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人が都合良い解釈をして綺麗事をいう理由

人間の道徳というものは脳を発達させた人間が心穏やかに調和して生きていくために作られたものですから本質的に本能と逆行します。ほっといても問題ないなら道徳やルールは必要ないからです。
道徳と本能は逆行しますから道徳を全て受け入れると我々が生きていく事と必ず矛盾する。だから部分的に都合よく解釈を変えるんです。これが綺麗事です。
脳が発達した多くの人間は自分の存在や行為が悪だ、無意味だ、と本心から考えながら矛盾を抱えたまま生きていく事はできないからです。
ちなみにキリスト教なんかは原罪という概念があり罪を償うために良い行いをするなんて考え方があります。
例えば 人を殺すのは悪だ→命を奪うから→じゃあ動植物は?→だめだ→人は食べないと生きていけない→じゃあ人間は悪じゃないか→それはつらい→食べ物に感謝して神に祈ろう

これについてどう思いますか?

A 回答 (4件)

>道徳と本能は逆行



それはどうでしょう。
マズローの定義した低次元の欲求、生理的欲求においてもっとも効率的に資源を再分配することが道徳の意義であり、本能もまた最適=もっとも生存確率が高くなることを追求しますので、必ずしも背反するものではありません。比較的低次元の安全欲求・社会欲求も同様でしょう。

むしろ高次元欲求とされる承認欲求や自己実現欲求の方がむしろ道徳に反する行動をとることが多いように感じます。つまり本能から理知的になるほど道徳が必要になるということです
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人が都合良い解釈をして綺麗事をいう理由


 ↑
人間は社会的動物です。
社会を作ることにより、自然の脅威から
逃れ、豊かで安全な生活を手に入れることが
出来ました。
その社会の秩序を作るために、建前、つまり
きれい事をいうのです。




ちなみにキリスト教なんかは原罪という概念があり
罪を償うために良い行いをするなんて考え方があります。
 ↑
原罪というのは次のようなモノです。

全知全能の神がいるのにどうして
この世は矛盾に満ちているだ。
その答えが原罪です。



例えば 人を殺すのは悪だ→命を奪うから→じゃあ動植物は?→だめだ→人は食べないと生きていけない→じゃあ人間は悪じゃないか→それはつらい→食べ物に感謝して神に祈ろう
 ↑
キリスト教では、神は己に似せて人間を
作った。
人間は選ばれた特別の存在だ。
だから、人間以外のモノは、総て人間の為に
存在するのだ。
こういう考え方です。
だから、動植物を食っても許されるのです。
食われるために、神が創ったのですから。
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綺麗事=言い訳=正当化



この中には「償い」の気持ちが込められている、と思いませんか?
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人に限らず、細菌やウイルスに至るまで、生命活動とは他の生き物やその残滓を体内に取り込むことで生命を維持している。



ご存じの通り、ヒトという生き物は、すべての生物と同じように体内に細菌を中心とした他の生命体が独自に活動している。
人体の細胞は37兆個だが、体内の細菌数は100兆個以上だ。

近年の研究では、ヒトの行動、例えばその時々に食べたくなる食物は主に腸内の細菌が食べたいものをヒトの脳に伝えていると云われる。また、環境の変化で食べられるものが限定されると、腸内細菌もその食べ物を好む種が増えていくことも確認されている。
腸内細菌はヒトが食べた食べ物を消化吸収して、ヒトが消化吸収しやすい物質に変換してくれる。例えばそういう共生関係にある。

「人が都合よく解釈して…」とは言っても、実際には体内の細菌類が自分たちが生き抜くためにヒトにホルモン物質を通じて指令している。真実とはそういう状況かもしれない。
であれば、ヒトの奇麗事とは、細菌など他の生命体に無理やり命令されているという事実を覆い隠すための都合の良い解釈かもしれないし、それが神の御意志の実態なのかもしれない。
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