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形容動詞という品詞が学校文法(橋本文法)で設定されているため、広辞苑を除き各辞書もこれに従っている。このため、本欄での品詞に関する質問の回答者も辞書の解説の引用、並べ替えをもって回答しようとする人々がこの誤った品詞観に依拠し回答するため、混乱、混迷することになる。

日本語教育文法もまた、形容動詞観をもとに、「ナ形容詞」と呼び換え教育に当たっているため、こちらも同根である。一番の問題は、学校文法にあり、この誤った品詞観に悩まされ、卒業後もこれに呪縛されていることである。これは、一般人のみならず、言語、国語、文法研究者もこの誤りを引きずり思考している。

この根源は、形式主義/機能主義的な現在の言語論、文法論と骨がらみとなり、橋本文法の機能的な品詞定義と癒着しているため、ここだけ正すということが困難であることも大きく関係している。

しかし、これを放置することは、益々文法論の混迷を招くだけであり、本欄での回答の混乱、混迷に繋がっていく。

最近の事例に基づきこの混迷を指摘し、文法関連の回答者の意見を問うものである。

格好の事例が、≪「無意識{で/に}やる」「真面目{で/に}取り組む」≫である。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11208724.html

ここでは、<大前提として「真面目に取り組む」の「真面目に」が、形容動詞であっても、名詞であっても、大きな違いはない。ただ、この場合は形容動詞と考えるのが一般的ではないか、と思います。名詞と考える理由があるのでしょうか。>と質問されている。

これに対し、No.15の回答では、

>>真面目に」の品詞は
「真面目」だけでも使われますよ、このときの品詞は?、使い方が正しいかと言われれば確かに疑問もあります。形容動詞の活用語尾と断定の助動詞「だ」の活用の形が同じですね、なぜ同じなのかと考えてみる必要もありそうです。

>>形容動詞は非論理的な考え方で間違っている
これには、確かに同意しかねますね、これを言ってしまうと、個人的には動詞も否定する必要もありそうです
「姿・形」と「立ち居・振る舞い」、確か形容詞と形容動詞の違いを表す言葉だったと記憶しています。
形容詞はカメラで撮った静止画像で確認できます、実際は、硬い、やわらかい、・・視覚以外の五感で感じるものは画像では認識できませんが、五感が感じさえすれば認識できます/

と、形容動詞否定説に対し、論理的な根拠もなく、感覚的な回答、疑問と初歩的な品詞分類に対する謬見が披歴されている。

さらに、
>>ただ、言葉そのものは、動きに不可欠な時間そのものは表現できません、動詞でも同じです、動詞も形容動詞も動きについては概念を伝えるだけです。概念とは何だ?

と、言語表現の基本概念に対する無理解が示されている。

残念ながら、この程度の認識で文法の回答がなされ、議論されているのが現状である。

この疑問に正しく回答することが先ず第一で、その上で議論を進めないと最初の質問自体の回答には進めないのは明らかである。

①まず、「確かに同意しかねますね」という、形容動詞否定論とは何かを明確にしよう。

形容動詞説は、「綺麗だ」「平和だ」「健康だ」を一語とし、「だ」を活用語尾とするものである。しかし、活用語尾とは、次に続く語による語の形の変化であり、この変化により語の意義が変化するものではない。この点は、屈折語の屈折とは根本的に異なるところで、「be」が「is」や「was」に変化すれば、人称、時制の意義の変化を表すものである。

しかし、膠着語である日本語は「行く」が「行か」や「行き」に変化したところで「行く」に意義が加わり、意義が変化するものではない。単なる形の変化である。

「綺麗だ」と「綺麗に」は明らかに「綺麗」とは意義が異なる。「綺麗だ」は「綺麗」という属性表現の語に、判断辞「だ」が付加されたもので、判断の意義が加わっており、これを一語とするのは、日本語の単語の定義に反するものである。さらに、「綺麗が売りだ。」「健康が取り柄だ」の場合は、「綺麗」「健康」は実体認識を表しており、名詞である。つまり、「綺麗」「健康」が一語であり、形容詞と同じ属性認識を表す場合と実体認識としての名詞の場合があり、一語で、多義であることを無意識に認識し使い別けているのである。

②このように見てくれば、「個人的には動詞も否定する必要もありそう」でないことは明らかである。

「姿・形」と「立ち居・振る舞い」は連用形名詞の複合であり、形容詞、形容動詞とは無関係である。

③形容詞はカメラで撮った静止画像で確認できます

静止画像でなくとも、動画でも絵でも色は表現でき、この感性的な属性を概念化したのが語である。形容詞とは時間的に変化しない属性の表現であり、動詞とは時間的に変化する属性の概念化である。

あやふやな記憶を基に、曖昧な回答は混乱を招くだけでしかない。そして、この本来の質問者は辞書を盲信し、この引用、並べ替えが回答だと誤認し、それに気付いていない。

なぜなら、〔【「形容動詞は非論理的な考え方で間違っている。ナ形容詞が正しい」なんて、まともな日本語教師は言わないと思うよ。〕などとピンボケなコメントをしているのでも明白である。「まともな日本語教師」は形容動詞などという誤った品詞観を正さなければならないのである。

述べたいことは多多あるが、まずはこの点のご意見を伺えればと思います。■

質問者からの補足コメント

  • 先の質問のNo.13でも回答の通り、接尾語の「さ」で、「長さ」「軽さ」「良さ」「騒がしさ」「やりきれなさ」「男らしさ」「かたじけなさ」また「頑固さ」「大胆さ」「惨忍さ」「不思議さ」などと使用します。

    これは、属性の存在自体を独立の対象として扱うことが必要になり、しかも属性それ自体として把握して【質的】に扱う場合と、実体化・凝結化して把握して【量的】に扱う場合と二つが要求されていて区別して表現しなければなりません。

    前の場合の<接尾語>が「み」、後の場合の<接尾語>が「さ」です。
    「暖かみ」「暖かさ」「高み」「高さ30m」「重み」「重さ60Kg」「明るみ」「明るさ10ルックス」「可愛さあまって憎さが百倍」などと使用します。

    このように、属性表現の語である静詞に「み」「さ」が付加され、【質的】に扱う場合と、実体化・凝結化して把握して【量的】に扱う場合と二つの用法が生まれています。■

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/22 16:50
  • なお、静詞はNo.1のコメントで述べたように属性表現の語で、名詞ではありません。「真面目」も属性であり、それを実体化して量的に捉え表現する時に「真面目さ」と表現します。

    これを直接実体的に捉えた表現が、「真面目が取り柄」などの名詞としての用法です。

    対象を実体として捉え表現するのが名詞で、その属性を捉え表現するのが動詞、形容詞で、動詞は時間的に変化し発展する属性の概念化、形容詞は属性を静止し固定し変化しないものとして捉え概念化しています。

    学校文法の形式主義/機能主義的な品詞定義では、この辺も不明確で、時枝の品詞理解にも機能主義的な面があり、形容動詞語幹を名詞と決め付ける誤りを犯しています。■

      補足日時:2019/07/22 18:31
  • NO.6 への補足です。

    また、格助詞「で」は何を表し、判断辞「だ」の連用形「で」は何を表し、格助詞と同形の「で」が何故異なる意義を持つのかを明らかにすべきです。

    この点が、現在の辞書では曖昧で、混乱しているのは、先に指摘した通り「ので」の語釈を見てみれば明らかなことです。

    こういった点を指して『基本的な理解の誤りが根底にある』と指摘しているものです。■

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/23 15:19
  • 6.
    >>つまり「東京=着点」ということなのであって、~格助詞「に」が必要になる、というのがこの文の構造。

    何度も言いますが、文の構造や意味を問題にしているのではなく、格助詞「に」の意義を論じています。格助詞「に」がなくとも、「東京 行く」で、意味が伝わらないわけではありません。「行く」であれば「東京」が着点であることは判ります。

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

    で、「お見舞いに行きました
    上の文で助詞(に)の意味が知りたいです
    わかりやすく説明してくれると助かります」

    という質問が出るように、「お見舞い=着点」では回答になりません。

    7.
    >>様々な解釈に通底する意味があるのは当然と言えば当然でしょう。

    当然で、これが格助詞「で」「に」の意義です。
    #14へ

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/25 22:46
  • >>「手段・条件」こそが思い付きではない正しい解釈である、ということを【論理的に】説明していただきましょう。できますか?

    これまでの説明で明らかと思いますが、若干疲れ気味なので別途とさせていただきます。

    >>お礼欄が短いと思うので回答欄をわけておきますね。

    御高配痛み入ります。

    >>判断辞「だ」とは、助動詞「だ」を指すと思われます。

    おっしゃる通りです。したがって、「綺麗だ」の「だ」は助動詞ということになります。

    >>「元気で」という連用形に格助詞「で」が絡んでいるのは明らかでしょう。※

    「元気で」という連用形ではなく、静詞「元気」という一語+格助詞「で」という一語の計2語の句であり、これを一語とすることは誤りだということです。絡むとは何を言われているのでしょうか。
    当方の提起を良く読んで下さい。
    また、活用とは何かを正しく理解して下さい。

    #15のお礼のことばへ

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/25 23:49
  • 上の補足の続きです。

    膠着語である日本語は、屈折語と異なり、単純で裸体的な意義を持つ語を粘着し文を組み立てるもので、屈折語のように活用により意義が変化したり、加わったりするのではありません。

    しかし、「綺麗だ」は活用語尾とされる「だ」「で」「な」がそれぞれ意義を持ち、活用語尾ではなく一語です。従って、「綺麗だ」は二語であり、形容動詞という一語とするのは根本的な誤りということです。■

      補足日時:2019/07/25 23:54
  • どう思う?

    上記の補足です。
    1.
    もう少し判り易くするために「に」に関し次の質問をしておきます。

    東京【に】行く。
    大阪から東京【に】行きます。
    大阪から東京まで行きます。
    東京へ着くまで【に】なんとかして下さい。
    明日まで【に】提出して下さい。
    東京は日本のどこ【に】ありますか。

    これらの「に」の意義と、「から」「まで」の相違と関連を述べて下さい。

    2.
    素晴らしい舞台で、時間の経つのを忘れた。

    この舞台と時間は同じでしょうか。

    3.
    彼はとても元気だった。
    すっかり元気になった。

    「だ」「に」の意義を述べて下さい。■

      補足日時:2019/07/27 07:39
  • 少し、補足させていただくと形容動詞については、まずその定義が何であるのかをきちんと理解して下さい。

    そして、助詞、助動詞については、再三再四指摘しているように、付属語などという形式的な定義ではなくそれが何を表わすものであるのかを理解しない限り平行線をたどるしかありません。

    この点については、「付属語、自立語という誤り」のNo.1のコメントに主体的表現、客体的表現の定義を引用しておきましたので参照下さい。この内容が実感として理解できないと前に進めません。これが、ソシュールパラダイムを克服する第一歩なので、論理的に了解できるまで読み込まなければなりません。■

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/27 20:22

A 回答 (33件中31~33件)

形容動詞については、認めても認めなくても細かい所では破綻が生じることは下記の概説によっても分かるところです。

問題点は整理されていると理解しています。
また所詮分類に過ぎないのですから外国人向けにはより効率的に日本語に到達させるのに便利であるならそれに向くように組み替え整理していけばよい、と思います。
学校文法で形容動詞を身につけた人間であっても、名詞+辞やナ・タルト型形容詞への乗り換えはそれほど困難でもありませんし、その逆も容易です(と思います)。
いずれにせよ、どちらかをしっかり統一的に深く学ぶ必要はありますが、学校現場で両説併行で教えるような混乱は避けるべき事かと思います。
ここまで来るとほとんど言語政策の問題で、品詞分類の問題ではない気がします。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E5%AE%B9 …
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この回答へのお礼

>>コメントをありがとうございます。
当方の考えを述べさせていただきます。

>>問題点は整理されていると理解しています。
問題点が整理されれば、それを放置するのではなく、その問題点が解明されなければなりません。
提示されたウィキペディアの記述は現象とその整理に過ぎず、論理的な解明がなされているわけではありません。

>>また所詮分類に過ぎない
語の分類は文法論の根幹であり、科学的な本質論に基づく分類がなされなければなりません。まず、膠着語である日本語の単語とは何かが明確にされなければなりませんが、現在の言語論はこれを明らかにすることができていません。外国人向けに効率的に理解させるには、その本質と論理を明らかにした上で初めて可能になるもので、組み替え整理などという小手先の間に合せでは不可能です。実際、日本語教育教師の著作などを見てもまったくピント外れの記述がなされています。

この形容動詞、ナ形容詞説も同様で、日本語の一語とは何かという根幹にかかわる問題で、基本を誤っていては、それ以降正しい展開は望めません。今回例に挙げた質問が、この典型と判断し問題提起したものです。

>>学校文法で形容動詞を身につけた人間であっても、名詞+辞やナ・タルト型形容詞への乗り換えはそれほど困難でもありませんし、その逆も容易です

残念ながら形容動詞については当然ながら毎回質問が出され、教育者も生徒からの質問に答えられずにその場を繕っているのが現状です。そもそも一語とは何かが不明で、品詞分類の根拠も不明な文法論は話者、聞き手の無意識にも反するもので、試験が終われば綺麗サッパリ忘れるか、誤った理解を引き継ぎ言語論が展開されているのが実情です。

>>言語政策の問題で、品詞分類の問題ではない気がします。

これは言語政策の問題ではなく、科学的、論理的な言語論、文法論の問題であり、言語哲学の問題でもありません。このためには、科学的な認識論の展開と、それに基づく言語論、文法論の展開が必須で、これは時枝誠記―三浦つとむにより展開されながら、西欧追従を旨とする学界、学会には理解されず、無視されているのが現状です。

こうした、非科学的な学校文法を改善するためにも、形容動詞始め、補助用言や準体助詞などという誤った品詞分類の誤りから、事実との相違を明らかにし問題を明確にする必要があると考えています。■

お礼日時:2019/07/22 17:35

ご賛同いたします。



「真面目な」=[名詞:真面目]+[助詞:な]
「真面目だ」=[名詞:真面目]+[動詞:だ]

これで、すっきり単純明快、何の問題もないように思います。

[真面目+に]にすると動詞を修飾できますね:「真面目に勉強する。」


>活用語尾とは、次に続く語による語の形の変化であり、この変化により語の意義が変化するものではない。

なるほど、その通りですね。

日本語はなにかと、名詞が基本になっているようですね。
名詞に助詞をとっかえひっかえ、つけることで意味を組み立てるようにできています。
文法はできるだけ単純明快に一貫させておくのが分かりやすく好ましいと思っています。

既成の、すでに広く浸透してしまった考え方の間違っているとき、どうしたものやら、途方に暮れますが、英語圏でも英文法のそのような箇所について、どうにかしようとしている人たちの動きはあって、保守的な文法書も、…誤解も交えながら、少しずつ取り入れたり、違う考え方を紹介したりしています。日本語もぜひ頑張りましょう。
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この回答へのお礼

ご理解いただきありがとうございます。

ただ、「綺麗な花」というように、「綺麗」は名詞ではなく、花という実体の静的な属性表現の語で、No.1へのコメントにも記した通り、活用を持たない形容詞と云う意味の<静詞>とでも名付けるのが適当ではないかと考えます。

「真面目に勉強する。」も「勉強する」という動詞の内容の具体化で、「真っ黒になる」「赤くなる」などの副詞的用法になります。
現在の学校文法の機能的な品詞定義では、名詞や形容詞の本質も明確でないため混乱してしまします。
英語の場合も「be」「do」「have」には動詞と助動詞がありますが、この区別も明確でないのが現在の英文法の限界です。

現在の形式主義/機能主義的なソシュールパラダイムを超克するのは大変ですが、日本語教育文法も含め科学的、論理的な文法論への転換が必須と考えております。■

お礼日時:2019/07/22 11:19

これは質問文ではなく、意見文です。

その内容は、
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11208724.html
に対するNo.15の回答者( fxq11011さん)への批判と、この元の質問者(1311tobiさん)への批判です。結局その意見文の中心は「真面目だ」は「真面目」(名詞)に「だ」(判断辞)が付いたものであると言うことだが、「真面目に」は名詞+に(格助詞)であり、「真面目で」は名詞+で(格助詞)と言うことのようです。
「真面目だ」で「だ」を認めたが、「真面目に」「真面目で」の「に」「で」は格助詞になるという一見道理が通らないように、思われる考えを取るのは、「だ」の活用が
「だろ/だっ・で/だ/な/なら/〇」であり、連用形に「に」を欠くためです。
 真面目だろう・真面目だった・真面目である・真面目だ・真面目な・真面目なら
のように殆どあるが、「真面目に」だけがない。そこで、時枝氏は「だ」の連用形に「に」を取り入れ「真面目に」を作ったわけです。この時枝説を支持し、「形容動詞」を否定する「広辞苑」も、連用形「に」を入れて「だ」の活用表を載せています。
 元の質問者(1311tobiさん)も「どっちにしても大して違いはない」と判断されています。
 ここまで書いたことは、アスナロウさんご本人は百も承知のことで、むしろ初めて読んでくださる皆さんへの説明です。
 ここで初めて、アスナロウさんへの質問です。「真面目だろ(う)・真面目だっ(た)・真面目で(ある)・真面目な・真面目なら」はどのように説明されますか。この質問へのご回答をいただけば、あなたのお考えはほぼ理解出来ると思います。
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この回答へのお礼

丁寧な応答をありがとうございます。

1.「だ」の活用は、「だろ/だっ・で/だ/な/なら/〇」ではなく、「だろ/だっ・で/だ/〇/〇/〇」で、「な/なら
」は判断辞「なり」の系列で、「な」は活用[なら|なり・に|なり|なる|なれ|なれ]の連体形「なる」が「な」に転成したものです。

時枝が形容動詞語幹を名詞としたのは、彼の品詞観の誤りで、正しくは属性表現の語で活用を持たないものです。元々、漢語由来の和語にはない事物のこみ入った属性を表す語として取込まれたもので、この属性自体を実体的に認識し、名詞としても使用されるということです。

この属性表現の語を名無しのゴンベイのままにしておくわけにはいかず、三浦つとむは、活用を持つ形容詞と一纏めにし、静的な属性表現の語として静詞と呼ぶことを提唱しており、これが適切かと思います。
この静詞に活用を持つ形容詞と活用を持たない、いわゆる形容動詞の語幹に当たるものがあることになります。

時枝が、指定の助動詞「だ」の活用に「の」「と」「に」を入れたのも誤りで、これについては青木伶子、三浦つとむによる批判があります。

したがって、「真面目だろ(う)・真面目だっ(た)・真面目で(ある)・真面目な・真面目なら」は、各々、

真面目だろ(う)⇒静詞「真面目」+判断辞「だ」の未然形「だろ」+(推量の助動詞「う」)

真面目だっ(た)⇒静詞「真面目」+判断辞「だ」の連用形「だっ」+(過去の助動詞「た」)

真面目で(ある)⇒静詞「真面目」+判断辞「だ」の連用形「で」+(判断辞「ある」)

真面目な⇒静詞「真面目」+判断辞「なり」の連体形「なる」から転成した「な」

真面目なら⇒静詞「真面目」+判断辞「なり」の未然形「なら」

になります。

「真面目になる」は、静詞「真面目」+格助詞「に」で、連用修飾による静詞の副詞的用法になります。

「真面目だ」は、形容詞「赤い]の場合の「花が赤いです」に対応します。

「彼は真面目が取り柄だ」「真面目が第一」などは名詞になります。

この辺の理解の混乱も、質問者の「形容動詞であっても、名詞であっても、大きな違いはない。」という誤った理解に繋がっているのかもしれません。

これが、日本語の歴史事実に基づき、話者の認識に対応した科学的、論理的な解明であることをご理解いだけるものと思います。■

お礼日時:2019/07/21 19:48
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