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「私」にとって「この世界が見える」ための条件は何でしょうか?

単純に考えると、「私の肉体」があればこそ、「私」は「この世界が見える」わけですから、条件は「私の肉体がこの世界に(生きて)存在していること」だと思います。

しかし、「私の肉体」とは、何でしょうか? それは、純粋に物質である原子・分子の構成体ということでしょうか? もし、そう考えられるのなら、「私」が死んだ後、未来の科学が、私の肉体を再生することができたら、その時、「私」は再び「この世界が見える」のでしょうか?

もし、そうだとすると、それは、私のクローンを作るのと同じことにならないでしょうか? でも、私のクローンは、「私」とどんなに似ていても、結局、他人に過ぎず、「私」は「この世界を見る」ことはできないのではないでしょうか?

クローンとオリジナルはDNAが同じであるだけであり、厳密な意味ではオリジナルと異なるはずだから、他人になるのであって、もし、厳密な意味で同じクローンができたら、「この世界が見える」も再現できるでしょうか? でも、それは、明らかに不合理です。何故なら、「私」は2人の自分のどちらかの肉体からしか「この世界が見える」を体験することができないはずだからです(両方の肉体から見えるとすると、世界が2重に見えることになります)。

一方、「私」にとって「この世界が見える」ための条件として、「私の肉体の完全なるコピー」を必要としていないことは、明らかです。それは、子供のころの自分と大人になってからの自分は、肉体的、精神的、また、記憶の上でも、全く異なる存在です。それにもかかわらず、「私」にとってこの世界が見える」ということは一貫して可能だったわけです。

「私」にとって「この世界が見える」ための条件が、「私の肉体の完全なる再生」ではないとしたら、一体何なんでしょうか?

A 回答 (107件中91~100件)

すでに他の方が同じ事を書いておられると思いますが、あなたのクローンがあなたの再現としても、そのクローンは自分と思うだけで、自分はあなたと思うことは原理的に無いと思います。

現にあなたは誰かのクローンであったと想像しても、その人が自分だとは思わないのではないですか。このことを確認する現実的な方法としては、あなたが考えていることと殆ど同じような事をあなたのご両親がすでに考えたことがあるということを確認してみる事です。必ずひとつや二つあるものです。そのことを知った時あなたはご両親の(部分的)クローンと考えるでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

私もクローンは他人だと思ってますよ。私の質問は、「私」と「私の肉体」が恣意的結合なのか、必然的結合なのかということに関連してます。「クローンの肉体」と「私の肉体」のようによく似た肉体であっても、それは他人に過ぎないのなら、「私」と「私の肉体」を関連付けた条件は何だったのかということです。

お礼日時:2005/11/27 10:38

「オリジナル私」と「クローン私」の世界は完全に一致しないと思います。



科学が発達してクローンは便宜になる可能性があるのですが、分化し織を得た細胞のDNAは価値観が固定してしまい、可塑性(再構築)と低いということで繁殖しにくくなります(未確認な見解ですが)。生殖細胞から人間を作るには、お金も掛からずもっと優しく出来る方法があるのに(笑)

なぜ完全に一致する自分が必要になるか?人生が1度きりでいけない理由はあまりに儚い命があるからでしょうか?でも死によってオリジナルの存在が一瞬で消えうせないこと、誰かの胸に存在しうるし、だからこそ命が輝くとも思う。

人間は人と人の“間”で世界を見ている(に違いない)ので、プログラムでもハードだけでも人生や運命を決定する責任能力は皆無で(言い切る)、それは「死への理想」があるからで、クローン技術からは、死すら恐れることない、そして未知を受けとめる気高さや誇りは失せると思いますね。(自殺幇助はしないけど)

恋愛や使命感・充実感はそういうもの(生の情景=理想の死)があると思う。

>「私の肉体」とは、何でしょうか?

肉体は自然から一時的に借りて再利用されて、いつか自然に分解して還すのですが、意識は肉体よりも自由で借りたものでも分解して自然に返せるものでもないのではと思います。

「私」とは遺伝子プログラムか交信記録データ脳か?私はどちらでもなく「師」であるとしています。私は良い師の弟子になりたいです。

この世界を見る私の条件にしたいことは、「自分を超越して向かう先にある。生き方の理想とか目標、憧れ」の人が居てくれることですね。幸い多くいてくれて孤独も忘れられています。kobareroさんにもお世話になりました(変な意味はない)。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>意識は肉体よりも自由で借りたものでも分解して自然に返せるものでもないのではと思います。

うーん。ということは、「意識」は、肉体(物質)の一部ではないということになりますか? そう言うと語弊があるので、言い換えると、「意識」は、肉体によって生み出されるけれど、それ自身は、決して物質ではない何かということかな? そうだとした場合、その「意識」は、かなり透明なもののような気がします。何故かというと、五感、記憶、感情、価値観、意志などは、いずれも肉体に属するものなので、「意識」そのものは、自分自身は何ものも持たず、しかし、外から何かが入ってくると反応するような何かではないかと思います。

ところで、物質ではない「意識」の存在を仮定するなら、そもそも、物質があるないに関わらず、初めから「意識」というものが存在していて、それが、物質(肉体)と結合するという仮説もあり得るわけですよね。

それで、両方の可能性を仮定して考えてみました。

仮定1: 肉体が意識を生み出す。
この場合は、「私の肉体の誕生」--->「私にとって、この世界が見えるという意識の誕生」となります。
従って、「私の肉体の誕生」という物質現象のみによって「私の意識」が生まれるわけですから、将来、科学が発達して、「私の肉体」を製造できれば、「私の意識」も回復するということになります。でも、クローンが他人であることを考えると、この仮説には、無理があるように思います。

仮定2: 独立の「意識」が「肉体」と結合する。
この場合は、初めから「私の意識」が存在していて、その後に、「私の肉体」がこの世に誕生し、そして、「私の意識」と「私の肉体」が結合すると考えます。このときの疑問は、私が生まれる前に私の意識がなかったのは何故かですが、これは、上述のように「意識」そのものは透明(何かに反応する力のみ)で、それが「肉体」と結合したとき初めて「具体的な意識」になると考えれば、一応、説明できます。これは、磁界は鉄片を置くまでは、その存在が検知できないのと同じように考えることができます。

結論として、仮説2は、私の質問に対する一つの回答になりそうな気がしてきました。ただ、そうだとしても、新たに派生する疑問があります。それは、以下の通りです。

疑問1: 60億人の人間に60臆の個別の「意識」が事前に用意されているのか? また、それらは、使い回しが可能なのか?

疑問2: 「私の意識」と「今の私の肉体」を結合する必然性はあったのか、あるいは、どういうしくみで決まったのか?

などです。

補足日時:2005/11/27 12:35
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すいませんが質問している内容がわかりません。


自分の肉体から(もちろん記憶も影響しますが)自分の認識が生じると言ったはずです。
そしてクローンの肉体からクローンの認識が生じると言ったはずです。
そもそも全く同じではないとも言ったはずです。肉体を構成している粒子群は異なっているではないですか。
そして自分の肉体は自分の認識を得て、クローンの肉体はクローンの認識を得るのですよ。それぞれの神経系と記憶を通じて。肉体が異なるのですから神経系もお互い違うものですよ。そこにある記憶もお互い違うものです。そしてそれによって生成される認識もお互い違うものです。
だから言うのです。あなたはそばにあるりんごと向こうにあるりんごをみて、「こちらにあるりんごは、向こうにあるりんごと同じような原子で構成されているはずなのに、なぜこちらのりんごはこちらのりんごと決まるのだろう。なぜあちらのりんごはあちらのりんごと決まるのだろう。」と言うに等しい質問を抱いているのです。
>もし、「二つ」というのが、「私の肉体」と「私のクローンの肉体」のことを指しているのであれば、正におっしゃるとおりですね。そして、私の質問は、全く同じ二つの肉体のどちらの肉体を通して「私はこの世界を見る」のかが、何によって決まるのかということです。
?あなたは最初に、私が述べた、『「私」と「クローン」が異なるものである』と言う意見を承諾しておきながら、「全く同じ肉体」などと言ってますよ?同じではないと言ったはずです。同じではないから認識も同じではないのです。どうもわかりませんね。
これはあなたの聞きたいことは何なのか今一度聞く必要がありますね。
きちんと私共の回答のわからないところをきちんと正確に述べていただく必要があります。われわれの回答でぬぐえないあなたの疑問とは一体何なのか、一文二文にとどめないできちんと述べていただきたい。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>『「私」と「クローン」が異なるものである』と言う意見を承諾しておきながら、「全く同じ肉体」などと言ってますよ?
 「私」と「クローン」が同じか異なるかについては、厳密に議論すると、結構ややこしい話になると思います。「私」や「クローン」という言葉に幅があるので、その言葉が正確に何を意味しているかによって、結論も変わってくると思います。ただ、議論するまでもなく、間違いなく言えることは、「私」と「クローン」は物理空間上、異なった位置を占めているので、それだけでも、少なくとも環境は異なり、その結果、受ける影響が異なり、結果として異なった存在になることは間違いないと思います。

>これはあなたの聞きたいことは何なのか今一度聞く必要がありますね。
うーん。私の説明能力の劣悪さのため、混乱を招いているようですね。もう一度、質問を言い直してみます。さらに劣悪になったら、すみません。私の説明能力の限界かも。質問は、以下のとおりです。


まず、前提条件です。

事実1: 「私」は、今、「世界を見る」ことができる。
事実2: 「私」は、死んだら「世界を見る」ことができない。
事実3: 「私」は、生まれる前には「世界を見る」ことができなかった。

事実2、3は、厳密に言うと仮説と考えてもいいのですが、ここでは、とりあえず、事実ということにしておきます。上記の3つの事実から、「私」にとって「この世界を見ることができる」ための条件は、「私」の肉体が生きた状態で、この世に存在することだと考えました。もう少し限定すると、「私」にとって「この世界を見ることができる」ための条件は、「私」の肉体がこの世に生まれ出ることが条件だと考えました。言い換えると、「私」の肉体以外の肉体、例えば、太田一郎さんの肉体、上田玲子さんの肉体、鈴木三郎さんの肉体がこの世に生み出されても、「私」にとって「この世界を見ること」はできないと考えました。

それで、質問ですが、「私」にとって「この世界を見ること」ができる肉体は、何故、今、私が着ているこの肉体でしかなかったのかということです。何故、太田一郎さんの肉体、上田玲子さんの肉体、鈴木三郎さんの肉体ではダメだったのかということです。「私」にとって、「私の肉体」と「他人の肉体」を区別するその違いは何かということです。

補足日時:2005/11/27 10:27
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#12です。


「私と私のクローンが見るもの」は「私と犬の見るもの」と同じぐらいに違うように思います。
ここで言う「見る」というのは「視認したものに対してある見解を想起する」という意味を含みます。
同じ山を見ても、「私と他の人間が見る山」が違うといったようなことです。

「見る」という行為を以上のように仮定した場合、残る課題は「私と私のクローン」が全てにおいて同一であるということが論理的に可能であるか、ということだろうと思います。
これはありえないことでしょう。
「私」は他の何者でもない、すなわちクローンですらないことによって初めて「私」足り得ているのですから。

端的に言うと「再生された私」は、もはや「私」ではないだろうと考えるわけです。
前回も述べましたが、「再生された」という歴史が決定的な差異として2人?の人格の間に立ちはだかりますから、先に仮定した「見る」ということ自体にもたとえ対象が同一であっても差異は生じるはずです。

魂というか、言ってみれば同じ山を見て左手の稜線にたなびく雲に気を取られるか、あるいは手前の湖に移る逆景に興味を惹かれるかといったような「感覚の違い」という程度のものを想定しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

どうやら私の質問が悪いみたいですね。そのせいで、質問と回答がすれ違っているようです。すみません。

>「私」は他の何者でもない、すなわちクローンですらないことによって初めて「私」足り得ているのですから。

全く、その通りだと思うので、以下の質問を繰り返しても、また、同じ回答になるんでしょうね。

質問: その「私」足りえているところのもの、すなわち、「クローン」との差異は何んでしょうか?

お礼日時:2005/11/27 09:46

肉体及びそれに付随する諸要素と変容然りDNA然り、こうした諸条件に左右・干渉されずに残るもの…それをお訊ねなのでしょうか。


「見える」…ただ見えさえすればいいのですか、それとも「或るもの」を伴って見えなければならないですか。
要するに自我意識と、その出所、なわけですよね結局。
それなら他の御回答者からも指摘がありましたとおり詮無い御質問ですね。ステップをせめて一段上がる余地もなく詮無いレスしか回収できませんでしょう。
質問のために質問なさったのでしょうか…
純正な意味での答えを、まさか期待してはおられなかったろうと思いますが、やはりアンケートコーナーへ行かれたほうが妥当だったかもですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

すみません、おっしゃっていることがあまりよく理解できませんでしたが、要するに、「答えが出るはずがないことが自明である質問」を私がしているということでしょうか?

お礼日時:2005/11/27 09:38

呈しておられる{>「私の肉体」とは、何でしょうか?}


という疑問を重視して考えてみました。

私がある一匹の猫を見ている時、すぐ横で同じ猫を見ている犬は「私と同じものを見ている」ことになります。
しかし「私の見ている猫」と「犬の見ている猫」は確かに違うものでしょう。(「おっしゃるように」、と言っていいのか自信が無いのであえて申しませんが)

では、猫を見ているのが自分のクローンの場合はどうだろうか、と考えてみました。
同じ時刻に同じ場所で見たとしたら同じ猫に見えるだろうか、と。
(同時に見るのではなく、その場所で見たのがもう一方であったならという意味です。無論これを検証することは不可能でしょうが、同じに見えるかどうかという可能性を探るについての不都合はないと思われます。)

結論として「同じに見えるはずはない」と考えました。
当初の「私の肉体」は確かに必要ではありますが、それだけでは『私が見る』ということはできないということです。
(既にどこかで言及されていたようにも思いますが)
科学技術が進んである人間の視覚系統一式を犬に移植できるようになったとしても、犬がその人間と同じものに目を向けることは可能でも「同じものを見る」ということはできないでしょう。

ここにきて「見る」というのは、単に見るだけではなく「感じ」「視認したものに対してある見解を想起する」という意味が含まれてくるように思われます。
また、それであってこそ{「私」は「この世界が見える」}ということが論点になりうるのでしょう。
そういった意味での「見る」能力は、恐らく「私の肉体」だけでは不可能なはずです。

であれば、たとえ厳密な意味での同じクローンができたとしても、「厳密」の範疇から外れざるをえない要素が必ずあるはずです。
それは「この世界を見ている」のは「私である」という認識(あるいは意識)でしょう。
(これがご質問の「条件」でもあると考えます。)
無論クローンも同じことを認識できます。
しかし、決定的に違わざるをえないのは、クローンとして再生されたという歴史が「クローンとしての私」に与える影響(無意識であっても必ずあるでしょう)、すなわちアイデンティとでも呼べるものではないかと考えたりしました。

この回答への補足

えーと、すみません。ご回答の初めの方は、私の質問とどこで繋がるのかあまりよくわかりませんでした。とりあえず、思いついたことを書かせていただきましたが、(1)、(2)については、私の書いたことは、ピントがずれているかも知れませんので、無視していただいて結構です。直接の回答として受け止めたのは、(3)、(4)、(5)のところになります。

(1)>「私の見ている猫」と「犬の見ている猫」は確かに違うものでしょう。
どういう意味で違うとか同じとか判断しているのかがよくわかりませんでした。「対象」に注目すれば、同じものだと思いますし、見る側の「主観」としてどう見えているのかに注目するのなら違うものと言える気がしますが。また、「対象」に注目した場合でも、見る角度や抽出する情報が異なるという点に注目するなら、「同じ対象の異なった側面」を見ているということになると思います。(私の質問とは関係ないような気がします)

(2)>結論として「同じに見えるはずはない」と考えました。
「同じように見えるはずはない」という意味が、「私が見えるはずがない」という意味ならその通りだと思いますが、「私」が見たであろうものと、「私のクローン」が見たであろうものとは、”常識的”には同じと考えても良い気がします。ただ、懐疑論的には、100%違うと考えることも可能です。すなわち、私が見る猫の背中の色と、クローンが見る猫の背中の色は、共に「黒色」と呼ばれるが、実際に感じている色は実は異なるということは、十分あり得ることです。(これも、私の質問とは関係ないような気がします)

(3)>当初の「私の肉体」は確かに必要ではありますが、それだけでは『私が見る』ということはできないということです。
(4)>そういった意味での「見る」能力は、恐らく「私の肉体」だけでは不可能なはずです。

これは、正に、おっしゃるとおりだと思います。それこそ、私の疑問の原点です。そして、私の疑問は、<<「私の肉体」が必要なだけでは足りず、では、他に「何が」必要なのか?>>という質問です。

(5)>それは「この世界を見ている」のは「私である」という認識(あるいは意識)でしょう。

これが、私の上記の疑問(すなわち、当初の質問)の回答と考えて良いですか?

うーん。確かに、そう言ってしまえばそうなんですが、もう少し正確に言うと、その認識は「肉体から来るものではないはず」ですから、所謂「魂」とかという話になりますか?

補足日時:2005/11/26 23:24
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なるほど。

鋭いといいたいところですが、それはあなた、大事な点を見逃しています。
クローンという思考実験はあなただけの世界を考えるのに確かに好都合な考え方です。しかしそれはあなたが考えたいことから思考を離脱させる危険も含んでいるわけです。
なぜ、クローンの見ていることが、私の見ていることとは別に行なわれていると考えられるんですか?それはあなたがあなたの肉体(あなたを構成している粒子群)で作られているのに対して、クローンがクローンの肉体(クローンを構成している粒子群)で作られているからに決まっているでしょう。
色も形も同じものが二つあったとして、それは同じものですが、二つという意味で別物です。これで不満なら、構成物質が別のものだからというものでもいいでしょう。肉体の構成物質も、そこに起こる電気信号も、空間座標とその二つの肉体が違うというそのものによって異なっており、よってあなたの認識とクローンの認識は、認識が肉体と記憶によって構成されるうち、その肉体が異なるということによって異なるのです。
つまりあなたの質問は、「なぜこれが別物だとわかるのですか?」と、二つ確かにある同じ種類の物体を両手に持って真剣に考えている行為に他なりません。
あなたの質問は、これと同じ質問だということになります。これも確かに哲学の思索といえば思索でしょうが…。
つまりあなたは人間の認識の限界と考えられている「差異と言う認識」について、なおも強引に分析しようと立ち入っていることに他なりません。つまりこれ以上は現在の哲学の認識の範囲の外です。人間の認識限界をこれ以上は超えていますから。よって「答えを出すことはできません」が哲学での正しい答えか、あるいは「あなたは、たとえ哲学の世界で考えても答えの出ないことを考えているからやめたほうがいい」が現実面での正しい答えです。あるいはご自分で差異の構造について考えて、論文でも出してください。ジャック・デリダもびっくりですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

おっしゃていることが正しく理解できたかどうか自信がないですが、
<つまりあなたの質問は、「なぜこれが別物だとわかるのですか?」と、二つ確かにある同じ種類の物体を両手に持って真剣に考えている行為に他なりません。>
については、もし、「二つ」というのが、「私の肉体」と「私のクローンの肉体」のことを指しているのであれば、正におっしゃるとおりですね。そして、私の質問は、全く同じ二つの肉体のどちらの肉体を通して「私はこの世界を見る」のかが、何によって決まるのかということです。

お礼日時:2005/11/26 22:45

なるほど、では、他者の存在はどうしますか。



他者は、私とは違う世界で生きています。

私とクローンの平等を守る為に、同じ事をわざわざしてくれますか。

言葉だけで意思を伝えるのは恐らく不可能ですから、
程々にしておきましょう。失礼しました。それに疲れますね(笑。
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お礼を拝見いたしましたが、


老婆心ながら再度確認させていただきます。

私とクーロンが同時に空間を占有できるのでしょうか?

この回答への補足

私とクローンは、物Aと物Bの関係と同じですから、「同時に同じ場所を占めることはできない」ことは確かです。逆に、同じ時間に違う場所や、違う時間に同じ場所を占めることは可能です。

補足日時:2005/11/26 19:48
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どうやらご理解いただけなかったようです。

はじめの議論は、逮捕どうのこうのという話ではありません。自分というのは常に変化しているという話です。昔の自分と今の自分というのは性格や考え方も少しずつ変化しているということです。二つ目の議論は、質問中に、『「私」は2人の自分のどちらかの肉体からしか「この世界が見える」を体験することができないはずだからです(両方の肉体から見えるとすると、世界が2重に見えることになります)。』とありますが、この二重の話をしているんですよ。そしてあなたと同じように不合理だと私も考えますが、それと同時に私はそのあなたのクローンが見ているものはあなたとみているもの、角度が違うのだから、その人間は仮に最初の瞬間あなたと同じ考えを持っていたとしても、その後の体験によって別の人格となるので、何の問題もないという話をしているのです。
つまり私が言いたいのは、『私』だけが見ているこの世界というのは、今までの記憶の積み重ねを加えて初めて現れるものだということです。
つまり、肉体と記憶によって、あなたはあなたになったのです。
これならどですか?

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>自分というのは常に変化しているという話です。

おっしゃるとおりだと思います。

>昔の自分と今の自分というのは性格や考え方も少しずつ変化しているということです。

おっしゃるとおりだと思います。

>その後の体験によって別の人格となるので、何の問題もないという話をしているのです。

おっしゃるとおりだと思います。

>つまり、肉体と記憶によって、あなたはあなたになったのです。

おっしゃるとおりだと思います。

で、私の質問は、そのように常に変化している肉体と記憶を抱え込んだこの「私」にとって、「世界が見える」ための条件は何かということです。最初の質問の繰り返しになってしまいますが、単に私の肉体と同じものがあっただけでは、クローンという話ですから、ダメですよね。譬え、そのクローンが自分の過去の記憶を持っていたとしても、やはり、クローンは他人ですから、その体を通して私が「世界を見る」ことは不可能ですよね。では、クローンではない「何」なら可能なのかということです。その答えが、もし、「私の肉体」だということなら、私の肉体と私のクローンの肉体とは一体何が違うのかということになります。

補足日時:2005/11/26 19:47
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