まず最初に大辞林の語釈を引用します。
【かなり】
非常にというほどではないが,普通の程度を大分超えているさま。相当。「―うまくいった」「―の損害」
【けっこう】
十分とはいえないが,ある程度要求にこたえているさま。「―役に立つ」「―おいしい」
◆
「大分超えている」「ある程度こたえている」なので、「かなり」のほうが「程度が上の評価」をしていることになります。
また、実際の感覚としても納得がいくでしょう。
今回は、その理由について諸賢のご見解をお伺いします。
話者の表現である以上、どちらも主観的評価であるには違いないのですが、【「かなり」の場合、客観的評価も若干加味されているから】ではないかと個人的には思います。
つまり、「私だけの感覚ではないと思うのだが・・」という認識が話者にある場合に「かなり」を使うのではないか、ということです。「けっこう」の場合は、その逆。
いかがでしょうか。
以下で若干補足します。
(1)
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、けっこうおいしかった」
これはあくまで自分の味覚のみを評価基準として採用している。
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、かなりおいしかった」
この例の場合、自分の味覚のみならず客観的評価にも耐えられるおいしさだと考えている節がある。
つまり、客観的レベルに照らしてもおいしいと言える(だろう)という認識の表現。
(2)
なので、次のような使い分けが自然になるかと。
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、けっこうおいしかった。(それはわたしだけの感覚なので)君の口に合うかどうかはわからないけど」
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、かなりおいしかった。(客観的にもそう言えると思うので)君にもおそらく気にいってもらえると思う」
(3)
逆に、次のような使い分けは不自然になるでしょう。
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、かなりおいしかった。(客観的にもそう言えると思うのだが)君の口に合うかどうかはわからないけど」
誰でもおいしいと思うはずなのだが、君のことだから、おいしいと感じるかどうかは不明だ、といった揶揄表現としても成立してしまいそうな表現。
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、けっこうおいしかった。(それはわたしだけの感覚だが)君にもおそらく気にいってもらえると思う」
あくまで主観的においしいと思ったわけだけど、私がおいしいと感じたのだから、君だっておいしいと感じるのが当然だ、といった傲慢さの表現としても可能。
No.2
- 回答日時:
全部見ましたが。
そこまで分析するとちょっと考えすぎだと思います。
ネイティブスピーカーにとって辞書は基準ではなく、あくまで有益な資料。
自然言語とはそういうもの。
喩えれば作曲においてつまらない曲しか作れない人が、和声理論でガチガチに頭が固くなってそこから出てこれないのがその原因だったりするのと似てるかな、と思います。
以下、率直な感想と意見を述べます。
(1)について。
一例目。不自然な会話文だと思う。レストランに連れてってあげる、というは男性が女性を誘う文脈をイメージします。そういうケースで「けっこう」レベルの店に行きますかね? 「すごく」くらいでないと適切感がないと思います。
二例目。これも別の意味で不自然。そもそもレストランに連れてってあげる、なんてわざわざ持ち出すならおいしいのは当たり前。「かなり」という言葉だと逆に貴方を満足させるラインに到達してない感じもする。
(2)(3)略。
---
「かなり」と「けっこう」の違いを把握するのが質問の目的なのだから、ちょっと本題とは関係ないとも言える視点での意見は違うと言いたくなるかもしれません。
でもね、言葉って規則に従って使われている訳ではないです。今回のような口語はなおさら。
言葉の意味の詳細な理解は例文を作るセンスから始まると思います。
僭越ながら。
ご回答ありがとうございます。
>ネイティブスピーカーにとって辞書は基準ではなく、あくまで有益な資料。
自然言語とはそういうもの。
:
まったくおっしゃるとおりです。
>レストランに連れてってあげる、というは男性が女性を誘う文脈をイメージします。そういうケースで「けっこう」レベルの店に行きますかね?
:
なるほど。
社長が社員に言ってる場合ならどうでしょうか?
>そもそもレストランに連れてってあげる、なんてわざわざ持ち出すならおいしいのは当たり前。
:
おっしゃるとおりですね。
そこから先の話ですが、「かなりおいしい」「けっこうおいしい」では、どのように違うのだろうか、という点に関してはどうでしょうか?
>「かなり」と「けっこう」の違いを把握するのが質問の目的なのだから、ちょっと本題とは関係ないとも言える視点での意見は違うと言いたくなるかもしれません。
>言葉の意味の詳細な理解は例文を作るセンスから始まると思います。
:
まったくおっしゃるとおりですね。
社長の社員に対する発言、と捉えていただければさほど不自然な例文とも思えないのですが、私にセンスがないためご迷惑をおかけしたようです。
例文が誤解を招くような内容だったようなので、上記のように説明させていただきました。
「かなりおいしい」と「けっこうおいしい」の違いを比較するのは適切ではない、とおっしゃっているわけではないと思いますので、お手数ですが改めてご見解を伺えれば幸いです。
No.4
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
シチュエーションにより解釈が変わってくる例文はやめましょう。
もっとシンプルに。
●「かなり」手抜きする奴は「けっこう」いるんだぜ。
●「けっこう」手抜きする奴は「かなり」いるんだぜ。
意味云々以前に後者の文例は不自然。
---
言葉の違いにはいろんな視点があります。
最初っから「程度」の話に限定してるあたりがなんだかなぁ~と思います。
すみませんねはぐらかすような回答で。
ご回答ありがとうございます。
>●「けっこう」手抜きする奴は「かなり」いるんだぜ。
意味云々以前に後者の文例は不自然。
:
この例文が不自然な理由は何だと思われますか?
>最初っから「程度」の話に限定してるあたりがなんだかなぁ~と思います。
:
大辞林の語釈にも
「普通の程度を大分超えている」
「ある程度要求にこたえている」
とありますように《「程度」の話》こそが肝だと思うのですが、そんなことはありませんか。
>すみませんねはぐらかすような回答で。
:
とんでもございません。
私の質問の仕方が下手なのだと思います。
No.5
- 回答日時:
まとめると、
■辞書を起点に現実の言葉の使われ方、解釈を考えるのがそもそもおかしい。辞書は逆の方向で使うもの。だから話がおかしくなる。
■あなたの辞書の引用とその理解はそりゃもちろん合ってるでしょう。こんな日常的な語彙の範疇で間違ってたらネイティブじゃないし。
■(3)の分析はもはや意図の解釈の話であり、質問本題の二つの単語の話から乖離してる。そもそも考えすぎだし、ヘンテコな例文出すセンスではもはや分析も怪しすぎて意味がない。コメントのしようもない。
---追伸---
●「かなり」手抜きする奴は「けっこう」いるんだぜ。
●「けっこう」手抜きする奴は「かなり」いるんだぜ。
あなたは後に不自然さを感じないのですかね?
なぜ理由があると思うのですかね?
結局ですね、言葉と意味の対応は単語だけは分からない。
これは同意しますよね?
書きかけですが、投稿。続きは私のQAで、
ご回答ありがとうございます。
1.
>■辞書を起点に現実の言葉の使われ方、解釈を考えるのがそもそもおかしい。辞書は逆の方向で使うもの。だから話がおかしくなる。
:
最初に文法があったわけではない、ということがよく言われますよね。
で、我々も原則的には、
「かなりおいしかった」
「けっこうおいしかった」
といった表現を無意識に使い分けているはずなのです。
なぜこういった使い分けを我々はしているのか、ということを分析した結果が辞書の語釈かと。
ですから、「辞書を起点」にすることは、先人の残した分析に則って我々の無意識を解明し確認しようとする過程にすぎません。
2.
>■あなたの辞書の引用とその理解はそりゃもちろん合ってるでしょう。こんな日常的な語彙の範疇で間違ってたらネイティブじゃないし。
:
たしかに間違わずに使っている人がほとんどだと思います。
ただ、どんな理由で使い分けているのか、という点について疑問に思う人は多いでしょう。
その無意識の仕組みに迫る点で辞書は有効なツール足り得ているように個人的には思います。むろん、人間のつくったものなので妄信は厳禁ですけどね。
3.
>(3)の分析はもはや意図の解釈の話であり、質問本題の二つの単語の話から乖離してる。
:
そこの例文は、たとえば、こういったシチュエーションで使える妥当性が、それぞれの語にあるのではないか、という分析です。
絶対的な違いとして言っているわけではありません。
あくまで主観的においしいと思ったわけだけど、私がおいしいと感じたのだから、君だっておいしいと感じるのが当然だ。
という意図を相手に表明したい場合、人は、
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、けっこうおいしかった。(それはわたしだけの感覚だが)君にもおそらく気にいってもらえると思う」
のように表現する確率が「かなりおいしかった」と言う確率よりは高いのではないか、といった程度に捉えていただければ幸いです。
4.
>あなたは後に不自然さを感じないのですかね?
:
不自然に感じますね。
>なぜ理由があると思うのですかね?
:
論理的に考えて「ある」と捉えるのが妥当と思うからです。
>結局ですね、言葉と意味の対応は単語だけは分からない。
これは同意しますよね?
:
だからこそ例文を挙げているわけです。
No.6
- 回答日時:
しつこく考える店でワタシとアナタは同類。
ソコデこんな展開!
言葉はユニバーサル。
ユニバーサルとは、不確定性原理も含みます。
ユニバーサルとは何でもアリにもできる。
すみません長文書こうとして気力切れ。
イミフ扱いならスルーでヨロ。
~~~
復活!
そもそも論で、言葉は一体何なのか、これは不明、少なくとも私は。
あなたは理解しているかもしれませんが。
でもたぶん分かってないと思う。
そんな事考えない人が多いし、出来合いのシステムがなぜあるのかなんて想像すらしないだろうし。
で、あなたの「かなり」と「けっこう」の質問。
そして、視点も程度の面に固定。
これがあなたの欲しかった回答ですね、遅くなりごめんなさいね。
良い回答はよく考えて書く。
そして自分の身に合わないレベルの作文は時間を要する。
●「かなり」手抜きする奴は「けっこう」いるんだぜ。
●「けっこう」手抜きする奴は「かなり」いるんだぜ。
なぜ、前者の方が自然な文に感じるのか、推測
■単純接触効果
■単語の働きによるもの
単語の働きについて考察
▲単語の背景
▲単語の字面
▲単語の音像
ここでいう単語の背景とは「意味」という意味も含みます。
言葉の仕組みを深~く理解したかった、生かしたかった。
その思いをずっと抱えていた、その私にビンと来た勢いで、いま個々までの全ての流れです。
回答者自身の理解の進捗は社会のパーツとして社会の利益にもなりますから。
---
「かなり」良かった。
「けっこう」良かった。
この例だと程度がより良いのは前者だ。
「かなり」ヤバかった。
「けっこう」ヤバかった。
この場合は、どちらの方がヤバさが強いのかよく分からない。
またここでその理由は何ですか、と聞かれるとまた私は思考しなくては。
言葉というものにも不確定性原理はあります。
一つ目の比較でも前者のほうが良いとも言えます。
で、またその理由説明が必要ですかね?
その場合その場合で意味は変わってくる、その人その人でその人なりの意味解釈をもつ。これは分かりますよね?
そのうえで、今回の質問のようにマニアックかつ狭視野的かつ、立場限定的に理解を深めようしても、片手落ちどころか腕1.5本落ちくらい危ういですよ。と、これが言いたかった。回答もしてるしね。これでOKでしょうかね。
ご回答ありがとうございます。
>「かなり」良かった。
「けっこう」良かった。
この例だと程度がより良いのは前者だ。
>言葉というものにも不確定性原理はあります。
一つ目の比較でも前者のほうが良いとも言えます。
:
後者のタイプミスだと思いますが、たしかにそういう意味では不確定性原理でしょう。
しかし、それは言葉自体に不確定性原理があるわけではないと思います。
この例で後者のほうが程度がより良いのは、客観的認識などは物ともせず、自分自身の感覚に絶対的信頼を置いている場合です。
話者にそういう認識があれば、当然後者のほうが程度がより良いことになる、ということ。
つまり、不確定性原理は話者の認識に存在するわけです。
そうした認識に基づいていることが聞き手に伝わっているか否かはまた別の問題になります。
>その場合その場合で意味は変わってくる、その人その人でその人なりの意味解釈をもつ。これは分かりますよね?
そのうえで、今回の質問のようにマニアックかつ狭視野的かつ、立場限定的に理解を深めようしても、片手落ちどころか腕1.5本落ちくらい危ういですよ。と、これが言いたかった
:
丁寧にまとめていただきありがとうございます。
彼女の料理はかなり美味い。
彼女の料理はけっこう美味い。
これらの使い分け表現は「基本的に共通の意味解釈をもつ」と思います。
「その場合その場合で意味は変わってくる」とも「その人なりの意味解釈をもつ」とも思いません。
そもそも、言葉(語)には本質的意図が存在していると思うからです。
その他、
先生に本をもらった。
先生から本をもらった。
このように使い分ける少女の心理には、ほぼ共通した認識があるということでもあります。
(ややこしくなるのでこれ以上は触れませんが)
ということで、私の場合、
《マニアックかつ狭視野的かつ、立場限定的に理解を深めようしても、片手落ちどころか腕1.5本落ちくらい危うい》という質問者さんの結論とは真っ向から異なる見解です。
このように明確にできたのは、一重に回答者さんの真摯な姿勢の賜物と感謝いたしております。
おかげさまでお互いに、めでたく大団円を迎えることができたようです。
つまり、
見解の相違
ということです。
どうもお付き合いいただきありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
本音、かつ全力でいきます。
あってる間違ってる、という話は本当はあまり意味がない。
言葉は一過性でオケ。
極端に飛ぶけど部分だけ見てても全体像はわからないよ、と。
なぜあなたの求めるズバリの回答にならないかとういうと、既に書いてる通り、前提が異なるから。
~~~
非常にあなたは古典的な立場にこだわる方なのですね。
面白かったです。
閉じた枠内、かつstaticにオブジェクトを扱う方なのですね。
分かりました。
もちろん自分の疑問の解消のために回答もしていますが、質問者へのメリットも十分に提供出来たと自負しております。
つづく
連投スマソ
No.8
- 回答日時:
「かなり」「けっこう」は<程度副詞>です。
まず、この点を正しく理解しましょう。
<程度副詞>は、<形容詞>や<動詞>の属性のありかたについて、その程度を抽象的にとらえ、「かなり」「けっこう」「すこし」「ちょと」「ずっと」「ごく」などのように表現します。
ここに、二つの問題があります。第一は、程度については話し手の主観的な尺度があって、ある人にとっては「かなり」でも、別の人にとっては「けっこう」であったり、また「ちょっと」であったり、「ごく」であったりします。
聞き手は<程度副詞>のうしろにある主観的な尺度をあまりとりちがえないように追体験の場合に注意しないと、思わぬ誤解を起こします。
第二は、「ずっと」などの場合は話手が観念的に運動することです。
「かなり」「けっこう」の相違は、このように見てくれば、話し手の主観的な尺度に対する評価が異なるということです。
「かなり」は話し手の主観的な尺度に対し、それなりの評価をされているが十分ではないという意味になります。「かなり」は「可成り」で、不可ではないが可という意味です。
「けっこう」は話し手の主観的な尺度に対し、思いに違いそれを満足し、あるいは越えるものと評価しているということです。
したがって、<「かなり」のほうが「程度が上の評価」をしている>は逆で、<「けっこう」のほうが「かなり」より「程度が上の評価」をしている>ことになります。
>>(1)
「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、けっこうおいしかった」
これはあくまで自分の味覚のみを評価基準として採用している。
は、自分の評価からすれば想定を超えたおいしいものを出すレストランだということになります。
>>「今度、あそこのレストランに連れて行ってあげる。一度行ったことあるけど、かなりおいしかった」
この例の場合、自分の味覚のみならず客観的評価にも耐えられるおいしさだと考えている節がある。
つまり、客観的レベルに照らしてもおいしいと言える(だろう)という認識の表現。
これは、自分の評価では十分とは言えないが、それなりのものを出すレストランだということになります。
>>
●「かなり」手抜きする奴は「けっこう」いるんだぜ。
●「けっこう」手抜きする奴は「かなり」いるんだぜ。
この後者が不自然なのは、「手抜き」という本来ありうべからざるネガティブなものを「けっこう」と過剰に評価することに異常を感じるためです。
このように、表現の過程的構造を捉え、語の品詞を正しく理解し規範としての意義を明確にする必要があります。
【かなり】
非常にというほどではないが,普通の程度を大分超えているさま。相当。「―うまくいった」「―の損害」
【けっこう】
十分とはいえないが,ある程度要求にこたえているさま。「―役に立つ」「―おいしい」
という語釈も話者の観念的な前提を捉えられない不十分な解釈ですが、上記のようにそれなりの解釈だということになります。「かなり」ではないということです。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>ここに、二つの問題があります。第一は、程度については話し手の主観的な尺度があって、ある人にとっては「かなり」でも、別の人にとっては「けっこう」であったり、また「ちょっと」であったり、「ごく」であったりします。
聞き手は<程度副詞>のうしろにある主観的な尺度をあまりとりちがえないように追体験の場合に注意しないと、思わぬ誤解を起こします。
:
相変わらず矛盾だらけの非論理的思考を展開してますなあ。
《ある人にとっては「かなり」でも、別の人にとっては「けっこう」であったり、また「ちょっと」であったり、「ごく」であったりします。》
と君は書いているが、この文は、「かなり」や「けっこう」に対する君自身の「主観的な尺度」に基づいて書かれているはずだ。
そうだろ?
だから、
『それがどのような尺度なのか?』
ということについて(だけ)答えてくれれば、「かなり」と「けっこう」の違いについての答えになるわけだ。
むろん、それが正しいか否かは別問題だがね。
ある人にとっての「かなり」=別の人にとっての「けっこう」
という場面は無論生じるが、そのことと両語の違いとは何の関係もない、ということ。
むろん、それはそれでまた別の問題として考えたければ考えれば良いだけの話だ。
論点を混同しては論理的な会話はできませんぞ?
2.
>「かなり」は話し手の主観的な尺度に対し、それなりの評価をされているが十分ではないという意味になります。「かなり」は「可成り」で、不可ではないが可という意味です。
「けっこう」は話し手の主観的な尺度に対し、思いに違いそれを満足し、あるいは越えるものと評価しているということです。
:
そうそう、ここが論点なのだよ。
また、言いたいことはよくわかる。
それなりの見解と言えるでしょう。
ただ、根拠が若干弱いのでは?
以下補足欄へ
No.9
- 回答日時:
No.8 です。
早速のコメントを有難うございます。
>>相変わらず矛盾だらけの非論理的思考を展開してますなあ。
最初の質問者と同じで、辞書を頼りに相変わらずのグダグダの論理を展開していますな~。『日本語はどういう言語か』のp178~参照。
せっかく購入したのだからキチンと読みなさい。それから出直さないと寝言を並べることになります。より詳しくは『日本語の文法』を読みなさい。
そしてそれを批判、展開できるレヴェルに達すれば万々歳ですが、現在の応答では如何ともしがたいですね。
>>説得力が弱いですな。
まあ、しかし、論理展開としては珍しくまとまだし、君の見解として尊重してうかがわせていただく。
論理的ということをきちんと理解し、拳々服膺して下さい。
そもそも副詞とは何か理解できているのかな?■
ご回答ありがとうございます。
前回《矛盾だらけの非論理的思考を展開》と指摘したのは、
《ある人にとっての「かなり」=別の人にとっての「けっこう」
という場面は無論生じるが、そのことと両語の違いとは何の関係もない、ということ。》
という点であることを理解しておるのかな?
理解できていないのか、それとも理解した上でしらばっくれているのか。
どっちかな?
で、反論に窮するとあれ読め、これ読めというお得意が始まるわけだ。(笑)
ま、それはそれで論議しても構わないが、今回の指摘内容とは何の関係も無かろうに?
毎度毎度のことだが、図星を突かれるとしらばっくれて逃げるために論点を転換しようとする、そのあざとさが信用されないのだ、ということにいい加減気づいたらどうかね?(笑)
No.10
- 回答日時:
アスナロウさんの回答がハイレベルで感動。
日本語はどういう言語か (講談社学術文庫) 文庫 – 1976/6/7
三浦つとむ
早速注文しました。
質問者さんは締め切らないで一週間ほど待って下さい。
ご回答ありがとうございます。
>質問者さんは締め切らないで一週間ほど待って下さい。
:
了解しました。
彼も含め大いに論議しましょう。
急がなくても回答が投稿され続ける間は締め切られませんのでご安心を。
(ただし回答の間隔が一定期間空くとサイト側が自動的に締め切ります)
どの箇所が【ハイレベル】なのか一向にわかりませんが、ま、それは後日のお楽しみということで。(笑)
因みに、
<「けっこう」のほうが「かなり」より「程度が上の評価」をしている>
という彼の見解には同意していますか?
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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>そこまで分析するとちょっと考えすぎだと思います。
:
「かなり」と「けっこう」に特に違いはない、ということでしょうか。
もしあるとお感じになるなら、どういった点が違うと思われますか?
>食事の味に関して、「かなり」はそもそも、違和感があります。
:
なぜだと思われますか?
そもそもが味覚の問題なので、「かなり」という客観性を持ち出すよりも、「けっこう」という主観表現のほうが自然に感じる、といったようなことでしょうかね。
#8お礼欄からの続き
「かなり」
《それなりの評価をされているが十分ではない》
「けっこう」
《思いに違いそれを満足し、あるいは越えるものと評価している》
という解釈が質問本文でも示した大辞林の語釈とは【真逆】だしね。
特に、《それなりの評価をされているが十分ではない》という意味で「かなり」は使わないだろう。
あくまで、
《十分ではないがそれなりの評価をされている》のはずだ。
「美人だが貧乏だ」と「貧乏だが美人だ」では意味が異なる。
また、
「それを満足し」というのは、厳密に言うと「度合いが十分だと認識し」となると思うが、その要素は「かなり」にも含まれているはず。
結果的に、
《<「かなり」のほうが「程度が上の評価」をしている>は逆》
とならざるを得ないわけだろうが、説得力が弱いですな。
まあ、しかし、論理展開としては珍しくまとまだし、君の見解として尊重してうかがわせていただく。
質問に答えてませんでしたな。
SDGs
かなと。