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「逆は必ずしも真ならず」という言葉がありますが、これって間違ってませんか?

「逆」とか「真」ってことは、命題のことを言っていますよね。
その命題が真とは限らないよ、と。
「A⇒B」が真だからといって、「B⇒A」が真だとは限らないよ、と。

「B⇒A」というのは、「Bならば必ずAになる」という意味ですよね。
これ、実は、常に「偽」なんです。
なので、「必ずしも真ならず」という表現は変だと思うんです。

ただし、AとB、二つの条件が同値の場合は真になります。
だから、「逆は必ずしも偽ならず」なら言えると思います。

いかがでしょうか?

このことに気づいて発信してる組織はありますか?
教育現場では、どのようになってますか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    AとBが同値ではないとき ーー 。

    「B⇒A」という命題の真偽というものがあります。
    「B⇏A」という命題の真偽というものがあります。
    そして、これは、どちらも、「偽」です。

    違いますか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/13 21:38
  • どう思う?

    Bであれば必ずAだと思ってしまってる人は多いでしょうね。
    それを戒める場合、
    「Bだからといって必ずAになるとは限らないよ」って言うのなら間違っていません。
    また、「BならばAとは限らないよ」と表現することもあるでしょう。
    ここで気をつけたいのが、『「BならばA」とは限らないよ』と読んでしまうことです。
    逆命題「B⇒A(Bならば必ずA)」は必ずしも真ではないんだよ、と。
    これは、明らかな誤謬です。
    言葉として正しくないんです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/13 21:56
  • つらい・・・

    ごめんなさい。
    勉強不足で、 "∀A,∀B,(A⇒B)⇒(B⇒A)"  の意味が分かりません。
    教えてください。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/13 22:12
  • うーん・・・

    ほとんどの場合、二つの条件は同値ではありません。
    だから、基本、逆は偽なのです。
    しかし、例外として真の場合もあるので、
    「逆は必ずしも偽ならず」となるのです。
    「逆は必ずしも真ならず」も、厳密に言えば嘘とは言えませんが、
    敢えて言うのに相応しい言葉ではありません。
    っていうか、「必ずしもBならず」ということが言いたいはずなのに、
    それが正しく表現できてないよ、ということです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/14 00:42
  • > っていうか、「必ずしもBならず」ということが言いたいはずなのに、

    【訂正】

    っていうか、「必ずしもAならず」ということが言いたいはずなのに、

      補足日時:2019/02/14 00:47
  • 「逆は必ずしも真ならず」という言葉は、外国でも言われてるんでしょうか?

      補足日時:2019/02/14 00:53
  • 「Bだからといって必ずしもAとは限らない」を具体的な事例で説明しましょう。
    「愛知県の市だからといって必ずしも名古屋市だとは限らない」。
    これは正しいですよね。
    しかし、
    「愛知県の市であるならば(必ず)名古屋市だ」は、偽なんです。
    この例に限らず、元の命題が真のとき、逆(命題)は必ず偽になるんです。
    逆(命題)は、「必ずしも真ならず」どころか、「常に偽」なのです。

    お分かりいただけたでしょうか?

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/14 02:07
  • ムッ

    同値の場合に真になることは既に書いてあります。
    だから、「逆は必ずしも偽ならず」。
    愛知県の市だからといって名古屋市の場合もあれば名古屋市でない場合もある、
    必ずしも(常に)名古屋市とは限らないよ。
    ってことが、ホントは言いたいわけですよね。
    それを、逆(命題)は、真の場合もあれば偽の場合もある、
    必ずしも真ならずなんだと言ってしまってる誤謬に皆は気づいてるのかな、ということです。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/14 11:45
  • そう、「いつもそうであるとは限らない」と言ってしまってるんです。
    であるならば、だいたいの場合で「そうである」必要があります。
    愛知県の市と言ったときに第一に思い浮かぶのは名古屋市です。
    その前提があって、「しかし、いつも、そう(名古屋市)であるとは限らない」となるわけです。
    さっき調べたら、「愛知県の市ならば名古屋市である」と思ってしまうような誤謬のことを「後件肯定」というらしいですね。
    この「後件肯定」を戒める言葉として「逆は必ずしも真ならず」は不適切なんじゃないの?というのが僕の主張です。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/14 13:47


  • うーん。
    僕の言わんとしてる趣旨が伝わってないようです。
    「名古屋市民だったり名古屋市民じゃなかったり」すれば、
    どちらがどんな頻度であろうと、
    「必ずしも名古屋市民ではない」という言葉は成り立ちます。
    「必ずしも知多市民ではない」も成り立つのです。
    しかし、「必ずしも真ならず」の場合は、勝手が違ってきます。
    ほとんどの場合、二つの条件は同値ではありません。
    出していただいた蕎麦屋の例のほうは、例外的な同値の場合です。
    なので、逆という命題の真偽について言及したいなら、
    「逆は必ずしも偽ならず」となります。
    しかし、そもそもが、そんなことを言及したいわけではないはずです。
    二つの条件が同値ではなく、「AならばB」が真の時、
    「BだからといってAとは限らないよ」と言いたいのです。
    これは、取りも直さず、「逆は必ず偽だよ」の意味なのです。


    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/14 21:19

A 回答 (17件中1~10件)

#14です。



>二つの条件が同値だと、そもそもの趣旨(後件肯定の誤謬を戒める目的)の、
「愛知県民だからといって名古屋市民だとは限らないよ。
名古屋市民かもしれないし、名古屋市民じゃないかもしれない。」
ってことが言えなくなってしまいます。

ですね。
二つの条件が同値の場合は、「逆もまた真なり」です。
「後件肯定の誤謬を戒める目的」に特化したければ、「逆は真ならず」となるのはおっしゃるとおり。
「逆は必ずしも真ならず」は、これら両方の場合を想定している表現というだけのことです。
「逆は必ずしも真ならず」自体に欠陥があるわけではない。

ただ、「後件肯定の誤謬を戒める目的」で、「逆は必ずしも真ならず」と言うのは間違っている、というのはおっしゃるとおり。
この点、案外気づかれにくいことで、あなたのご指摘は有意義だったと思います。
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この回答へのお礼

>「逆は必ずしも真ならず」は、これら両方の場合を想定している表現というだけのことです。

偶然、そうなってるだけだと思いますよ(^-^)。
「逆は偽」という言葉を聞いたことがないですからね。

まあ、好意的に、最大限、イマジネーションを膨らまして考えると、次のようなことは浮かびます。

先に「逆もまた真」という慣用句があった。
それが多用される中で、誤用も目立つようになった。
そのアンチテーゼとして「逆は必ずしも真ならず」という言葉が生まれた。
最初は良かったが、これも徐々に誤用されるようになり、もっぱら誤用のほうで使われるようになった。

さて、どうなんでしょうね(^-^)。

お礼日時:2019/02/15 19:22

#16です。



>>実際問題として「愛知県民であると同時に名古屋市民」という人はいるわけですから、その点で数%は「逆もまた真なり」と言って構わないはず。

なぜですか?
まったく腑に落ちません。

そう思ってしまうのが人情でしょう、という意味です。
あくまで、
「逆は偽なり」ではなく「逆もまた真なり」と表現するのはなぜか?
に対する推測です。

>“ 「逆もまた真なり」とは、例えば、
「学校の勉強は役に立つ」というのを真実と捉える一方、
「学校の勉強なんか役に立たない」という「逆」もまた一面の真実を突いているでしょう、という事ではないかと思います。 ”
僕は、この考え方が妥当だと思います。

間違いではないですが、「逆は必ずしも真ならず」の本来の意図とはかけ離れてしまうでしょうね。

「AならばB」なら「BならばA」という場合も多いので、常にそうだと思いがちだが、それは違う。「ならば」という条件式が常に「逆もまた真」になるわけではない。

という意図を表わしているのが「逆は必ずしも真ならず」という表現。
「人間の心理として~と思い込みがちだが、しかし、そうではない」
ということを示すのが本旨であり、それがこの表現の存在理由ではないかと思います。

>一方、「逆は必ずしも真ならず」のほうは、やはり、
後件肯定の誤謬を戒めようとしたが、的を得ない表現をしてしまって生まれた言葉のような気がしてなりません。

その点は同意する旨、申し上げたと思います。

「名古屋市民であるなら愛知県民である」の逆「愛知県民であるなら名古屋市民である」は偽である。

これを説明するのに、「逆は必ずしも真ならず」を持ち出すのは、おっしゃるとおり誤りだと思います。
しかし、ある特定の事柄ではなく、あくまで論理式全般として、

「AならばB」と言う場合に「逆は必ずしも真ならず」で、常に「BならばA」となるわけではない。

という意図で使われるのが本来のはず。
この点については、十分に的を射ていますよね。
「AならばB」と言う場合に・・・、と切り出す場合には、当然、
「12時ならば鳩が12回鳴く」
「名古屋市民なら愛知県民である」
の両方のケースを想定する必要があるわけですから。
ここをご理解いただきたいものです。
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この回答へのお礼

> 間違いではないですが、「逆は必ずしも真ならず」の本来の意図とはかけ離れてしまうでしょうね。

「逆は必ずしも真ならず」ではなく、「逆もまた真なり」の意味の話です。

> 「AならばB」なら「BならばA」という場合も多いので、常にそうだと思いがちだが、それは違う。

多くないです。
圧倒的に、両条件が同値ではないことのほうが多いです。

> その点は同意する旨、申し上げたと思います。

正しい使われ方が先で誤用が後、ではなく、
最初から間違った表現として生まれた代物だというのが、僕が言わんとした趣旨であり、あなたはそれには同意しないですよね?

現に、僕の経験では正しい使われ方に遭遇したことはなく、
今回僕が、例外的な同値の場合のみ「逆は真」、よって「必ずしも偽ならず」、裏を返せば「必ずしも真ならず」ということを示したので、運良く浮かびあがったにすぎません。

お礼日時:2019/02/16 05:40

#15です。



>まあ、好意的に、最大限、イマジネーションを膨らまして考えると、次のようなことは浮かびます。
先に「逆もまた真」という慣用句があった。

それは違うと思いますね。

(ア)二つの条件が同値の場合(「12時ならば鳩が12回鳴く」)⇒100%「逆もまた真なり」です。
(イ)二つの条件が同値じゃない場合(「名古屋市民なら愛知県民である」)⇒たしかに「逆は偽」ですが、実際問題として「愛知県民であると同時に名古屋市民」という人はいるわけですから、その点で数%は「逆もまた真なり」と言って構わないはず。

(イ)の場合は両方の可能性があるわけですが、(ア)の場合は「逆は偽」となることが一切ない、という点が重要。
つまり、確率的に「逆もまた真なり」と言えるケースが多い。
慣用句ではなく確率から出てきた必然と捉えるのが自然でしょう。
それゆえ、「AならばB」という命題を示されれば、人間の心理として「逆もまた真なり」と思い込みがちである。
それを戒める意味で「逆は必ずしも真ならず」という言い回しが普及した(のでは?)。
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この回答へのお礼

> 実際問題として「愛知県民であると同時に名古屋市民」という人はいるわけですから、その点で数%は「逆もまた真なり」と言って構わないはず。

なぜですか?
まったく腑に落ちません。

それはさておき、以下のこのような記事を見つけました。

“ 「逆もまた真なり」とは、例えば、
「学校の勉強は役に立つ」というのを真実と捉える一方、
「学校の勉強なんか役に立たない」という「逆」もまた一面の真実を突いているでしょう、という事ではないかと思います。 ”

僕は、この考え方が妥当だと思います。

一方、「逆は必ずしも真ならず」のほうは、やはり、
後件肯定の誤謬を戒めようとしたが、的を得ない表現をしてしまって生まれた言葉のような気がしてなりません。

お礼日時:2019/02/15 21:01

#12です。



あなたのおっしゃりたいことがだんだんわかってきたような気がします。

「名古屋市民であるなら愛知県民である」の逆「愛知県民であるなら名古屋市民である」は偽である。
偽なのだから、この場合は、「逆は必ずしも真ならず」ではなく、「逆は真ならず」と表現すべきだ。
一部の愛知県民が名古屋市民であるかどうかなどは、何の関係もない。

ということですよね?
それは、まったくおっしゃるとおりだと思います。
ただ、「逆は必ずしも真ならず」の意味を若干取り違えておられるようです。

「12時ならば鳩が12回鳴く」
「名古屋市民なら愛知県民である」
という2つの命題はどちらも真です。
そして、
前者は「逆もまた真なり」であり、
後者は、あなたのおっしゃるとおり「逆は真ならず(偽なり)」です。

このように、「AならばB」という命題において逆が真である場合も偽である場合もある。

「AならばB」という命題において、常に「 B ならば A 」となるわけではないし、常に「 B ならば Aではない 」となるわけではない。
これを一言で言うなら、

「逆は必ずしも真ならず」

となる。

「名古屋市民であるなら愛知県民である」の場合、おっしゃるように「逆は真ならず(逆は偽である)」です。
しかし、これは、「逆は必ずしも真ならず」のうちの、「逆は真ならず(逆は偽である)」の例だということであり、「逆は必ずしも真ならず」自体が間違っているわけじゃない。
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この回答へのお礼

だから、僕は最初から、「逆は必ずしも偽ならず」ということを書いてます。
百歩譲って、厳密には「逆は必ずしも真ならず」も言えますが、敢えて言う言葉ではありませんよね!?
また、繰り返しになりますが・・・、
二つの条件が同値だと、そもそもの趣旨(後件肯定の誤謬を戒める目的)の、
「愛知県民だからといって名古屋市民だとは限らないよ。
名古屋市民かもしれないし、名古屋市民じゃないかもしれない。」
ってことが言えなくなってしまいます。
なので、同値ではない場合を言わなくてはなりません。
そして、そもそもの趣旨を「逆は必ずしも真ならず」という言葉は、表せてないのです。
欠陥があると言わざるを得ないのです。

お礼日時:2019/02/15 12:38

とりあえず


「Bだからといって必ずしもAとは限らない」を具体的な事例で説明しましょう。
のくだりはなにをいっているのかさっぱりわからない.

そこの部分で, なにとなにが「逆」だといっている?

そもそも「逆」の意味を理解できているのか?
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この回答へのお礼

それでは、もう一度。

「Bだからといって必ずしもAとは限らない」を具体的な事例にしてみましょう。
例えば、「愛知県民だからといって必ずしも名古屋市民だとは限らない」。
これは正しいですよね。
しかし、
『「愛知県民であるならば(必ず)名古屋市民だ」は必ずしも真ではない』ってのは変ですよね。
「愛知県民であるならば(必ず)名古屋市民だ」という逆(の命題)は、単純に、偽なんです(真ではないんです)。
この例に限らず、二つの条件が同値ではなく、元の命題が真のとき、逆(の命題)は “ 必ず ” 偽になるんです。

お礼日時:2019/02/15 04:09

#11です。



>僕の言わんとしてる趣旨が伝わってないようです。

そのようですね。
どうも失礼。

>二つの条件が同値ではなく、「AならばB」が真の時、
「BだからといってAとは限らないよ」と言いたいのです。
これは、取りも直さず、「逆は必ず偽だよ」の意味なのです。

『二つの条件が同値ではなく』という点にこだわっておいでのようですが、同値の場合にも「A ならば B 」と言えますよね?
「12時ならば鳩が12回鳴く」⇒「鳩が12回鳴けば12時だ」
この場合、「逆は必ず偽だよ」とは言えないと思いますが、いかがですか?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
二つの条件が同値だと、そもそもの趣旨(後件肯定の誤謬を戒める目的)の、
「愛知県民だからといって名古屋市民だとは限らないよ。
名古屋市民かもしれないし、名古屋市民じゃないかもしれない。」
ってことが言えなくなってしまいます。
これは、逆は必ず偽だよ(B⇏A)と言っているんです。
「B⇒(A or notA)」ではあるけれども、
「(B⇒A) or (B⇒notA)」でも、
「(B⇒A) or (B⇏A)」でもありません。
任意の命題に対して、偽の場合もあれば真の場合もある、なんてことはないのです。
しかし、もちろん、偽になる命題と真になる命題、両方あるので、
「逆は必ずしも偽ならず」と言わざるを得ません、
が、それはまた、別の問題です。

お礼日時:2019/02/15 03:41

勝手ですが、みなさんとのやりとりを叩き台にさせていただきます。



>ほとんどの場合、二つの条件は同値ではありません。

ここにヒントがあるように思われます。
「名古屋市民なら愛知県民である(真)」⇒「愛知県民なら名古屋市民である(偽)」
のように、ほとんどの場合「名古屋市民≠愛知県民」なのだから、「愛知県民だからといって、必ずしも名古屋市民ではない」のは当然である。
「必ずしも名古屋市民でない」という表現は、ほとんどの場合「愛知県民=名古屋市民」である、という前提のもとで初めて正当性を持つ表現のはずだ。
だから「逆は必ずしも真ならず」という表現は不合理である。

こうおっしゃりたいのだと思います。
たしかに、この例の場合はおっしゃるとおりと同意できます。
ただ、『ほとんどの場合、二つの条件が同値』ということも往々にしてありそうです。
たとえば、「蕎麦屋なら蕎麦を売っている(真)」⇒「蕎麦を売っているなら蕎麦屋である(偽)」。
この場合は、「逆は必ずしも真ならず」と言って差し支えないでしょう。
どちらの場合も合わせて表現するには、これしか無い。
この言い回し自体に罪はないのです。
あとは運用の問題なのであって、「愛知県民だからといって、必ずしも名古屋市民ではない」という表現も、「愛知と言えば名古屋!」のような顔をしている名古屋市民に向かって言うなら、十分に成立するでしょう。
その相手は、ほとんどの場合「愛知県民=名古屋市民」である、という前提に基づいた認識に立っているわけですから。
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「逆は必ずしも真ならず」は数学や論理学での知識表現では無いと考えてます.


それらの知見をもとに作られた日本語表現での警句であると考えてます.

だから,「逆」とか「真」てことが命題を示していない.だから問題になってないと考えてます.
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
一理あるかとも思いますが、
数学の知見を元にし、しかも「逆」とか「真」という言葉を使っておいて、
本来の意味では使ってないよというのは、ちょっと無理があるように思います。
また、、例えば数学の授業で、論理を習っているときに、
先生が「逆は必ずしも真ならず」という言葉を使ったりします。
命題とか逆とか対偶という言葉の定義を習ってるときに使います。
これはいただけません。

お礼日時:2019/02/14 21:24

「逆は必ずしも真ならず」


というのは、
A ⇒ B does not always imply B⇒A
いつもそうであるとは限らない(そうでないとも限らない)と言っているだけです。

if A ⇒ B and A≠B then B⇏A
というは当たり前の話です。
この回答への補足あり
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>>逆(命題)は、「必ずしも真ならず」どころか、「常に偽」なのです。


こう言い切るところが、論理力の無さ。

同値の場合もあり、「常に偽」は成立しない。
「x=2ならば2x=4 」この逆は「2x=4ならばx=2」。逆も真。
どこが「常に偽」なんだ?

アホらしいから終わり。
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