味で言っていますが、解脱はともかく、言っている無いようを、あえて既成仏教で言うと天上界から上に登ってもう下界にはおりてこない人や極楽の住人となるというのに近いかもしれません。レベルの高いものが、違う世界に転生していくという、その点に限って言えば、別に、近頃作ったものでもないと思います。
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「あなたは魂が古く、おそらく今生で終わりです」と言った本人に聞かないとわかりません。



ただ僕が言いたいことは、人が苦手だろうが、社会オンチでとても悩んでいた経験があっても、魂に新しいも古いも関係ないと思います。
誰だって人間関係や社会関係について悩みます。僕自身そうです。毎日毎日悩んでます。なんせ正真正銘の無職ですから。だからといって、それが魂の新しい・古いにどう関係するのでしょうか?なぜなら、社会なんて時代によって全然変わります。もし今が江戸時代であれば、士農工商の身分制度上、商人の家に生まれていたら商人に僕はならざるえないわけだし、武士に生まれれば武士になっていたでしょう。そのことについて悩むことがあっても、法が厳しくそれに従うしかなかったと思います。つまり就職で悩む必要がなかった。

人間関係が得意、社会に融通しているなんて、それは経験を積めば積むほど得意になり、融通がきくようになるでしょう。僕が思うに、opi777さんは人間関係や社会関係をもっと上手くなりたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。それについては誰でも悩みますよ。

僕が言うには、魂に新しいも古いも関係ないですね。「今生で終わり」と信じるのなら、「悔いのないよう生きなさい」という意味なのではないでしょうか。つまり、死んだ先のことに悩む余裕があるのなら、悔いが残らないような生き方を実行しなさいという意味なのではないでしょうか。もし人間関係に悩んでいらっしゃるのなら、得意・不得意に関係なく実行すればよいのではないでしょうか。もし、人間関係が苦手なことに悩んでいらっしゃるのなら、それに気づくことができているわけです。つまり与えられた試練に気づくことができた。多くの人は気づきを無視します。それに気づくことができ、それに対して逃げることなく真正面から向き合う勇気があるとすれば、あとはその試練に挑戦するのみです。そうすれば、今想像できない自分がそこに待っているでしょう。
繰り返します。悩みがない人間はまずいません。人間だからこそ悩むのです。それを卑下したりする必要はまったくない。魂とは、それを学ぶためにあるのではありません。信じるためにあるのです。輪廻転生などシステムを信じるのは人それぞれの自由ですが、しかしシステムを知ったからどうにかなるわけでもありませんよ。それよりも、今ある悩みを明確にして、それに対して真摯に向き合い、どう乗り越えるかをはっきりすることに真実があります。僕にとって魂とは、時空間を超えた次元に存在しているので、新しいも古いもないと考えます。新しいも古いも時間があって初めて生まれる概念ですからね。ただ自分を信じるのみです。
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この回答へのお礼

vagabond_0710さん、良くわかりました。
担任の先生に励まされたような感じで元気が出ました^^
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/17 06:06

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