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 野依教授がノーベル賞を受賞しました、ノーベル賞や、文化功労賞、教科書にコラムに載っていたりする人は、湯川秀樹、利根川進、木原均など、京都大学出身者が、とても多いです。なぜこんなに多いのでしょうか?
 私の友達も、数人、京都大学に通っていますが、東大に行った人よりは、変わった人が多いし、研究がしたいと言う人が多いのも確かですが。

A 回答 (10件)

私は現在京大の学生です。

なぜ京大にノーベル賞受賞者が多いのか、いう疑問なんですがたぶん京大の校風の結果だとおもいます。京大の校風はよく言えば自由、悪くいえばほったらかしで自分の好きなことがどんどんできる環境です。その反面特に以前の理系の学部などは百人の凡人から一人の天才を引き抜き育てるといわれるように積極的に研究なりする人間は徹底的に育てますがそうでない人間はどんどんおちこぼれていくもしくは何の援助もなくなる側面も持ってる気がします。だから自由な校風で個性的な人間が集まりその中で意欲や才能を持った人の力が最大限に発揮されたからではないでしょうか。ただこの答えは私が自分なりに推論したものでありはっきりしたことはいえません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。才能を、活かすも殺すもやっぱり自分の意欲&才能も必要ということなんですね…

お礼日時:2001/10/15 07:53

「東大は高級官僚養成大学だから」と東大卒業生が書いておられます。



参考URL:http://ppmint.hoops.ne.jp/arakawa_sakuhin1.htm
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中央から遠い分だけ、固定観念にとらわれない自由な研究が出来る……と、テレビでコメンテーターがいっていました。

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湯川さんは、教授をしていたのは京大ですが、学生時代は東大にいたのではなかったでしょうか。



最近はセンター入試のウェイトが高くなっているのですが、大学入試問題の傾向として、京大は問題数が少なく、時間をかけて考えさせる出題ですが、東大は、結構問題数が多く、パッパッとこなしていく出題傾向があります。
ノーベル賞は、朝永さんと福井さん、あと、江崎さんが京大関係でしたっけ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。湯川さんは、京大のHPに京大卒と書いてあったので、たぶん京大だと思うんですが…よくわかりません(><)
京大の入試は解答用紙に書いていなくても、計算用紙とかの考え方が間違っていなかったら部分点がもらえるけど、東大は、あっていても、誤字や、文字数オーバーなどがあったら不正解になる…みたいな話を聞いたことがあります。受験生からすると前者の方がありがたいんですけどね(笑)

お礼日時:2001/10/15 08:02

皆さん京大生ですね。

湯川も朝永も利根川も江崎も。

大学時の校風が自由なのと、安保の頃東大が荒れていたのでは?と思います。
湯川や朝永らはもっと時代が前なのでなんとも言えませんが、、。
町の雰囲気的に東京は忙しいからというのもあるかも知れませんね。

でもあと50年くらいすれば多分そんなことはなくなると思いますよ。
あてにならない勘ですが。
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すみません。

「東京出身」と「東大出身」を間違えていました。

「安保」の頃は京大も荒れていたと思いますが、解決の方向が東大と違って、「安田講堂」みたいな象徴的な事件にならなかった、ということだと思います。考えてみれば、そういうことの解決方向を安易に機動隊導入、に頼ってしまった東大の弱点なのかもしれません。

 京大の研究者の方々も危惧しているようですが、「独立行政法人」が進むと、湯川さんのような研究者は出てこないのではないかと思います。
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かなり以前の新聞(朝日か読売)に載っていたように思うのですが、東大、東京は、街が大きく、研究が終わって一息入れようと、夜の街に出て行っても、他の研究者達に会うことは少ない。

一方京大、京都では、飲みに行く場所が限られており、自分の研究以外の分野を研究されている方との接触が、大きな刺激となりプラスとなる、といったようなことが書かれておりましたが・・・
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アメリカに行けば日本人が知らない大学がたくさんノーベル賞をとっている。

日本がノーベル賞をとる数が少なすぎる。日本で有名でない大学がとってもいいのではないか?
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京大卒で現在、貧乏学生として海外で研究を続けています。



普通に考えたらこんな道、リスクが高すぎて、結婚も就職もできず、何の意味も無い人生になる可能性が大だと思います。実際、お金が無い時はドイツで空き缶を拾って生活してましたし、今も不安でいっぱいですが、いい研究をしようという理想だけは譲れないです。

でも京都のときはほんと楽しかった。目立つタイプではない理系の人間ですが、高校の頃から普通には社会でやっていけない気がしていました。大学でなかのよかった友人は、みんな洒落っ気があるあほで、どーでもいーことを命がけでやってました(しかしみな本人はふつーで、周りが変わってるという雰囲気だった)。

 影響を受けた人は東大を2年落ちて、3年目の後期で京大物理工に入学した部の先輩で、4年留年を含む計8年間で結局卒業できず、塾講師を経て、自分で会社を立ち上げた後、今は地方議会の議員。経歴だけで十分に笑いがとれますが、ほんと頭が柔軟で発想が豊かな人でした。

もちろん高校の時のような、いわゆるふつーの感じ(?)も多分にありましたし、なにをもって変わりものかというのも僕にはよく分らないです。

海外でもいくつかの大学に在籍しましたが、こんな雰囲気のとこはほんとないです。

受験一発+大学のランクで決まる日本とは違い、欧米の大学で優秀な学生であるためには、いわゆる「頭の回転が速く」で「コミュニケーション能力の高さ」でテスト情報をうまく集め、会話で教授にいい印象を与えられることが必須な気がします。
(もし僕が欧米に生まれてたら研究者になれなかった気がします)

途上国の優秀な学生を引き抜こうとする欧米の大学は、多文化・多言語・多人種が一般的、そんな中で発想の豊かさを測るのは無理なのでしょうが、いわゆる人間的にはふつーの人が多いですね。

米英でノーベル賞が多いのは、まず学術情報の収集能力が秀でてるからであって、言語(英語)の利もあり、せこい気がします。今や検索すれば英語の論文はすぐ手に入りますし、ウィキの情報量も英語が圧倒的。言語・文化的に相対にある日本語・日本人は全面的に不利です。

まあそいう不利な条件で結果をだしてきた、日本の研究者の独創性・発想はすごいと思うし、信念をもって頑張るという姿勢が(大学に関係なく)すばらしい業績に繋るんだと思います。
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1つは東大が官僚養成系の文系大学としてスタートし、京大はそうではなかった事が挙げられます。

文系では優秀でもノーベル賞は取れないですからね。

もう1つは校風でしょうか。通常、ノーベル賞クラスの発見と言うのは10年20年とふつうにかかる。だから時間対効果はすごく悪い。
日本のエリートを養成する組織である東大はそんな非効率なものよりも、もっと速く実学的なものに目が向きやすいんでしょう。

もともと蘭学も長崎を経て、東京で盛んだったものの、江戸後期にはお上の取締りが厳しくなって、大坂で発達したと言う経緯があります。
今の阪大慶応、東大と京大の医学部はこの幕末期に大坂、中之島に存在した適塾の流れを汲んでいます。
だからお茶やお花の先生が関西弁なのと同様に、地方でも関西弁を使う医師は未だに多いのです。その世界における標準語、と言うわけですね。
逆に役人やビジネスマンは地方でも標準語を好んで使いますね。

世界最古の大学であるオックスブリッジも、田舎にあります。あれも元々は反教会的であり、弾圧を逃れるために、ロンドンなどではなく田舎で作られたと言われています。
このように歴史的に言って、新しい分野は既存の価値観を壊す事が多いので、反発を受けやすい。だから辺境の方が環境がよかったりするのです。
逆に既存の価値観を継承するような場合は中枢にいた方がいいですよね。例えば就職活動をして大企業に入る時は東京の有名大学にいるべき、のように。
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