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極右、極左など、色々な政治的イデオロギーを持っている人が日本にはたくさん居ますよね。

そういう人達は何故あのような偏った思想になってしまうのでしょうか。

「日本を良い国にしようとしている」と言っている人が殆どだと思いますが、実際には普通に生きている一般人の邪魔をしているだけでは無いのでしょうか。(これはあくまでも個人的な意見です。異論は認めます。)

皆様の意見をお聞きしたいです。

A 回答 (5件)

1億人を超える人口がいると、恐らく思考・嗜好もほぼ正規分布に近い比率で存在するのではないかと推測します。



つまり、極右、極左といった極端な思考に染まった人数はほんの一握りだということです。

しかし、「ノイジーマイノリティ」というように、勢力的限られた頭数しかいない集団は、自分たちの存在を認めさせようと大騒ぎをします。

その大騒ぎは、単に喧噪を撒き散らすだけではなく、時には「そうではない人たち」の平穏を破壊し、侵すことで自分たちの主張を押し付けようとします。

マスメディアは、「サイレントマジョリティ」はあまり相手にしません。話題になりにくいからです。
一方で、毛色の違う「ノイジーマイノリティ」は目立つ存在なので、面白がって取り上げます。

そのことが、まるで「ノイジーマイノリティ」が「マジョリティ」であるかのような錯覚を社会に拡散させることになります。

「そういう人達は何故あのような偏った思想になってしまうのでしょうか。」という問いへの回答としては斜め方向からの応答になってしまいますが、自分の主張を声高に連呼するほどに、「意味の極端化」が進み、ますます自分たちの主張を過激化する傾向があります。
それも「マイノリティ」であるがゆえの自己防衛本能なのだろうと思います。
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無産階級は、静観していると、締め付けや経済統制を好んでやりたがります。

憲法14条の平等が、持てない彼らの嫉妬心を後押ししていることは明白です。
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>政治的イデオロギーを持っている人が


>日本にはたくさん居ます

いや、そんなに多くはいないと思います。ただ、特定のイデオロギーに染まっている人は、一様に「声がデカい」ので、多数派だと思われているだけです。一般ピープルのほとんどは、イデオロギーとは無縁の立場で日々を過ごしています。

で、そんな一部の「イデオロギーに染まった人」はどうしてそうなったのかというと、それまでの人生の中で特定の価値観に絡め取られる決定的な体験(たいていは良くないこと)を味わったとか、あるいは元々メンタル的に暗示に掛かりやすいとか、そんな資質があるからでしょう。

また、この「症状」は基本的に好転することは無いと思います。自身が声高に主張すればするほど、タコツボ的に自分の世界に入り込んでしまいます。

>「日本を良い国にしようとしている」と
>言っている人が殆どだと思います

そうとは限りません。左傾イデオロギーは国家・国境を否定しています。また、右傾の方もタチが悪く、やれ憂国だ国士だと騒いでいるわりには自身のルサンチマンを発散しているだけの輩が散見されます。

>一般人の邪魔をしているだけでは無いのでしょうか。

そうです。関わらない方が良いです。

でも、政治的イデオロギーは別にしても、あまりにも政治に関心を持っていない人たちが多すぎるのは問題だと思います。特に若年層は景気が良い頃の日本を知らず、この長期低落傾向にある日本の現状を「普通のこと」だと思い込んでいます。これでは国力が衰えるばかりです。

もっとも、左右のイデオロギーにかぶれた人は、そんな実態を理解も出来ず、ただ浮世離れした自己の主張を(一方通行的に)訴えるだけなのでしょうね。
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そういう人達は何故あのような偏った


思想になってしまうのでしょうか。
 ↑
判りやすいからだと思います。
右側だけど、左側の良いところも
採り入れる、なんてよりも
はるかに判りやすいです。



「日本を良い国にしようとしている」と言っている人が
殆どだと思いますが、
 ↑
サヨクは違いますヨ。
サヨクといえば社会主義ですが、社会主義の
理想たる共産主義に至れば国家は
否定されますから。
朝生でも時々います。
日本など滅んでも構わない、と公言する
サヨクが。
これが本当のサヨクです。
彼らの最終目的は日本国の解体です。
国家そのものを解体し、世界中の人が
平等に、というのが本来の共産主義です。



実際には普通に生きている一般人の邪魔を
しているだけでは無いのでしょうか。
(これはあくまでも個人的な意見です。異論は認めます。)
 ↑
その通りです。
思想てのは、人間の為にあるのです。
思想の為に人間がいるのではありません。

極右にせよ、極左にせよ、彼らは
思想のために人間が存在するかのように
錯覚しています。

だから思想のためには、犠牲をいとわない
ということになりがちなのです。
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自分が中立であると考えているからです。


自分が普通で周囲が間違っていると考えると、自然と極端な方向へ行きます。
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