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馬を洗うときは馬の魂が澄み切るほどに心を込めて洗ってやるのがいい。それと同じように、人を思うときは、恋心が募って人を殺めてしまうかのごとく狂おしく愛することだ。

と、この歌は言っているのでしょうか。

A 回答 (3件)

一体、どなたの作かわからないのでしょうか。

梁塵秘抄に影響された、鎌倉時代の戯れ歌だと仮定してみると、私には、尼将軍と呼ばれた北条政子の生き方を謡ったようにみえます。素人の、勝手な想像をめぐらした、お楽しみ解釈ですので、本気になさないように、お読みください。

のちの歌舞伎の世界での、”富士の巻き狩り”、そして、曽我の敵討ちへの熱狂ぶりから、(富士の巻き狩りで源頼朝の暗殺計画があったらしいと知り、)実際に、頼朝は殺されたんじゃないかと思っていました。

そして、妻の政子の実家、北条氏の政権が安定するまで、頼朝の血脈は、たとえ、政子の血を分けた子供たちでも、徹底的に排除されます。どうしても、地元の武士よりも、京都の朝廷を敬ったことが、嫌悪されました。

政子は、知っていて、それを許したんじゃないか、と、想像しています。武士の世をつくる、という、その一点が、ブレずに趣旨一貫していて、私の中では、北条政子は、目覚ましくも、恐ろしい女なのです。

源氏が全滅したのち、尼になった彼女は、鎌倉から弘明寺まで参拝に出かけます。途中、現在の横浜郊外に、馬洗川というところがあり、尼将軍が、鎌倉に上る前に馬を洗う二人の武士を見て、失ったわが子や孫を思い、言葉をかけた、という伝承が残っています。

彼女は、彼女なりに、政争で殺されてしまった夫や子供や孫たちを、鮮烈に愛していたでしょう。でも、残念なことに、彼らは、武士の世を切り開いてゆくゆくビジョンがないボンクラでした。自分や弟のほうがはるかに先見の明があった。

そんな物語を書くと、戯れ歌に、面白い陰影が付くと思います。

北条政子の本質は、奔流のような熱情と徹底だった、というふうに、解釈してみます。結果、愛するものすべてを殺してしまいました。
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この回答へのお礼

すみません。作者がわからないままに
質問してしまいました。
No.1さんによると、塚本邦雄という人です。
しかし、北条政子もしたたかな女性だったのですね。
>本質は、奔流のような熱情と徹底だった
個性的でダイナミックな解釈だと思いました。

お礼日時:2019/05/14 18:42

比喩ですから、現実にそうするかは別問題ですが、心底愛しなさい、という点では同じ趣旨です。

この歌はそのように言っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
心底愛しなさい、という意味ですね。
比喩の中で語られているので
難しいです。

お礼日時:2019/05/14 18:32

▲ TapanuliFever


https://ameblo.jp/baritsu/entry-11564532604.html

☆ このサイトで 解説を読みました。

すべてを端折りまして―― 一点だけ触れるなら 馬は供犠において
すでに死んでいるのだ だから 下句のあやめるにつながると言っ
ていましたが でも―― 何だかなと思ったことのみをしるします。


★ 馬の魂が澄み切るほどに
☆ と
★ 恋心が募って人を殺めてしまうかのごとく狂おしく
☆ とは どうもヱクトルの方向がちがうように感じられます。

たましいが澄み切ったなら たとえ狂おしい感情に成っても・その
中にあっても 目の前の現実がはっきりと見えているのではないか
とは 思うのですが。存在をあやめる方向にはすすまないような気
がします。


いぢわるぢいさんよろしく 作品にケチをつけてしまった恰好です
が。
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この回答へのお礼

私もほんとうのところはよくわからないのです。
ふと、この歌が心に浮かび、そのまま質問してしまいました。
はやまってしまったと思います。

お礼日時:2019/05/14 18:30

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