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かつて小説家トルストイは大衆のヒーローでした。そのころ映像メディアが発達していなかったので。
俳優やスポーツ選手がスターになるのは映像メディアが発達してからのことなのです。

そしたら、そのころ、宮沢賢治もヒーローでしたか?
また、そうだったならば、賢治が子供のころ、小説家というものがヒーローだと思われていたからこそ、賢治も小説家に憧れて小説家(正確には童話作家)になることを志したのですか?

質問者からの補足コメント

  • 活字文化をニナった作家がヒーローならば、ペローとかグリムとかアンデルセンもヒーローやったんでしょうか?
    それとも、トルストイの頃でなければ、作家はヒーローではなかったのでしょうか?

      補足日時:2023/02/05 09:04

A 回答 (1件)

貧困生活の中で亡くなりました。


作品が認めれる様になったのは、死後の事でアメニモマケズが戦時下で
滅私奉公的だとして、少し話題に成り、本格的に認められたのは、
1972年札幌冬季オリンピックの頃からです。

紫式部の源氏物語、羅貫中の三国志演義は写本で読み継がれて
来ましが、知識人と呼ばれる人のみで庶民は文盲が多いので
読まれませんでした、庶民レベルが読まないとヒーローは誕生
しませんよね。
欧州ではロマ族が旅芸人として廻り、インドでは吟遊詩人が日本では
琵琶法師が語りてとして物語を伝えていました。

活字印刷の普及と文筆家の活動は切り離せないでしょうね。
シエークピアの本は欧州の知識人には読まれましたが、庶民レベル
には達していないでしょう、同時期に日本では木版擦りで、
井原西鶴、近松門左衛門らの書いた物が町民レベルで読まれました。
日本は印刷物読みの先進国と言えると思いますよ。
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この回答へのお礼

賢治がほんまに認められたのは札幌オリンピックからでしたか‼️
知らなかったです。
それなら、祖父母も読んでなかったかもしれませんね、読んだやろな、と思っていたのですが。
賢治の作品はいつも、人の醜さを書いているのであんまり好きではないのですが、そうかて、賢治の童話のない日本なんて、もの足りないですね、発展途上でしたね。ならば新美南吉先生はどうやったんでしょうね、賢治よりも先にブレイクし、賢治のあとの世代であるにもかかわらず、ヒーローとなったのでしょうか?

源氏物語、そういえばそうですよね。“多くの人に人気があった”とされていると思いますが、そういえば、平民は文字を読むことができませんからね。なんかおかしいと思っていたんですよ。平民が、日々女遊びに明け暮れる公家の話をどうして面白がるのかと。平民が読んだら、逆に怒りますよね、うらやましくて。平民の気持ちをつかんでいない小説なんて名作のうちに入らないと思います。“源氏”の前に“源氏”なく、“源氏”のあとに“源氏”なし、といわれていますが。ただ、コメディとしては認めますが、なかなかいいですが。
そしたら、井原西鶴、近松門左衛門はヒーローやったんですね。多くの平民がほんまに認め、ほんまに楽しんだのですから、彼らの読み物は、ほんまに素晴らしい読み物なのでしょうね。

小説家がヒーローだったのは、小説家より派手にかっこいい存在があまりなかったからヒーローだったんでしょうね。いまなら、ゴトウゲコヨハル(鬼滅の)さんであろうとも、ヒーローとは違うかな、と思いますんで。

賢治は貧困で亡くなったんですか、知らなかったです。生きてるあいだに認められれば儲かってよかったですが、死んだあとでは遅いですね。死んだあとに認められたんでは、認められたこともわかってないんでしょうね。
賢治はクラシックが好きで、そのレコードを100枚くらい持っていました。当時レコードはかなり高価やったというのにです。そうNHKアーカイブスで言うてました、20年くらい前に。そしたらそれを質入れすればよかったのでしょうね。そうすればもう少し長く生きられたのではないかと思います。

お返事ほんまにありがとうございます。

お礼日時:2023/02/07 11:58

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