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お聞きしたいのですが
色で黄色、青、赤とか
黄色い、青い、赤い、って”い”が付くじゃないですか、
で、ピンクってピンクいって言いません??
私ずっとピンクいとか言ってたんですけど
姉が知り合いにピンクいって変だって言われたそうで、
ここは山形変だと言ったのは確か仙台の人。
でこれってやっぱり方言なんですかね?!
気付かなかった・・・(>_<)
思えばブラウンいとかベージュいって言いませんもんね・・。

A 回答 (8件)

関西でも言いませんよ。



だって、「ピンクい」なら、「レッドい」になりません?(^_^;)
でも、「桃い」とも言わないですけど...。

思い付く範囲では、
「赤い」,「青い」,「黄色い」,「白い」,「黒い」,「茶色い」
位じゃないですかね?

確かに、他の色は「~い」と言う言い方しませんよね。(そう言われると、不思議な感じがします。)
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この回答へのお礼

ですよね~、
でももう自分の中ではピンクいって
ずっと使ってましたから違和感全然ないですよね。
でもやっぱレッドいなんて変ですしね~!
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2001/12/15 14:42

文化・地域によって多少は差がありますが,


日本人が昔大まかに色を「白,黒,赤,青(緑)」と分類していて,
そのお陰で日本語では「白い,黒い,赤い,青い(蒼い)」ができたわけです。
そこから派生して,茶色や紺色,紫等と分類して生まれたわけです。

おそらく,その中から色を表す表現として,
「~い」として生まれた可能性がありますね。
ただ,地方差が結構あるものと予想されます。

ただ,外来語から来た色に対して「~い」とつけるのはほとんどマレかと…。
(中部地方では)
あと,名詞から来た色も…。(茶色以外?)

全然回答になってませんね,失礼失礼。(^^;
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この回答へのお礼

マレっぽいみたいですね~。
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2001/12/15 14:43

私は「ピンクい」って言います。


いつからどうしてかは分かりませんが、「おかしい」って言われたことないですよ。

でも、ちょっと話は変わるけど、「赤」「青」「白」「黒」などはそのまま「い」
をつけて「赤い」とか「青い」とか言いますが、「黄」「茶」「緑」などは「色」
を付けて「黄色い」とか「茶色い」とか言うのはなぜなのでしょうか?

全然回答でもアドバイスでもないですね。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

よかった~!!
同じ言うって方いて^^
ですよね!茶とか黄って色付きますよね。
いえいえ**
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2001/12/15 14:45

語尾に「い」がつくのは日本語の形容詞。


「寒い」「大きい」「美しい」など。

外国からきたカタカナ言葉に「い」をつけることは、日本語としては、ありません。

昔よく使われた「ナウい」などの言葉は、変だとわかっていながら英語に意識的に「い」をつけて作った、造語なのでしょう。

「ピンクい」は方言ではありません。
あなたのまわりの人たちの間で流行した一種の言葉の遊びがあなたたちの中だけで定着したものだと思います。
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この回答へのお礼

方言じゃなくて安心しました^-^
流行したっていうのはよくわかんないんですけど
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2001/12/15 14:46

関東圏在住です。

わたしも周囲の人(年齢は三十歳以上です)も「ピンクい」は使用しません。


ただ、質問文を読んですぐ、「若者言葉」のひとつだとは思いました。
いわゆる「若者言葉」を説明した用語集等で、この例を見た覚えがあります。
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この回答へのお礼

若者言葉ですか~!
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2001/12/15 14:47

 


  青い、赤い、白い、黒い、などは、日本語の形容詞の活用形の一つです。これは言い切るときに使います。つまり「終止形」で、これで一文になれます。
 
  形容詞の活用というのが、「青い」を例にあげると、青かろう(未然)、青かった(連用)、青くなる(連用2)、青い(終止)、青ければ(未然)という風な形になります。
 
  ところで「ピンクい」ですが、こういう表現は知りませんでしたし、何か奇妙な感じがします。しかし「ピンクくなる」というと、何かそんな表現があるような気がしてきます。「ナウい」は「ナウい男」とか「ナウい映画」などとあるような気がしますし、「ナウく行こう」とか「ナウくなったやつら」などと、活用変化もあるように思います。
 
  ところで、世界の言語で、豊かな語彙や表現力のある言語は、外来語を柔軟に取り入れることのできる構造を持っています。例えば、英語はその一つの言語ですが、-ize, -ise を付けると、「……化」という単語が簡単に作れます。americanize とか、japonize などが考えられます。また nihonize というのも造られているかも知れません。
 
  日本語であると、一番有名というか、広く使われるのは、サ行変格動詞を名詞の後ろに付けて、新しい動詞を造ることでしょう。例えば、「パソコンする」とか「インタネする」とかがあります。「グーする」というのもあるかも知れません。「教えてグーする=教えてGOOする」、「OKWebする」もありそうです。「チェンジする」は日本語に定着していますし、「アドバイスする」も日本語です。「ディベートする」とも言います。このように「名詞+-する」の形の動詞造語力は、日本語は非常に優れているのです。
 
  ある言語の豊かさというか、生命というのは、或る意味で、可変性・柔軟性・造語作成機能の豊かさ、外来語の取り込み能力などにあるとも言えます。「正しい日本語」ということを言う人がいますが、「正しい日本語」にこだわっていたら、日本の文化は成立しなかったでしょう。
 
  日本中世平安盛期の女流文学は、日本の古典で、もっとも日本語らしい日本語だと思われていますが、例えば、紫式部の文体は、流れるようでいて、うねうねえんえんと続く訳で、かといって切れが悪いかというと、そうでもなく、流れるようにして続き、しかし綺麗に切れて行きながら続いて行きます。これは、紫式部が大成させた文体だとも言えます。けれども、これは当時としては、日本語のスタンダードではなかったはずなのです。
 
  これは、女文字(かなもじ)の定着と密接な関係を持っています。また、この文体は、感情や情感を表現するのに適した文体なのです。男の貴族たちは、漢文を勉強していて、その日記は、時として、漢文か日本語か分からないようなものがあり、また平安の公文書も、漢文か日本語か分からないようなものでした。こんな言語では、感情や情感をうまく表現できなかったのです。
 
  ひらがなを使い、女言葉を使うと、感情や情感がうまく表現できるのを見いだしたのは、紀貫之で、彼は『土佐日記』を書きました。しかし、紫式部の文体は、論理的にものごとを表現しようとすると、不便というか、文体に、そういう機能がない文章なのです。他方、漢文を十分に咀嚼すると、やがて鎌倉の五山文学のような論理的な作品が出てきます。
 
  しかし、紫式部の文体も、清少納言のそれも、紀貫之の「土佐日記」も、五山文学も、それが現れた時は、スタンダードな日本語ではなかったのです。芭蕉も、新しい日本語の文体を造ったとも言えますが、彼は「不易流行」という思想を提示しました。「流行」するものは、古典(スタンダード、不易)に比べ、軽々しくいい加減で、従来の形を崩しているように見える。しかし、それが「流行」として人々のあいだに広まり、時が経過して純化されると、これが「古典」となるのであり、元々「古典」と言われているものも、最初は「流行」であった。流行は純化されて不易となり、不易は、そもそも流行から始まる……とこのような考えです。
 
  日本語のなかに漢語がなければ、日本語は、論理的表現力がなく、語彙に限界があり、ぐにゃぐにゃした、どうしようもない地域的言語でしかなかった、という意見があります。実際、大腸・小腸を「くそぶくろ」と言い、子宮を「こぶくろ」、肝臓を「きも」などと呼んでいては、医学の用語として、分類語彙に不足していますし、論理的に引き締まった表現もできないでしょう。そういう意味で、明治における多くの漢字の造語が、現代日本語の成立の前提になるのです。
 
  しかし、明治時代の漢語造語とは、スタンダードなものではなかった訳で、奇怪なものだったとも言えます。美しい情感あるやまとことばのなかに、無味乾燥な、意味不明な大量の漢字を使った抽象語を造ったのですから、違和感を感じない人の方が少なかったでしょう。しかし、この明治における大量の便利な造語がないと、現代日本語は成立しないし、論理的思考もできなかったでしょう。
 
  近年は、カタカナ語が多く、英語などの言葉をそのままカタカナにして、日本語として大量に使っています。安易なカタカナ語の使用は「正しい日本語」を崩すといっても、では、何と言えばよいのか、新しい概念や言葉は、英語で次々に造られ提唱され、それに合う日本語訳を造るのは、実質的に間に合いませんし、非常に難しいです。
 
  最初に戻って、「ピンクい」というように、形容詞の活用に合わせて、外来の名詞を形容詞化するということは、あまり行われていません。しかし「エロい」とか「グロい」とか言うのは、俗語としてある訳です。
 
  そういう意味から、日本語の造語力という点からは、「ピンクい」も「ベージュい」も「ブラウンい」も、あっておかしくないのです。「ベージュいボトムが、シックくてグッドい」とか、訳の分からない表現のようですが、こういうのもあってよいはずなのです。
 
  「ピンクい」は、方言ではなく、日本語の造語力を示す例だと言えるでしょう。「ピンクいカーテン」と「ピンク色のカーテン」では、ニュアンスが違うし、意味も違っている可能性があるからです。そういう訳で、変だという人がいると、変に思えて来る言葉も、その将来性を考えれば、変であるが故に、言葉の論理性を危うくするか、逆に語彙や表現を豊かにするか、これは結果をみないと分からないので、「ピンクい」も、大いに試される必要があると思います。
 
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さってホントにありがとうございました!!
言葉の使い方って奥深すぎ(>_<)
使って大丈夫だったみたいでよかったです^^

お礼日時:2001/12/15 14:48

「ピンクい」は使わないですねー。

でも、言われれば多分違和感を覚えることはないですね。自分の場合は「緑い」を使ったりします。多分、「緑」の場合「midori」という「i」で終わってるから、そのあとに「i」をつけるといいづらいから、普通は「緑い」とは言わないのでしょうね。よく考えると、ほかに最後が「xxxii」って「i」が連続して出てくる形容詞って浮かんできませんもん。
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この回答へのお礼

あ、私も緑いも使います!
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2001/12/16 13:23

前に読んだ本で、


「い」がついて形容詞化できるかどうかで、
日本人が、どれくらい古い時期に、その色を色として認識できたかわかるのだ、
ということが書いてありました。
外来語じゃなくても、例えば「紫い」とは言わないし、
前の方が書いてた「緑い」もそうですし、「肌色い」「ダイダイい」・・・
つまり、白・黄色・赤・青・黒などが、より古い時代に生まれ、
あとのものはそうではない、ということらしい。
他にも、どれだけ多様な接尾語(って言うんでしょうか?)が、その色の名に
つくことができるか、も、その年代特定の材料になるとか。
例えば「み」。「青み」とは言うけど、「黄色み」とはあまり言わない。とすると、「黄色」より「青」が、古いということ。
「さ」をつけて、同じように考えてみることもできますね。

「ピンク」については、ほかの方も書いているように、
それだけこの色の名が普及しているシルシ、でしょうね。

でも「ピンクさ」とか「ピンクみ」とは、あまり聞きませんけどね・・・
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この回答へのお礼

ですよね、でも私紫いって使うんですよね。
肌色いもいいます^^; ダイダイいは使わないんですけどね。

回答ありがとうございました!!

方言でないことがわかってホントよかったです★
みなさんありがとうございました!

お礼日時:2001/12/16 13:25

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