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「あそこに子どもがある」とは言えないにも関わらず、
「彼女には子供がある」と言えるのは、なぜですか?

A 回答 (25件中1~10件)

前者は存在を示し、後者は所有を示しているから。


文脈の違い。

子どもは物ではないので「ある」より「いる」の方が適切。
生き物は「いる」。物は「ある」。
誰の子どもか特定しない場合の「子ども」は、存在しか意味していないので「いる」になる。

子どもは物ではないが、後者は所有の意味が強いため、「ある」も可。
存在を示して「彼女には子どもがある」でも違和感はありません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<前者は存在を示し、後者は所有を示しているから。
文脈の違い。>ですね。

お礼日時:2023/06/23 11:40

>>「漠然と有無を問題にする場合」(No.24)



これは、先に何度も指摘の通り話者が対象を抽象的に認識している場合ということです。

この、話者による対象の捉え方の相違ということをキチンと理解することなく単に現象、結果だけを問題にしても本質的な理解、解明にはなりません。■
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2023/07/03 18:29

No.22のかたのコメントを読んでうなってしまいました。


 ここまで特殊な文脈を用意すれば「あそこに子どもがある」と言えなくはないかもしれません。
 おそらく、「ない」⟺「ある」と考えると、アリなんでしょう。
 もちろん、通常は「いない」⟺「いる」と考えるのが自然だと思いますが。
 これは後述の「漠然と有無を問題にする場合」に通じるかもしれません。
 辞書を丹念に読むと、いくつかの解釈が見えてきます。

 以下、詳しいことはリンクの形にします。
 理由はご賢察ください。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985391514&owne …
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この回答へのお礼

そうですか

お礼日時:2023/07/05 17:38

昔の公家言葉?


〇〇であらしゃいます。
ある、の尊敬語表現→あらしゃいます。
お上(天皇)であらしゃいます
お上のご子息であらしゃいます・・・・・なんていい方になるのかな。
子息=息子=子供
一人の人間として人格を持った子供→いる
お上との関係、(属性といえばよいのかな)が子供→ある
「お上」自身もその人ではなく、その属性「お上(天皇)」、だから、「ある」。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
1.人格を持った場合(血の通った)は、いる、
2.属性の場合は、ある、になるのですね。

お礼日時:2023/07/03 18:28

> 「あそこに子どもがある」とは言えないにも関わらず、



会話の状況によっては、「(ここ太田の本家には子がないが)、あそこ(野島の分家)には子どもがある」のような発話もすると思います。 家の継承など系統を継ぐべき血筋のものの有無にかかわっている話題・主題の会話や発話であれば、「子がいる」よりも「子がある」の方が収まりがよいように私は感じます。
「あそこに子がいる」と表現してしまうと、《分家・野島の跡をとる子》の感覚が強くなってしまうので、一族の跡取りの選出では「あそこに子どもがある」の方が良さそうです。

https://www.rn-ac.jp/blog/000863.html
A)ほら!自転車あるから、気をつけて!
B)ほら!自転車いるから、気をつけて!
ブログの解説は、「動く:いる vs 動かない:ある」となっていますが、「意識性・主体性・独自性があるもの:いる vs ただの存否・有無・客体・対象として認識して扱うもの:ある」のような気が私にはします。 

「ている」のことは、「いる」とは別の視点で考察していくのが良さそうで、あくまで「いるvsある」に限定すれば、語り手や聞き手にとって、客体・材料・様式・手法・公式・原理・目的でしかなれば「ある」、"語り手や聞き手の意識認識価値観志向とは別個の要因でそのもの自体に内包するようなことで変化が起きうることを忘れないようにしよう"という意識が働くときには「いる」ということでもありそうです。 (この「ありそう」は、「ある・いる」とは別です)

ア「乗客の中に、怪我人はありません」 イ「乗客の中に、怪我人はいません」
この場合、単に存否・有無ならば、アで良さそうなのに、イを使います。
{人・生物ならば「いる」、無生物・事象・事案ならば「ある」という説明}でも通ります。
アs「私には、子はありません」 イs「私には、子はいません」
アS「私には、子があります」  イS「私には、子がいます」
アs と アS は、対偶。 イsとイSも対偶。
気分というか、感覚と言うか、私には、"アは自分の状況だけを意識している"、"イは、特にイSは、子のことを強く意識している自分の説明をしている。イsは、「子のことを意識することさえも必要がない状況の自分」について語り、"という気がします。
政治的対立の状況下あるいは仲間内で今後の方針を検討する場で、「○○がいるぞ。あれを軽視できないゾ」と○○について「いる」のは、○○が個人名でも、職名でも、属性でも、"○○がこちらの意図とは別に行動や反応を起こす主体であるという話し手の意識"があるからでしょう。 「右派がいる、軍隊がいる、デモ隊がいる、群衆がいる、消費者がいる、流通業者がいる、貧者がいる、信者がいる、悪党がいる、偽善者がいる、弱者がいる、ウイルスがいる、蜂がいる、神がいる、悪魔がいる、幽霊がいる、ロボットがいる、あんなことろに大型トレーラーがいる、いよいよ」

「誰かある」のような表現は、日常会話では聞きませんが、よくある表現としては知っています。 ある/いるでも、時代や地域、所属集団によって異なっていることはあるのでしょう。

> 彼女には子供がある 彼女には子供がいない
> 彼女には年老いた両親がある 彼女には類縁はもういない
> 彼女には夫以外に恋人がある 彼女には夫以外にだれもいない

同じ表現形でも、話しの筋とか状況で意味が異なるということは多いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

同じ表現形でも、話しの筋とか状況で意味が異なるということは多い>ですね。
<会話の状況によっては、「(ここ太田の本家には子がないが)、あそこ(野島の分家)には子どもがある」のような発話>がありますね。
人はその状況に即して、こんなに複雑なルールを理解(なんとなく感じて)うまくは会話をしているのですね。
今AIのことを考えていますが、AIにこのようなことを教えることは、当無理でしょうね。。

お礼日時:2023/06/28 12:47

>>子供を問題にしているのではなく抽象的に子供一般を問題にしているのですね。



はい、その通りです。

具体的な子供のあり方ではなく親と子という抽象的な関係だけを問題にしています。その場合には「ある」になるということです。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2023/06/26 18:33

もう少し補足しておきましょう。



古くは、「三好青海入道ここにあり」「昔小野の篁といふ人ありけり」「いかに誰かある」「太郎冠者あるか。」のように「ある」が使用されていましたが、これはその出発において抽象のレベルを異にしていると理解できればごく簡単なことです。

「あり」の時には生物であろうと無生物であろうと動こうと動かなかろうと、それらの特殊性を超えた存在表現として使われました。それが「いる」を実体として動くものに使ったことから、【「ある」の使われる分野も普遍的ではなく狭いものになっていった】ということです。

語彙の辞書的な意味は、表現の場合の認識のあり方とは同じではありません。「ある」の辞書的な意味は、抽象によって観念的に分離された対象の認識だけにかかわるもので、その背後に隠し持っているものとは無関係です。俗流唯物論で、言語は対象を指示すると解釈し、認識の検討を抜き取って表現と対象とを直結して扱うと、抽象によって観念的に分離された対象のあり方がそのまま対象それ自体のあり方にされてしまいます。「ある」が具体的な属性を超えて最も普遍的な属性を抽象し把握しているのも、対象それ自体のあり方に押し付けられて、存在する状態のみを扱っているのだと解釈されてしまいます。

「いる」は、初めから実体として動くものに使われていて、この場合の対象認識は古典語の「あり」に比べてヨリ具体的です。歴史的に見るなら、「ある」と「いる」とはその出発において【抽象のレベルを異にしていた】のであって、このことは現在現代語における両者の違いにもそれなりに表れています。

ヘリコプターが現場上空の場合、スタジオでは、

 「現場上空に【いる】ヘリコプターからの映像です。」

と言い、倉庫に格納されていれば、

 「倉庫内に【ある】ヘリコプターの映像です。」

のようになります。満員のバスの車掌は、

 「次の停留場でお降りの方は【ござい】ませんか?」

と聞き、ボタンが押されれば、
 
 「あ、【いらっ】しゃいましたか!」

と応えています。こうした話者の認識を捉えることができずに対象と直結してしか理解できない現在の言語論、文法論の欠陥を正すことなく、せいぜい誤った辞書の解説、解釈をこねくり回すだけでは何の解明にもなりません。■
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この回答へのお礼

再三ご回答ありがとうございます。
<対象と直結>だけでなく
<話者の認識>が考慮されなければならないのですね。
外国語は英語をかじったくらいですが、日本語というのは、<話者の認識>が重要なのですね。例えば、やるとあげるとを使いわけねばならない、とかですね。

お礼日時:2023/06/26 18:32

「彼女には子供がある」と言えるのは、話者が幼稚園児などという彼女の具体的な子供を問題にしているのではなく抽象的に子供一般を問題にしているためです。



話者による対象の捉え方の相違という認識のあり方を正しく捉えられないと、

>>まぁ、辞書がこれだけ苦慮する難問なんだから、明快な回答などないのだろう。

などという俗耳に入りやすい遁辞に奔る他ありません。こんな俗見をいくら並べてみたところで問題の解明、解決にはなりません。
辞書はもちろんのこと、現在の日本語学もこれを正しく理解できていないのが現状です。

「いる」と「ある」の使い分けについて
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=1000 …

を良く理解しましょう。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
<子供を問題にしているのではなく抽象的に子供一般を問題にしている>のですね。

お礼日時:2023/06/26 13:34

No.15でコメントしたものです。


 No.17のかた(このかたのコメントは信頼できます)がひいたNHKのサイトは興味深いですね。相当苦労している様子がうかがえます。

 ほかの辞書をいくつか調べてみました。もちろん一部の不心得者が使う海賊辞書などではありません。
 辞書も相当苦労しているようです。
 ポイントになるのは、古い言い方と「相手のあること」というフレーズの気がします。これは「相手のいること」にできますよね。たいていのものは「いる」にするほうが自然だと思います。
 詳しくは下記をご参照ください。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985347695&owne …
 長くて難解な記述なので、結論の抜粋だけ。
===========引用開始
 辞書の記述はいろいろで、かなり苦労していることがうかがえる。結論としては「彼女には子供がある」と言える理由を明快に示しているものはなさそう。当方の考えはNo.15のコメントとかわらない。
 まぁ、辞書がこれだけ苦慮する難問なんだから、明快な回答などないのだろう。
===========引用終了
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
<明快な回答などないのだろう。>ですが
< 1)古い言い方が残っている>や
< 2)所有のニュアンスがある場合>に使用されるのですね。

お礼日時:2023/06/26 13:32

> 「彼女には子供がある」と言えるのは、なぜですか?



具体的にその子がどういう子であるかには興味が無くて、単に彼女に子が有るか無いかだけに興味がある場合は、人間に対しても「ある」が使えます。

しかしそういう場合でも、やはり人間に対しては「いる」を使おうというのが最近の傾向です。

「けが人はありませんでした」
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
私も、普通<やはり人間に対しては「いる」を使>っています、何の気なしに。

お礼日時:2023/06/24 10:21

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