誕生日にもらった意外なもの

心理学ファンです。
最近、強い疑問が起こってきました。
心理学や精神分析の勉強をする人のなかには自分自身の根深い精神的問題がキッカケで始めた人も多いらしいのですが、では、こうした人たちは心理学を自身のために役立てることができているのでしょうか?
できていないとしたら他人に対しても、その学問は使えないということではありませんか?

いくら勉強しても現実に役立てることができないのだとしたら学問として存在する価値はあるのでしょうか?哲学と同じことだと考えたらいいのでしょうか?

心理学は自分に対する「言い訳」のための学問になってしまうのだろうか…と不審に思うこの頃です。

A 回答 (10件)

 sirayukihimeさんのようなご質問に対して,私の回答がお役に立つかどうか,少々疑問ですが,思いつくままに。

乱文ご容赦ください。
>いくら勉強しても現実に役立てることができないのだとしたら・・
 sirayukihimeさんのお考えされている「心理学」と,アカデミックな「心理学」とでは大きな差があります。また,sirayukihimeさんのご質問の内容からして,心理学という学問の中でも非常に狭い範囲の中で,この学問を捉えられているようです。
 例えば,基礎心理学という領域と,交通心理学のような周辺領域で研究されている方では,道路や駅の構内などで見かける視覚障害者誘導用ブロックの大きさ,高さ,素材などを研究している者がいます。同じように,視覚心理という領域の中では,携帯電話の画面の見易さを研究する者,カーナビで画面を直視することなしに(走行中に直視すると事故の危険性が高まる)操作するにはどうすればよいかという研究をしている者もいます。
 SONYのアイボは,実際には機械的に反応しているだけなのですが,我々,人間には愛くるしく感じたり,反抗的に感じたりする場合があります。ここでは,認知心理学者達が関っているのです。
 こうした事例は,一般の書店で一般の方用に販売しているいわゆる「面白心理学」や「ハウツー本」的な本には,紹介すらされていません。sirayukihimeさんのご質問の趣旨とは多少ずれていますが,心理学が現実世界で役に立っている事例は,数え切れないくらいあるのです。

>心理学や精神分析の勉強をする人のなかには自分自身の根深い精神的問題がキッカケで・・・
 私は心理学と精神分析は別物と考えております。もちろん全く関係していないとは言いませんが,関係している領域は,心理学という学問の中のごく一部である「臨床心理学」のような領域です。しかし,それでも,おそらくsirayukihimeさんがご想像されている精神分析という領域は,100年前の代物でしょう。現在のまともな心理学者は,その研究がすべて現在でも有効だなんて考えてはいませんよ。もちろん書店では歴史的な書物としてフロイトなどの書物が販売されています。書店で販売されていると,一般の方は,「フロイトは面白い」,夢分析は奥深いなどと感じ,今なお有効であるかのような錯覚を起こしてしまいます。しかし我々から見ると,これらの書物はあくまでも歴史的な書物でしかないのです。
 あと,フロイトは精神科医であり,心理学者ではありません(彼は,心理学に大きな影響を与えましたが,あくまでも精神科医なのです)。現在でも,しばしば精神科医と心理学者が混同されてしまうケースが多々あります。ちなみにTVで心理学っぽいことを言っている人の多くは,精神科医です。誤解なきように。
 次に,臨床心理学に関する領域で,実際に役に立っているケースについてです。例えば,少し古い研究ですが,論理療法などは,クライエントの物事の捉え方に,誤った考え方のプロセスがある場合には(それによってクライエントも苦しんでいる),考え方を修正したり,思考プロセスを訓練させることにより,回復に向かうというケースがあります。
 また近年,行動分析は大きな成果をあげています(正確には,行動分析の中の臨床分野)。現代心理学は,あくまでも「科学」であることをめざします。科学的であることを証明するために,統計も使います。臨床のケースでは難しいですが,多くは「追試」が可能です。また,心理学の研究成果を,社会に還元するためにも,一般化をめざします(その事例が,他のケースでも利用できるように)。
 あと,もう一つ言えることは,基本的に臨床心理学の専門領域はあくまでも「精神的な疾患の無い人」の場合です。精神的な疾患がある人に対する専門家は,精神科医なのです。不幸にも精神疾患にかかった方の場合は,残念ながら「臨床心理」では,治せません(今後,どうなるかは分かりませんが)。現在,精神疾患で最も有効なものは精神科医が行う「薬物療法」でしょう。しかし,クライエントの中には精神病院等に行きにくいという理由から,この薬物療法を拒み,臨床心理のカウンセラーに助けを求める場合があります。しかし,そもそも専門が違いますし,患者を「治療する」という立場にはありません。心理学には,過剰な期待を寄せられる場合が多く,回復に向かわない場合には人は心理学に非常に大きな幻滅を抱いてしまうのです。
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この回答へのお礼

お返事が遅れ失礼致しました。御回答、有難うございます。
なにぶん素人ですので正確なことは分かりませんがフロイトは20歳の頃読み
まして面白いと同時に多少の違和感も感じました。今回、先生が御説明くだ
さったことは他の専門の立場の方々も同様に回答なさっていることは私も
勉強させていただいており全く以って傾聴するばかりです。文中示された
「論理療法」について詳しくお伺いしたかったのですが、ひとまず締め切り
改めて質問したいと思います。
御教示いただき、たいへん参考になりました。

お礼日時:2005/06/17 00:00

No.1です。



役立つ、役立たないっていう定義って難しくないでしょうか?例えばエアコンが生活に役立っている、
でもそれによって、ききすぎて体調不良になったり
しますよね。病気や怪我で
医者通いをしている人は多いと思いますが、
その人達は、自分の役に立っていると思うから
お金払って行っているのでしょうが、100%の
健康体にしてくれるというわけではないし、その後、自然治癒力で徐々にすっかり元気になるのか、それとも、治らないままズルズルしていくのか個人差があったり、テレビ番組を見て面白くつい長時間見てしまう、その時間はその人にとって役立つ時間だったかもしれない、でもそれによって勉強する時間がなくなったり。本当にまったく役に立たないものなら
自然淘汰され、現代ほど、情報の発達した
社会にはすでに存在が「ない」と思います。
割れてこなごなになったガラスコップを
ボンドでくっつけて、使う人なんていないように。
捨てられるだけです。
心理学でも哲学も次々と新刊書が出ているという
事は、ある種の「役に立つ」という現象がある
と思う人がいるからそうなっているんだと
思いますよ。その役に立つ度合いは個人差が
あり、どんな意味で役立っているのかは
千差万別で、私の場合、単に好きで面白いと
思うからです。
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この回答へのお礼

再度の御回答、有難うございます。
そうですね結局は程度問題、節度の問題だと思います。
多くの人は節度をわきまえて本当に自分のためになるように役立てていらっしゃるのでしょう。そういう人たちによって淘汰されずにいるのでしょう。
しかし、なかには人を不快にするために「役立てている」人もいるということです。こういう人が多くなると、やがては淘汰されてしまうかも知れません。

「単に好きで面白い」これが一番なのかも知れませんね。御回答者様は良い意味で、これからも「役立てて」くださいませね。

お礼日時:2005/06/12 07:57

まぁ、カウンセリングでの心理的な病気の再発が


高そうだったり、薬の方が効果的な場合もあったり、
しますが。

心理学は、すべてに利用されているのではないで
しょうか?数学ってテレビを作るにも、サイズや形で
利用されてるじゃないですか?心理学も、心理的に
押しやすいように作られていると思いますよ。
それは無意識かもしれませんが。
赤と黄色の警戒色のテレビは、あまり見かけませんし。

あとは、哲学も心理学も心の支えとしては、有効だと
思いますよ。

まぁ、知識をもって役立てるか、それともタンスにしまい
混むかは、その人次第だと思います。
私は、多少辛い経験がありましたが、うつにはならず、
微妙なラインで変動しているのは、凹み続けた頃、
行った行動療法おかげだと思ってますし。

言い訳、っちゅうのが分かりませんが、こんな感じの
回答でどうでしょう?
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この回答へのお礼

こんにちは。
確かに先天的な問題が大きい場合は心理学程度では、なす術もないかも知れませんね。

「心の支え」になるのは結構なことと思いますが人を不快にする手立てには用いて欲しくないです。

「役立てる」というのも人それぞれのやり方かと思いますが場合によっては「しまい込んでください!!」って言いたいこともあります。

「行動療法」って多分私は、せっぱ詰まって自然に自分なりのことをやってるんだろうと、その御陰で正気を保っていられるんだろうと思いますが全然効かない人もいるのかな?

「言い訳」とは自分の間違いを認めないために心理学の理論?やら用語を駆使することです。
私は心理学ファンなので余計にひきます。

あ、赤いテレビって見たことありますよ~^^警戒色なんですか?信号がそうですよね。でも男性は赤い靴はいてる女性見ると興奮しますね。
家電製品の色って画一的でツマラナイという消費者の意向が反映されつつあるようですね。

私はウ~ン、パステルカラーのテレビがいいかな?でなきゃオレンジとかグリーンとかのビタミンカラー。いやでもブルーも大好き…何の話してるんだか。

御回答いただき有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 07:44

心理学を大学で学んでいる者です。



心理学を学ぶ…というのは、本屋に売っている「心理学」と謳っているタイプの本で学んでいるという意味ですか?それとも、専門的にという意味でしょうか…

もし前者の場合でしたら、「心理学を学んでいるから」自分の役に立つということはあまり無いように思われます。役に立ったとすれば、それは心理学という学問によるものではなく、他の人の事例などを知ったことから来る安心感などによるものではないかと思われます。
それ以前に、自分の内面だけで片付けられるレベルのことには心理学はあまり必要ないように思えます。重度の鬱などのような自分ではどうしようもないレベルのものの場合は他人からの影響がないと回復が難しいため、心理学を学んだところで役には立ちそうもありません。何せ、自分の思考のベクトルそのものに影響するわけですから。
鬱であることを早期に自覚して、診断してもらいに行くとか、そういうことには役立つでしょうね。

私の体験上、心理学を勉強して現実に役立つなぁと感じたことはありません。むしろ、自分の非常に辛い体験と重なる事象を検討している論文を読んだときなどは、「実態をわかってないなぁ」と考えるほどです。
上記の通り、臨床系の個人の内面に関してのみ言えば、心理学というのは自分ではどうしようもないココロの問題があるからこそ存在するわけであって、心理学を勉強すれば自分で解決できるのであれば、研究者以外は必要ないわけです。

私見ですが…それが根深い精神的問題なのであれば、心理学を勉強したところで決して解決はしません。解決または軽減されたとすれば、それは自分が思っているほどに根深いものではないと言えるでしょう。
私もイジメによって負った傷と、それによって引き起こされた人格的問題を引きずっている人間ですが、こういう根深い精神的問題というのは、何かを学んだから、誰かに何かを言われたから・・・というようなもので軽減されたり解決したりするものでは決してありません。自分で時間をかけてゆっくりとその歪みをできるだけでも直して行くしかないものだと考えています。
日常的、発作的な心の乱れにはいいかもしれませんね~

また、心理学は決して無意味な学問ではありませんよ。哲学とも違います。基本的には科学的に検証しますので。
そして、臨床の場合も、積み重ねられたデータと仮設などを元にカウンセリングなどを行いますので、救われる方は多いようです。
最後に、注意しておきたいのは、ちょっとNo.1の方を批判するようで心苦しいのですが、いくら市販の本を読もうが、自分で学ぼうが、専門的に学習しない限り他人のために本当に役立てるということはないということです。危険ですので。
今流行りの「心理学」を学んでいるというのは、それは学問ではなく、教養程度であるということです。決してバカにしているわけではありません。医学で考えてもわかるように、本をたくさん読んだからといって人を治療できるわけではないということです。

失礼しました
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この回答へのお礼

>心理学を学ぶ…というのは本屋に売っている「心理学」と謳っているタイプの本で学んでいるという意味ですか?それとも専門的にという意味でしょうか…

う~ん私にはよく分からないのですが要するに通信制だということです。

>役に立ったとすれば、それは心理学という学問によるものではなく、他の人の事例などを知ったことから来る安心感などによるものではないかと思われます。

この「安心感」が得られないとなると凄まじいことになりかねませんね。

>自分の非常に辛い体験と重なる事象を検討している論文を読んだときなどは「実態をわかってないなぁ」と考えるほどです。

同感です。分かったような理屈をこね回されるほど不快なことはありません。実践を踏んでから言ってもらいたいと思います。

>それが根深い精神的問題なのであれば心理学を勉強したところで決して解決はしません。

これも最近そうらしいと思っていますが、ではこうした場合何をするべきなのでしょうね。

>自分で時間をかけてゆっくりとその歪みをできるだけでも直して行くしかないものだと考えています。
日常的、発作的な心の乱れにはいいかもしれませんね~

これが、なかなかに難しいようですね。まず自己内の歪みがどこにあるかも認め難いようですし「日常的、発作的な心の乱れに」全然、効を奏していない事例も見られます。

>心理学は決して無意味な学問ではありませんよ。哲学とも違います。基本的には科学的に検証しますので。

これを拝見して少し安心しました。これからもそうあって欲しいと思います。
御回答いただき有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 01:48

学問というのは、理論の構築です。


どんな学問でも、100っていうのはないんです。
だから、学者っていうのは100を求めてやってるわけではなくて、どこまで理論に説得力を持たせられるか、どこまで100に近づけられるかってことに心血を注いでいるわけです。
自然科学は、こうしたらこうなるっていう、割と素直な分野ですが、それでも"奇跡"と称する現象は日々ごまんと起こっているわけで、結局確率論に過ぎない。
どんなに天文学的数字かどうかでも、起こらないとは言えないわけですから。
「99.9%の確率で起こりそうにないもの」を、我々は「起こらない」と呼んでいるんです。
ですから、「心理学」に関しても、100を求めるのは不可能ですし、特に100を求めるような学問ではありません。

「心理学」はご存知のとおり、「哲学」に端を発している。
現代に「哲学」が衰退したのは、「哲学」を科学的に解明しようとした「心理学」の影響、または成果といっていいかもしれない。
ですから、先ほどもいったように100求められるようなものではないですが、だからと言って、何も得られないかっていうと、絶対にそんなこともないわけで。
実際、いろんな実験や論証が試みられて、多くの人の言動がこうなった、それにより心理はこう言えるのではないかという提示がなされたわけで、そこから精神医学や犯罪心理学など、細分化された枝葉が誕生したのは、紛れもなく「心理学」の科学的功績です。

ここで私の話になるんですが、私は心理学を専門ではありませんが、少しかじっており、なおかつ、以前精神疾患の兆候を持っておりました。
これは医者に診断されたわけではありませんが、アメリカで母親を殺して精神疾患により無罪を宣告されたランディ・スターとほぼ同じ症状を有しておりました。
そんな私の意見からですが、実際、私はあんまり「心理学」を信用していません。
それに、自分の精神疾患に「心理学」が役立ったかと問われると、はっきり言って、あんまり関係ないですね。
それはつまり、医者は病気にならんか?と同様の、解釈の誤謬が生じていると思われます。
ですから、「心理学」が学問を超えた実際的な有用性を持ってるとは一概には言えないし、もっていないとも一概には言えない。本当のところは、多分その中間にある。どこにあるかは解かりませんが、少なくとも0か100のその中間にはあるわけです。だから、過信する必要もなければ悲嘆する必要もない。
実際、あらゆる学問が実際的な有用性を証明しえていないんですよ。
要は「心理学」が楽しいかどうかで、女性の場合は特に人間と関わることを好みますから、楽しいと思うでしょうし、それこそ「心理学」を学ぶという上では非常に重要なことです。知的探究心の充足、それのみで、実は有用性を超えたところに、学問の意義があったりするんですね。例えば、スポーツってすると思いますが、なんでスポーツってするんですか?健康のため、コミュニケーションのためって、いろいろ言うんですが、なによりやってて楽しいから20世紀以降数々のスポーツがうまれたんじゃないでしょうか。だから、それでじゅうぶんなわけで、なにも役に立つかどうかだけが判断のものさしではないわけで、「言い訳」の学問なんて言い方は、過度になにかを求めた理屈臭い物言いです。

では、最後に整理しておきますネ。(煩雑に書いたので)
心に病を抱えた人間が、心理学や精神分析を勉強して自分たちに還元できるか?
→多分、できないと思いますし、私はできませんでした。できる人もいるかもしれませんが、そんなに「心理学」はこうしたからこうというような結果が出る学問ではありません。
実用性のない学問に存在価値はあるか?
→あります。あなたが学んでいて面白い、なるほど、楽しい、なんでだろう?と思うのならば、価値はあります。それは、社会的に価値があるかどうかよりも、少なくともあなたにとっては価値があります。
「心理学」と「哲学」は同じか?
→違います。「哲学」を科学的に解明しようという過程で「心理学」が生まれました。現代「哲学」がほぼ廃れ、「心理学」が隆盛を極めるのは、その功績の現れです。少なくとも、「哲学」よりも「心理学」のほうが人々を救いました。
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この回答へのお礼

>現代に「哲学」が衰退したのは、「哲学」を科学的に解明しようとした「心理学」の影響または成果といっていいかもしれない。

実に皮肉なことですね。

>要は「心理学」が楽しいかどうかで、女性の場合は特に人間と関わることを好みますから楽しいと思うでしょうし、それこそ「心理学」を学ぶという上では非常に重要なことです。

「好きこそものの…」と言いますものね。でも男性女性は、この場合あまり関係ないと思います。むしろ共通するのは人間関係を苦にし、その摩擦に悩む人が関心を持つことが多いように見受けられます。

>「言い訳」の学問なんて言い方は、過度になにかを求めた理屈臭い物言いです。

そうですか…。心理学を言い訳に利用しようとする人こそが「過度に何かを求めた」理屈臭い人なんではないでしょうか?

>心に病を抱えた人間が、心理学や精神分析を勉強して自分たちに還元できるか?→多分、できないと思います

これはそうみたいだなと思っております。

>学んでいて面白い、なるほど楽しい、なんでだろう?と思うのならば価値はあります。それは社会的に価値があるかどうかよりも、少なくともあなたにとっては価値があります。

実は国語のカテゴリにて「本当に知る」こととは?という質問がありまして、その例文として挙げられたなかに「知って楽しい」というのは実は自分には関係のないことだからで「本当に知る」ということは苦しみの始まりなのである…というような意味が述べられていたのですが私も筆者の意見に共感します。
個人にとっての価値が何より重要であるなら学問も所詮、趣味と変わりませんね。

>「哲学」を科学的に解明しようという過程で「心理学」が生まれました。現代「哲学」がほぼ廃れ「心理学」が隆盛を極めるのは、その功績の現れです。少なくとも、「哲学」よりも「心理学」のほうが人々を救いました。

これは頷ける気がします。諸科学の生みの親は哲学だと思います。哲学は希求の学問ですから。事は心理学に限ったことではありませんね。

御回答、有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 01:24

>心理学を自身のために役立てることができているのでしょうか?



誰でも失敗や成功の原因を探すというのは、自然にやってしまうと思います。
分析して考えていたのが、たまたま心理学だったということだと思います。

自分に必要のないことを覚えても活用できません。
覚えるべき事を考える必要があります。
その為に自己分析(心理学)を使ってしまいます。

>できていないとしたら他人に対しても、その学問は使えないということではありませんか?

もし、自分に役立てる思想があったとしても、それが他人に合うとは限りません。
その人に合った思想も、心理分析しないとわかりません。

>心理学は自分に対する「言い訳」のための学問になってしまうのだろうか…

言い訳にする人もいれば、金を稼ぐ手段にする人もいる。
目的によって、学問をどう考えるかは、人それぞれです。
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この回答へのお礼

「失敗や成功の原因を探す」という行為が自分を弁護するためのみならず他罰のためであるなら「心理学」と呼ぶに値するのでしょうか?

なるほど「活用できない」ということは「必要のないこと」だからなのですね。だから、いくらやっても身につかない。

「心理学」が好き!と公言するなら邪な目的の手段にしてもらいたくないですね。こういうのは「好き」じゃなくて利用しているだけなのだと気づいて欲しいものです。

御回答いただき有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 00:49

まず「心理学」という学問そのものに対する誤解が一般的に広がりすぎているように感じます。



質問に書かれているようなものは、心理学の中でもほんの一部の分野に過ぎません。おっしゃるとおり精神分析学とか、臨床心理学という分野です。
しかし、これらは特に科学的ではない分野であると思います、確認のしようがないですので(怒る方もいらっしゃるかもしれませんが)
なので批判等も多いようです。。。

例えば、精神分析学の分野で有名な人が、神経症は無意識の抑圧が原因だ、と言っていますが、これも確認のしようがないと思うんですよ。確かにいっていることはそれっぽいんですが。
心理学のこの分野だけを見ると確かに「言い訳」な感もあるように思います。

私は私は学生で光が人間の体内リズムに与える影響を学んでいますが、これも心理学です。
上の臨床心理学に対する意見は、実験心理学を学んでいる者としての視点です。なのでかなり偏ってはいると思いますが、いろいろな心理学のうちの一分野だと理解していただけると、心理を学ぶ者としては幸いです。

とかいって何か偉そうにすみませんでした。自分も習って間もない若造なので、偉そうに出来るような人じゃないんですが^^;)
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この回答へのお礼

心理学において「確認しようがない」ということは、それは「仮説」段階に過ぎないということですね?では、それを強力に支持せずにおれないということは取りも直さず当人の心理が作用している、殆んど「信仰」のようなものでしょうか。

私は心理学に興味津々なだけに自分の心理を、このように仕向けたのは誰それのせいである!という低次元の段階に留まって一歩も動こうとしないのを見ると心底ガックリするんです。

御回答者様のなさっている分野は、お話を伺うと科学のように思えますが、こうしたことも心理学のうちに含まれるんですね。私はむしろ実験等の科学的手法が及ばない心理学のほうが偏りがちだと思います。個人の予断と偏見が入り込み易いですから。予断と偏見に学問の衣を着せることほど危険なものはないと感じます。

「偉そうに」なんて感じません。御回答者様と似たような立場でも本当に「偉そうに」断言する人いますから。

御回答有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 00:38

そもそも学問というのは、まず第一に自分自身のために役立つものではないでしょうか?



ただし、心理学の場合は「心理学をやったから**が解決した」というような効果を及ぼすものとは違うのではないかと私は考えます。
「心理学を学んだから拒食症から回復した、拒食症の人の気持ちが分かった、拒食症の人を治せるかも!」
みたいなものではないと思うのです。

それに、自分の問題だからこそ、上手くいかないことってありますよね。
自分のことではないからこそ、助言したり、他の見方を提示したりできるのだと思うのです。
でも、それも「胆石ができた→手術で取った」みたいな、病理と対処・治療方法が明確に関連づけられているものではないはずです。

それに、心理学者は、たしかに人の心の仕組み・動きについて普通の人より詳しいかもしれませんが
悩まない・自分の悩み全てを解決できるわけではありませんし、
そもそも悩まない人に相談なんかしたくないですよね?
心理学は、明確な問いと明確な解答がある学問ではないのです。

「役に立つ」といっても、ものすごく幅があります。
もし、「それを学べば目の前の難問が解決する、就職できる」みたいに思ってらっしゃるなら
確かに心理学はさほど役に立たないと思います。
そもそも最初の文と矛盾するようですが、
現実に役立たないと、学問ではないのでしょうか?
役に立たないものは、学ぶ必要がないのでしょうか?

私は特に精神的に大きな問題を抱えていたわけではありませんが、興味があったので
大学の4年間、心理学を専攻しました。卒業後は全く関係のない生活をしています。
だから、人によっては「役に立ててないね」というかもしれませんけれど、面白かったですよ(笑)。
そういう動機で良いんじゃないですか?
「役に立つか立たないか」だけが価値ではありませんから。

…と思えたのが、ある意味心理学で学んだことかもしれません(笑)。
私たちが当然だと思ってることも、そもそも思考方法も、絶対的なものじゃなくて
一つの様式に過ぎないものなんだよ、と。

P.S.あ、あとは心理テストや統計結果に騙されにくくなるかもしれません(笑)。

ま、私は4年間専攻した…ほんのちょっと心理学をなめてみた程度の人間なので
(大学4年くらいじゃ、ホント何も分かんないんですよ)
もっと専門的にやっている方は、もっと色々思うところがあるのでしょうけれども。
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この回答へのお礼

>自分のことではないからこそ、助言したり他の見方を提示したりできるのだ

これやって私は散々な目に会いました。

>心理学は、明確な問いと明確な解答がある学問ではない

と言いますと、やはり哲学によく似てますね。私としては、より生理学等の科学に接近して行って欲しいと思います。でないと文学的情緒にドップリ浸る人間のアクセサリになりかねませんから。

>私たちが当然だと思ってることも、そもそも思考方法も、絶対的なものじゃなくて一つの様式に過ぎないものなんだよ、と。

この自覚は、たいへんに重要だと考えます。

>現実に役立たないと、学問ではないのでしょうか?
役に立たないものは、学ぶ必要がないのでしょうか?

実を言いますと役立つどころか他人を傷つけるための武器にしてしまっていることがあるのが問題なのです。もっとも本人にとっては「役立ってる」わけなんでしょうね。

>(大学4年くらいじゃ、ホント何も分かんないんですよ)

そうなんですか…なら、いわゆる「紙の大学」一年生とかじゃ一般人と何ら変わりないのアタリマエなんですね。

アドバイスいただき有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 00:21

もちろん実用されていますよ。



一番有名なのは、第一次世界大戦で、幾何学模様の迷彩が使用されたことでしょう。これはゲシュタルト心理学の応用です。つまり全体で人間は認知するので、幾何学模様をいれると、本来のものの形を誤るということに発しています。

社会心理学は、伝単散布とか宣撫工作などの心理戦に応用されていますし、占領地行政とか捕虜の尋問などにも効果を示しています。臨床心理学は戦場心理症の克服などにも応用されていますよ。
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この回答へのお礼

うちの身内に第二次大戦時の「中野学校」出身者がいるのですが諜報活動においても心理的研究は有用だそうですね。
「ゲシュタルト」心理学は近頃知ったのですが「ゲシュタルト崩壊」と言うのでしょうか子どもの頃これと近い感覚を自覚したことがありまして子供心に何と呼んだらいいのだろうかなどと思っていたことを思い出します。
一口に心理学と言っても多岐に渡りますね。
御回答いただき有難うございます。

お礼日時:2005/06/12 00:03

私も心理学が大好きで、読みやすい心理的な分析


の書かれた本やゲーム感覚のものや、ドラマの
主人公の心理分析など、読み漁りました。
今まで読んだ心理関係の本は1千冊を超えたかも
しれません。

心理学や精神分析の勉強をする人のなかには自分自身の根深い精神的問題がキッカケで始めた人も多いらしいのですが、では、こうした人たちは心理学を自身のために役立てることができているのでしょうか?

そんな自分の問題というのもあったかどうかは
解りませんが、とにかく、心理が好きですね。

私の場合は、本当に役に立っていると
思います。そういった本のおかげで
死にたいと悩んだときでさえ、救われたような
気がします。そして、自己実現して
前向きな気持ちになれるように後押しして
くれているように感じます。
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この回答へのお礼

早速アドバイスいただき有難うございます。
私も心理学は、とにかく面白いという実感があります。
私個人は死にたいという思いに直面したときとる姿勢は別の面での方策が大きいですが親なんかから理不尽なことを言われて、やみくもに自分を責めて、がんじがらめになってた昔の自分の心理やムチャクチャなことを言う親の心理を分析するのに多少役に立ったかなと思います。それによって自分だけを攻撃対象にし続けることから逃れられたと思います。
でも替わりに他人を攻撃するような人にとっては何のための心理学?って思います。
一千冊以上も御読みになったってスゴイですね!

お礼日時:2005/06/11 23:48

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