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こんにちは。
私の祖父は戦時中、満州国で警官か軍関係の仕事をしていました。(祖父も私も日本人です)
祖父は既に亡くなっており、父が祖父から聞いた話だと、祖父は金日成を追っていて(任務上だと思います)、どうやら金日成は影武者だと言う話です。
その当時は別に何とも思っていなかったのですが、今になって何故か頭から離れません。
恐らく、そのような事実は無いと思いますが、皆さんこの事についてどう思いますか?
よろしくおねがします。

A 回答 (2件)

金成柱、金日成の入れ替わり説のことを言ってるのでしょうかね。


金日成というのは、抗日パルチザンとして、一応のところ先頭にたって日本軍と戦闘、ゲリラ活動をしていた実在の人物で、金成柱は偉大な将軍になった方の金日成の元の名前。こちらは抗日パルチザン時代はソ連軍の将校としてハバロフスクに滞在していたことは分かっています。

この二人が同一人物かどうかが怪しいとされているのは至極有名な話(というか最近の説では途中で入れ替わったとされるのが主流)です。
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「金日成」というのは、韓国併合の前後からゲリラ活動をしていた人物の名前だそうです。

「義兵」と言われる存在でしょう。人物像は良く分からず、金日成を名乗る者が複数存在したとも言われます。仮に1910年に30歳だったとすれば、1945年には65歳という計算になります。

北朝鮮の支配者であった金日成は、リンク先のサイトから引用しますと、

(引用開始)
金日成の本名は金成柱(キム・ソンジュ)で、満洲で抗日遊撃戦闘を繰り広げていた朝鮮人パルチザンの一人だったらしいが、昭和十六年頃、日本軍の討伐部隊に追われ、満洲からソ連領へ越境逃亡。以来、彼はこの地でソ連軍第八八旅団の一員(大尉)となる。

その彼が、第二次大戦終了時、ソ連軍から朝鮮人の間で伝説化していた「抗日の英雄・金日成将軍」として選ばれ、昭和二十年九月、彼はソ連軍の手によりソ連船プガチョフ号でひそかに元山に運ばれ、更に平壤へと送り込まれる。その時から、ソ連軍大尉キム・ソンジュは「抗日の英雄・金日成将軍」となった、というのが事実である。
(引用終わり)

現在、事実とみなされているのは概ね以上のようなことです。北朝鮮の権力者・金日成が初めて北朝鮮の民衆の前に姿を見せたとき、「伝説の金日成将軍が来る」と聞いた民衆は、白髪の老人が出てくると予想したそうです。ところが、思ってもみない若い男が出て来たので大変驚いたと伝えられています。

北朝鮮の歴史では、抗日戦争に大活躍した金日成将軍が日帝軍をやっつけて北朝鮮を開放したと言うストーリーになっており、本来の「金日成将軍」の誇張された武勇伝が全て「権力者・金日成」の武勇伝として扱われているそうです。

参考URL:http://www.seisaku-center.net/archives/rati-kita …
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