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こんにちは、いつもお世話になっております。特に具体的な例題はないのですが、怒るタイミングについて質問させていただきます。

気に食わなかった時点で怒る人もいますし、散々我慢した後に怒る人もいます。怒りっぽい人は嫌われますが、あまり怒らない人は寛大な心と思われ悪い意味でも甘えられます。

寛容という訳ではないとしても“自分にも非があるだろう”と自分の悪かったところ探しをしているうちに怒るタイミングを見失い、都合良い鬱憤の捌け口状態になっている人は結構います。

怒りもしないし、泣きもしないから周りは度の過ぎた冗談を言っても通じると思っているのでしょう。この生き方は不器用なのではないかと考えつつ、こういう人は優しすぎるのか、それとも世間の言う「怒りっぽい人は嫌われる」という言葉に踊らされているのか…いつも言いたいことを秘めているような憂いを感じます。

妥協してこそ人間関係は成り立つというのなら彼等のような存在も必要なのかもしれません。ぶつかり合っても仕方がないものです。ですがその一方で「自分を見せない人は嫌だ」という声もあります。

こういう世の中の紙一重に都合勝手な言葉はなくならないでしょう。ならば多方面から…

「貴方はどういう時に怒ってますか?」
「貴方はどういう時に怒られたいですか?」
「貴方はどういう時に怒るべきだとおもいますか?」

…ということを問うてみたいと思いました。“怒”という感情について考えることで同時に自身の見方も改めたいと思いますので、どうかご協力お願い致します。

A 回答 (5件)

前の会社に勤めていた時はいつも怒っていました。


それこそアルバイトや同僚の服装やら勤務中の無駄話…etc
自分は社員で責任があって、っていう気持ちがいつも付きまとって
イライラしていたのでしょうね。

パートとして転職してからは怒りを感じる事はそれほど少なくなりました。
いや、きっと怒ったりイライラする事に疲れたのです。
言ってもどうしようもない事だってあると学びました。それは諦めという感情だと思いますが、無駄に何でもかんでも怒らなくなりましたよ。
今は「怒る」ではなく、「呆れる」「悲しくなる」という感情が私を支配してカーーーッとなる感情に蓋をしてしまいます。

それでも心の奥では自分が認めた人間、愛された人間には叱ってもらいたいですね。
叱って、逆に私の「怒り」という感情を引き出して欲しいです。

ちょっと回答になっていなくてすみません。 
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この回答へのお礼

こんにちは、lunatic_slaveさん。ご回答ありがとうございます。

確かに責任からフラストレーションに繋がり、怒るという感情はありますね。言う立場からすれば条理にかなった指摘なのに、聞く立場からすれば不条理なつっかかりでしかない…行き違いが生じることで循環する感情。事例としては盲点でした。

ポジティブな諦めを学ぶことで怒りが減る。またネガティブな諦めを学ぶことでも怒りが減るということですね。塞ぎこむことは良くないと言われいても、セーブが必要な世知辛い世の中では仕方がないのかもしれません。

怒られるというよりは叱って欲しい。#2の方のご回答と同じでニュアンスの違いとは言えど、ここはなかなか重要なのだと思いました。

お礼日時:2006/02/13 11:39

内弁慶というのか…(^^;)


家族にはしょっちゅう怒ってます(反省;)
まぁ・「叱る」事のほうが多いですが(^^;)
ダァ~っと言って、後引くことは滅多にありません!
他人には、ほとんど怒ったことありません!!
自分以外の身近な誰かを、他人が傷つけたりしたとき、覚えてないぐらいキレタ事はありますが…(^^;)
信頼できる人には、自分が馬鹿なことをしたとき、道からずれたとき、怒って(叱って)ほしいですね!
気持ちはつたわります!
怒るタイミングは、臨機応変にいくしかないと思いますよ!!
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この回答へのお礼

こんにちは、momoka23さん。ご回答ありがとうございます。

そうですね、叱られるの場合でも信頼出来る人かどうかは結構問われますね。勿論、何にでも素直に受け止めることは大切ですが、それは何でも受け入りに従うということと若干の違いを見せますものね。

「人に注意する前に自分を注意して下さい」という方から何かも言われても叱咤激励ととらえるのは難しいのだと思います。後は気持ちが伝わるかどうかですね。何れにせよ最終的に臨機応変というまとめ方は曖昧です。然しラインが見えないからこそ適切な表現なのかもしれません。

+++以下は回答者全員へのお礼+++

皆さんのご回答で色々と考えがまとまりました(新たな疑問も生まれましたが)。人の感情については100%納得し難いものなのだと思いますので、完全ではなくとも世間的な答えとしては見出せそうです。

矢張り大半の“怒り”は個人と個人の趣味の違いや、思考の違いから生じるのだと思いました。それは一人一人が異なる存在である以上、仕方がない問題です。それを知り、意識的に或いは無意識的に抑えてしまうようになる。結果「人は年をとると丸くなる」ということなのでしょう。

逆に言えばいつまでも、それらを肯定出来ない人程“ルサンチマン”を抱いてしまうようですね。その弱者である部分を見せては体裁に悪い場合、否応なしに人は大人にならなくてはなりません(この場合の大人は精神的なものですが)。

ですが隠してまで大人になった人は抑圧に耐えかねられるまで苦しむのでしょう。理解した上で純文学に出てくる青年主人公のように理想と現実の間で葛藤しなくてはならないのだと思いました。

…というのが今回行き当たった考察です。皆様のご意見は色々と参考になりました、どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/02/13 13:20

大人になってからは、あまり怒ることはなくなりました。


家庭では、怒りますけど。
外では腹が立つことはあっても、ぐっと我慢して怒る事はありません。
はじめから言っても無駄だと諦めているからですかね。
言うことで、ごたごた揉めるのも嫌だし、雰囲気を悪くするのも嫌だなぁって。
だから、自分の気持ちを素直に出せる人って時に羨ましかったりします。
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この回答へのお礼

こんにちは、ririco27さん。ご回答ありがとうございました。

確かに内と外では怒りのボーダーラインが違うものだと思います。辺りを見回していると内ではラインが低い方々が多く、外でラインが低い方は前者に比べて内でのフラストレーションを溜め込んでいることが多いようです。また双方、同じくらいの方も良かれ悪かれ問わずにいるようですね。

色々なものに危惧して無意識的に自分を抑える力、大人になるということは否応なしにこれを身につけてしまうようです。私も自分の気持ちを素直に出せる人が羨ましく思い、真似出来ない自分に諦めます(自分にも他人にも諦めているということでしょう<けして否定的な見方ではないのですが)。

お礼日時:2006/02/13 11:48

大人になってからは、


怒ったことが無いです。
もともと温和な性格なのか、
頭に来ることがあっても、
少し時間が経てば「まぁ、いいか」となります。
   
ということなので、
「叱る」ことはあっても、
「怒る」ことは無いですね。
       
重要なのは、
「いつ怒るか」ではなく、
「人とどう接するか」ですよ。
     
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この回答へのお礼

こんにちは、hijyousyudanさん。ご回答ありがとうございます。

私自身も最近は滅法怒ることがなくなってしまいました。というよりも何かに対して熱く我を張りたくなるような気力を失ってしまったのかもしれません(若いエネルギーはどこへ<笑)。

皆さんの意見を見ると大人になると何かと規制する心がはいりますね。そして意味が見出せないと思うと諦める傾向にあるようです。「怒る」よりも「叱る」ですか。ニュアンスの違いとは言えど、確かにそうなのかもしれません。

人とどう接するかにおいてメンタル面というのは大変難しくありますが、上手く叱れるような人間になりたいと思います。

お礼日時:2006/02/13 11:29

自分の大切なものが侮辱された時。



大切な人や大切な物、大切にしている信条など。
かなりキレますね(笑)

他の事ではあまり怒りません。
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この回答へのお礼

こんにちは、sparkleglitterさん。ご回答ありがとうございます。

そうですね、自分が大切にしているものに茶々入れられると不快な想いがしますよね。矢張り価値観の相違というのは諍いになりやすい事柄なのだと思いました。

振替えると自分にとって何でもないものについて否定的な言葉を言ってしまうことがあります。今回のことを参考に改めてみようと思いました。

お礼日時:2006/02/13 11:22

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