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「愛」の反対語は「憎しみ」ですね。
ところで、両者は何が反対なのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

追記します。



主観で「感情」について書きます。
「愛」は大切にしたい、慈しみたいと言う感情。
で、ベクトルを反対にしていくと。
ぶっ壊したい、蹴散らしたい、と言う「憎しみ」の感情へと。

で、それらの感情が無いのが「無関心」だと思います。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
乱暴に書きますが、<大切にしたい、慈しみたい>という感情をマイナス(
負)すると<ぶっ壊したい、蹴散らしたい>という感情になるのですね。
両者の中間点に(あたかも0の位置に)無関心があるということですね。

お礼日時:2021/05/20 17:59

愛は受け入れること、憎しみは許さずはねつけること。

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この回答へのお礼

御回答ありがとございます。
<受け入れる>と<はねつける>ですね。
まことに正反対ですね。

お礼日時:2021/05/24 18:42

愛、というのは解字的には与える


ことを意味します。

対象が人間であれば、その人の幸福を
願う心情と行為を愛、と定義したいです。


憎しみは、相手の不幸を願う心情と
行為を言うでしょう。



両者は何が反対なのでしょうか?
 ↑
相手を幸福にしたいか、不幸に
したいか、ということで
反対なんだと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<相手を幸福にしたいか、不幸に
したいか、ということで
反対>なのですね。
人は、良かれあしかれ相手が重要・必要(うまい表現ではありませんが)なのですね。

お礼日時:2021/05/21 12:35

ご趣旨にさからって 次のように考えます。



《〈愛〉には 

狭義において好‐悪や愛‐憎といった反対語がありますが 

また最広義ではなく中間の対義には 〈愛憎〉をつつむ〈広義の愛〉をあきらめて――その愛ないし意志のヴェクトルを無くした――〈無関心〉という概念があるのですが 

一般に〈最広義の愛〉には 反対語がない》。





1. 愛は 対象に向けた心の動きであり その ヴェクトルとして対象を欲するとそして欲しないとの二つの向きがあります。

2. この正負の向きは ふつう好悪や愛憎としてそれぞれいづれかに自己表現されます。

3. この狭義の場合には 好きに対する嫌い 愛に対する憎悪として 対義語が決まります。




4. プラス・マイナス双方の向きをふくむ広義の愛については どうか?

5. 心の動きが無くなるという意味で 《対象を見捨てる・見放す あるいは 無関係や無関心》がしばしば挙げられます。

6. どうでしょうか? 愛の対義語は あるでしょうか? つまり 《心の動きが――その向きがゼロの中立に成るだけではなく――消えて無くなる》という事態が それでしょうか?



7. おそらく愛の対義語は ないのではないでしょうか。

8. なぜなら 《匙を投げ見放し見捨てて無関心でいる》場合も 関心が消滅したわけではないからです。心が消えて無くなったというものではない。からです。

9. 無関心でいるという関心を示しているわけですから。そこに 何がしかの愛があります。意志が死んだわけではないですから。ヴェクトルの潜在性があります。

10. 精神の行為能力としての意志作用が ひろく愛だと考えられます。絶対的なものではないでしょうが その対義語は――意志の壊れた場合を想定しないかぎり―― ないと言ってよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<1. 愛は 対象に向けた心の動きであり その ヴェクトルとして対象を欲するとそして欲しないとの二つの向きがあります。>ですね。
<欲するとそして欲しない>は、私も納得します。
じつは、私は、愛と憎しみは、共生と離反の関係と思っていました。近づくか・遠ざかるかの関係です。<欲するとそして欲しない>も似た感情ですね。

お礼日時:2021/05/21 12:30

愛は好意、憎しみは敵意、


だと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
その好意と敵意とは、どういう関係ですか?

お礼日時:2021/05/21 12:23

愛の反対は「愛が無い」です。



憎しみの反対が「憎しみが無い」であるのと似ていますね。
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この回答へのお礼

ご尤も
愛がないは、愛に対して、
日常では否定ですが、
哲学では反対になるのですね。
哲学は、社会と遊離を狙っているのですね。

お礼日時:2021/05/21 12:19

西洋哲学の「価値」=真善美、において反対ということだと思います。



愛と憎しみ、真実と虚偽、愛国と売国、など、形而上の概念にはこういうことが多いと思います。

愛と憎しみは、善と悪そして、美と醜と言えるでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
西洋哲学において価値は真善美なのですね。
愛・善・美グループは、憎しみ・悪・醜グループと対立しているのですね。

お礼日時:2021/05/21 12:12

いずれにせよ『私』は『私』なのですが、『相手』を優先し思うのが『愛』であり、『自分』を優先し思うのが『憎しみ』です。



まぁ、『愛』と言っても様々な形態がありますからね。
根底は、『大慈大悲』ですね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
優先という棒の片方には<『相手』を>が刻まれてあり、他方には<『自分』を>が刻まれているのですね。

お礼日時:2021/05/20 18:04

「愛」の反対は「無関心」です…っていうありきたりな回答

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/05/20 15:16

両者は同じです。


言い方が違うってくらいで。
愛の反対語は無関心。憎しみは愛の部類。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。
<両者は同じです。>ですね。

そうすると、<愛>と<憎しみ>群と<無関心>とは、何が反対なのですか?

お礼日時:2021/05/20 15:02

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