名君・名臣を教えて下さい
江戸時代の大名・家老・改革者で、名君・名臣と謳われた人物がいましたら教えて下さい。
回答(9件)
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No.9ベストアンサー20pt
追加質問に補足です。
田沼意次は近代経済を取り入れようとした傑材ですが、抵抗勢力のためその目指した政策はいずれも中途に終わりました。
そのため名臣となり損なったと思います。
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
田沼主殿は残念だったのですね。
寛政の改革の松平定信・・・。
あくまで白河藩時代で。
一藩の為政者としてはかなり優秀です。
しかし、幕府のような社会全体の統率は才能と実力が足りなかったようですね。
前任者、田沼意次は時代を先取りしすぎて失脚しました。幕藩体制はあくまで農業主体(食べ物>金)とした政治体制でした。田沼は商工業主体という近代的経済体制を目指したので当時としてはかなり時代を先取りした為政者でした。賄賂とは言いますが、賄賂はいつの時代でもあります。あまり関係ありません。
田沼の失敗は幕府による中央集権化だったそうで。
知ってのとおり、藩によって通貨が違うし、行き来も制限されてました。
そこで貨幣を統合し、各藩の往来規制を緩め流通経済をしたかったと推測論がありますね。
しかし、脱藩禁止や地方の内政干渉で大反対されました。
武士の掟?に縛られない田沼の個性ならではでしょう。
もちろん、田沼の夢の改革は明治で実現することになります。
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
時代を先取りしすぎたのですね。
名臣とすれば松平信綱は幕臣としてかなり傑出していたのでは・・・
名君といえば池田光政、島津斉彬、前田綱紀、鍋島直正があげられると思います。
池田光政は内政に注力した他支藩の指導にも意を用いた事で有名です。 熊沢蕃山を登用したのも有名ですが学校設置の活用については別な批評もあるようです。
島津斉彬は人材の登用、育成に有名です。 ただその育成された西郷、大久保などの家臣は明治維新の功臣となりましたが・・・
前田綱紀は学問の奨励に貢献、多くの学者を集め「天下の書府」と呼ばれる書籍を集めこの書籍は現存します。
鍋島直正は財政の再建、産業の開拓、西洋技術の国産化などの功績が大きい。
名臣として風変わりかもしれませんが島津家の調所笑左衛門は破綻した藩財政を借金の無利子100年賦などの手段で踏み倒し、密貿易で利益を稼ぎ結局その責めを一身に負い切腹しました。
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
たくさん挙げて頂きありがとうございます。
知恵伊豆が傑出していたのですね。
田沼主殿頭意次はどうでしょうか?
No.6ベストアンサー10pt
名君・名臣は、人によって評価が分かれますが、一応考えられる人として
☆名君
立花宗茂
上杉鷹山
細川重賢
☆名臣
河合道臣(姫路藩酒井家家老)
http://members.jcom.home.ne.jp/raizin/kawaimitio …
恩田木工(松代藩真田家家老)
堀平太左衛門(熊本藩細川家家老)
http://kumanichi.com/feature/renaissance/rena001 …
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
堀平太左衛門は知りませんでした。
No2の方が挙げられている吉良上野介は、断片的な史料によればかなり立派な人だったようです。No2の方のご説明の通りですが、下記の本で詳しく書かれています。
文春新書 吉良上野介を弁護する
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31055571
一方、浅野内匠頭については、どう見ても当時の大名としては平均以下、好色で暗愚であったとする史料しか残っていません。
名臣としては、恩田木工という人がいます。
http://www1.ocn.ne.jp/~sho1948y/onndamoku.htm
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
吉良少将は人気なのですね。
三代将軍徳川家光の実弟「保科正之」はどうでしょうか。
http://ns.town.takato.nagano.jp/hosina/hosina-to …
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/hosinamasayuki …
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
保科肥後も確かに名君ですよね。
将軍の弟だという事をひけらかさずに、分をわきまえた人物だと思います。
47人の完全武装のテロリストによって暗殺され誹謗中傷の末に悪人として描かれた小説の悪役にされた名君「吉良上野介義央」はどうでしょう
領地だった愛知県幡州郡吉良町ではいまでも名君として讃えられて銅像まであります
・洪水に苦しむ領民たちのために一夜で「黄金堤」を築いた
・妻の富子の眼病回復祈願として「富好新田」を拓いた
・吉良庄に立ち寄ると赤毛の馬にまたがって領内を巡視し身分に分け隔て無く人々と親しげに語り合った
と言った話も残っています
吉良町には「赤馬」という郷土玩具があり、華蔵寺の墓の横の立て札には「義冬公 子 哀しき名君 高家 吉良上野介義央公」の文字が記されているそうです
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
吉良少将は本当はもっと評価されるべきなのでしょうね。
名君といえば上杉鷹山でしょうか。
この回答へのお礼
御回答ありがとうございます。
上杉鷹山、治憲ですね。
私も好きな大名です。
改革の道をつけた後は地位に固執しない所など名君だと思います。
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