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こんにちは、よろしくお願いします。
宗教は嫌いです。また親鸞聖人も信じていません。神様も信じていません。
偶像崇拝禁止というのには賛成です。

先祖代々長男が家の跡を継いでいる農家の長男です。生まれながらに西本願寺派で葬式とか年末とかなにかと菩提寺と関係があります。家の仏壇も立派な物がります。
現在農家はやってなくて他の製造業の事業を行っています。
菩提寺と仲が悪いわけではなく、私が宗教を信じていないのに、手を合わせるとかお経を読むとか法事を行うとか苦痛で仕方がないです。
親が死に私の代になり、これから決定権が私にあります。

宗教とか神様とか全く信じていないので、宗教とか神様とか縁を切りたいのですが、どうしたらよいですか?

A 回答 (6件)

一刀両断!仏ほっとけ!法事を止めてうまいものを食べる、死んだものは供養出来ない坊主の金儲け。

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創価脱会員です。


日本憲法
宗教の自由
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No.1やNo.2の方の回答にある通りだと思います。



Bさんが、「手を合わせるとかお経を読むとか法事を行うとか苦痛で仕方がない」
Aさんが、「祭りや神事、念仏や毎日のお勤めをきちんとしないと、生活が落ちつかない。 葬式や法要、新年の祝い事に参加しない近親者がいるととても気になる」
このようなAさんBさんがいたら、結構やっかいでしょう。
何を信じていようが、何を信じていなかろうが、人の多くいる社会で暮らしていくときには、そこそこの折り合いをつけるやり方は大事です。
「代々長男が家の跡を継ぐ」など、イヤだし、アホらしいし、「家を継ぐってなんなのョ」と思っても、そのあたりも適当に・曖昧にやることは大事でしょう。
製造業でも、製造方法や品質、取引の慣行でも、「自分の気分が変わった、考えが変わったから、」と一方的に変更するのは問題です。
もう縁を切りたいと、社会との関係を捨てるのであれば別ですが、信じていようが信じていなかろうが、自分のやりたいことではなくても、適当な範囲で継続することは大事です。
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宗教の目的には次の3つがある。


①理想社会を築く
②コミュニティの求心力を保つ
③個人の救いをもたらす

これら3つは不可分であり、たとえば③だけならそれは「哲学」になってしまう。
不可分である故、コミュニティに属すなら宗教は最低限の共通知識とされ、特に欧州では「無宗教は無教養」とされ、社会的に葬られるくらいの制裁を受ける。

日本は奥州よりはゆるいといえ、例外ではない。
その地域共通の慣習というのがある。
それを受け入れてこそコミュニティの構成員として認められる。

日本は信教の自由の国だから、入る抜けるは自由裁量。
しかし上記の事情で、それは地域との交わりをも左右する。
社会とは自分一人で生きているのではないのだから、自分勝手に振舞うなら、同時に他人にも自分勝手に振舞われることも受け入れなければならない。

それが「大人」というものである。
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もし弟さん、あるいは事業を受け継いでくれる親族がいれば、事業から土地屋敷から全てを譲り渡して遠い土地へ引っ越せば縁は切れると思います。


例え親兄弟の死に目でも地元へ戻らないくらいの決意は必要ですし、それを実行するとご実家の評判が落ちますが、質問者さん個人の気持ちをあくまで尊重するならこの方向ではいかがでしょう。
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貴方が縁を切るのは、宗教や神様の前に、その地域社会になってしまいます。



いま製造業をしているとは言え、その土地は先祖代々の土地ですか? 顧客や従業員には地域の人が多い?

貴方が個人的に宗教を信じるかどうかなんて、もはやどうでも良い話です。あなたが背負っている会社の事を考えて、寺社仏閣と縁切りしても問題ないのかどうか。

問題ないと思うなら檀家を抜けて墓じまいすれば良いです。
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