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奥詰衆というのはどんな役職でしょうか?
ネットを見ていたら小城藩主・鍋島元武も就いていたとの記載がありましたが大名も就任する役職だったのでしょうか?

A 回答 (2件)

奥詰衆というのは将軍の親衛隊で、政治的にはなんらの力も持ちませんが、将軍の側近くにつかえて将軍を守る役でした。


将軍の親衛隊としては、書院番組、小姓組、あるいはのちに作られた新番などもありますが、これらがどちらかというと中堅クラスの旗本が番士となっていたのに対して、奥詰衆はもっと高位の旗本や小身の大名などもつく場合があり、土佐中村藩の山内豊明も奥詰衆から若年寄に抜擢されましたが、病気で辞任を願って綱吉の逆鱗に触れておとりつぶしにあったような例もあります。
幕末には、他の番方の部隊がほとんどやくにたたなかったのにたいして、奥詰衆は遊撃隊に再編されて鳥羽伏見の戦いにも参加しました。
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ちょっと不十分な点や勘違いがあったので訂正します。


奥詰衆というのは綱吉の時代に松平定重ほかを山水の間に志向させたもので、この時期の奥詰衆は大名などが任じら将軍の諮問に答えました。前述の山内豊明もこの奥詰です。
この奥詰衆は宝永6年に廃止されました。
その後、幕末になって新たに奥詰衆がつくられましたが、こちらは綱吉時代の奥詰衆とは異なって身分が低く、これが将軍の親衛隊でした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
結構早くに廃止されたのですね。

お礼日時:2005/09/21 03:41

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