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以前、新田次郎さんの小説『武田信玄』・『武田勝頼』を読んでいて、鉄砲の弾から身を守る道具として「竹束」なるものが登場していました。大河ドラマ「武田信玄」でも、ほんの一瞬だけ登場していました。
しかし私は、この竹束の存在を文献・資料・その他の小説の中で見たことがありません。
本当に竹束は、戦場で使用されたのでしょうか?
また、使用されていたとすれば、実用性はどうなのでしょうか?

A 回答 (6件)

吉川弘文館『国史大辞典』で「竹束」をひくと、出典も含め概要がわかります。

様々な種類の竹束の絵図も掲載されていますので、図書館等でご一読するとよいでしょう。
それによると、「『松隣夜話』には「武田勢ノ内、甘利左衛門与力米倉丹後、竹タバト云物ヲ仕出シタリ」…以下略」とあります。このほか『甲陽軍鑑』『見聞雑録』などには年代や合戦のことが記されており、『大友興廃記』などから全国各地で用いられていたことがわかるようです。また「車竹束」「牛竹束」など使われ方も様々で、『大坂冬の陣図屏風』には竹束を用いている部隊が描かれています。
以上、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

そう言えば、『国史大事典』という便利なものがありましたね。
早速、調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/09 15:06

竹束は簡単に用意出来る楯として用いられたもので、弓矢や鉄砲弾から身を守るのに用いられました。


その以前は厚い木板で作った楯板が多くもちいられたのですがこれだと弓矢は防げますが、鉄砲では貫通してしまうので代わって竹を束状にまとめた竹束が用いられるようになったのです。

これは軽くて頑丈な為、攻撃側の楯として好適でした。
攻撃側はこの影に隠れ、竹束をかざしながら徐々に前進したのです。
竹束は同時に槍、太刀も防げましたし材料は日本各地に野生していました。
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この回答へのお礼

なるほど。軽くて頑丈なら攻撃側にとっては好都合ですね。
しかも竹なら、現地調達できるし、使い捨てに出来たわけですね。

お礼日時:2006/03/09 14:03

「米倉重継という人が考案したといわれる」の出典がわかったら、教えていただきたいのですが…。


甲陽軍鑑にその旨の記述があるそうです。

竹束というのは、竹を人の身長くらいの直径まで束にして、それを転がしながら前進していく、というもののようです。竹を束ねた巨大なローラーを兵士が押していく様子を想像して下さい。
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この回答へのお礼

えっ! 本当ですか?
『甲陽軍鑑』は、20年ほど前に読んだのですが…。
竹束の件は、全く頭に残っていませんでした。
早速、探してみます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/03/09 13:57

当時の書物での確認は行ったことがないのでわかりませんが、私が確認した中では平井聖の「日本城郭大系」の松山城(埼玉県)の項に「米倉重継考案の、矢弾を避ける竹束を身にまとわせて云々」という記述があったと思います。


「日本城郭大系」は書名のとおり日本全国に存在する、もしくは存在した城郭をほぼ全て調査したものです。
25年前の本ですが、全20巻で合計13万円強と百科事典並の厚さを誇る本なので、図書館などで探して調べてみるとよろしいかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
地元の図書館で探してみたいと思います。

お礼日時:2006/03/09 14:00

竹は堅くて軽く、水に良く浮くため、戦国時代どころか室町、鎌倉時代でも柵やいかだ、武器(竹槍)に使われています。



竹束が戦術書に出てくるのはかなり古く、中国の三国志であると言われています。
当時の竹束は矢を防ぐためのもので、日本の戦国時代でも弓矢は遠距離を攻撃する主要な武器であり、それを防ぐために有効でした。
戦国時代に使われた竹束は武田家臣の米倉重継という人が考案したといわれるもので、青竹に油を塗って束ねたものです。
当時の鉄砲は鉛の球形弾丸ですから、竹束でもかなりの防弾性を発揮できたと思われます。

余談ですが、長篠の戦いの前に信長が長篠へ向かうとき雑兵に2本ずつ木を持たせ、この木で柵を構築したという記述を小説などで見かけますが、これはおそらく竹の棒であると思われます。
当時、陣の構築によく使われたのが木ではなく竹だからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は、三国志も大好きなのですが、そこに竹束が出ていたことには気づきませんでした。
戦国大名が竹林を積極的に保護・統制していたことから、竹の重要性は認識していましたが、やはりただ単に防衛という点で考えれば、竹束も有効だったのですね。
「米倉重継という人が考案したといわれる」の出典がわかったら、教えていただきたいのですが…。

お礼日時:2006/03/08 11:33

黒澤明氏の映画「影武者」の高天神城攻撃のシーンで、竹束が使われていたような覚えが・・・。


大阪冬の陣図屏風に、徳川方の鉄砲足軽たちが、竹束のかげに身を潜めた姿が書かれていたと思います
「長篠設楽原合戦の真実(名和弓雄著)」に、実験の記載があったと思う。
うろ覚えで申し訳無いです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
3点について、早速調べてみたいと思います。

お礼日時:2006/03/08 11:34

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