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ヒトラーは米英がドイツに侵攻すると聞きつけ、1942年にロンメルに陸軍元帥に任命しました。
この時のドイツはデンマークとノルウェーを占領し、ベルギーとオランダに侵入。パリを無血占領。日独伊三国軍事同盟の時期でイケイケでした。ついでかどうだかヤダヤ人を。また、ロンメルは「砂漠の狐」と呼ばれて恐れられていました。日本はこのあたりに米国にやっちゃいました。

ロンメルはフランス北部の海岸線に防塁(大西洋の壁)を築きました。
連合軍のオーヴァーロード作戦は1944年6月、ノルマンディー上陸作戦から始められました。

下の写真はロンメルの任命式の時の写真です。
ヒトラーがメダルを渡すために側近から受け取ろうと振り向いたときのカットです。

この表情は何を物語っているのでしょうか。

「今日はカツドンにでもしようかな」の質問画像

A 回答 (3件)

ヒトラー(夕べ、母ちゃん怒ってたな〜??夕食が粗末だったよ〜!!)



ロンメル (早く終わらんかな〜さっさとしろや!!)

・・・・てな感じに見えるな〜
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この回答へのお礼

もうちっと、もうちっとひねってくれねえと、とてもじゃねえがお笑い演芸には出て頂くことはできやぁしねえな。

お礼日時:2023/08/15 18:15

この当時のヒトラーですか。


1942年9月25日ですね。
前の年はバルバロッサ作戦でモスクワ占領が果たせなかったものの、その失敗をロンメルがアフリカ戦線で6月に要衝港湾都市トブルクを占領して世界的名声を得たことで、ドイツの威信を回復してくれました。

このロンメルの快挙は、真珠湾奇襲攻撃を成功させた日本海軍機動部隊がインド洋アフリカ東岸のマダガスカル島までに進出し、エジプト方面の英軍への本国からの補給が途絶えたことも大きく影響していました。
英本国からの補給は地中海が使えないために、アフリカを回って兵員物資の補給を行っていたのです。

しかし、その日本海軍機動部隊はすぐに米豪軍と戦うために太平洋に戻り、米海軍と珊瑚海海戦とミッドウェー海戦を行っています。

そのために補給が復活した英軍はカイロ防衛のための最後の拠点であるエル・アラメインでロンメルの快進撃を阻止することができました。

そこで身体を悪くしたロンメルが一時帰国し、ヒトラーが元帥杖をロンメルに授与したときの写真ですね。
その頃は東部戦線でもスターリングラード侵攻作戦を開始し始めた頃で、ヒトラーもまだまだ自信を持っていた時代でしょう。

ロンメルはポーランド侵攻中に、ヒトラー警護の責任者として身近で接しており、ロンメルはヒトラーお気に入りの将軍となっていました。
お気に入りの将軍の期待以上の活躍の喜び、戦況に対する自信。さりながら度々命令違反を繰り返して暴走するやんちゃ坊主であるロンメルに困っていたこと。そういうことがごちゃ混ぜになった微妙な表情ということでしょうか。
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カツドン、いいですね。

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この回答へのお礼

俺に晴れの日のご馳走で、仮にうな重とカツドンが並べられていたら、俺は悪魔のささやきにこう言ってやりますね。「高い、旨いがなんになる。好きなものを食え。」と。

お礼日時:2023/08/15 18:16

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