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昭和時代の学校の校則ってなんですか?それを破ったらどんな体罰されてましたか?

A 回答 (6件)

戦後の新制度下の事です。

S30年代後期の話です。
校則は、服装、髪型、爪、。。外からの見掛けの事が多かった印象です。
日常においては、教師の言葉がルール。
中学では、
反すれば、グランド10周とか、
水の入ったバケツを両手に持って、止めろと言われるまで廊下に立つ。
教師は軍隊上がりが多く、旧制師範学校、旧制大学卒もいました。
おしなべてルールには厳しかった記憶があります。
軽い罰は、教室の後ろ側に立って授業を受ける。教師によっては、デコピンもアリ。
教師による生徒の依怙贔屓は日常茶飯事でしたが、生徒間の虐めは皆無。
新制学芸大学出の教師はおしなべて、レベルが低かった記憶があります。
高校は旧帝大卒ばかり、教師は優秀でした。
校則はあっても、誰も破る生徒はいませんでした。
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昭和も10年前後は、戦争前ですし、



昭和64年くらいは、民主主義でしたよ。

どの年代のことをお尋ねですか?
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シンナー喫煙容姿が主でした。

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それぞれの先生が、それぞれに言った事がそのまま校則です


法も理論もない
先生が絶対神
少しでも逆らったらぶん殴られます
まぁこちらも相当悪だったけど
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国のため天皇陛下のため規則正しく軍国調で学業に努める


罰則は左右のバケツに水を入れたのを提げて立っていなさい
最高は奥歯をかみしめさせて往復ピンタ
たいしたものを食べていなので腹は減るし落ち着きがなくよく怒られて大変だった
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学校や先生に依って違いましたね。


俺の学校は酷かったみたいで暴走族に入り学校には来ません。
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