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20世紀以前は、なんとなく世界中、男尊女卑だったんだなという事柄が多い。
ダビンチコードで有名なキリスト教にしても、纏足で有名な中国にしても、イスラム教は有名だし、日本も戦前は男尊女卑だった訳で、どうしてこんなに世界中で女性が虐げられてきたんだろうか不思議でしょうがない。
理由を知っている人教えて下さい。

A 回答 (9件)

女性が強い地域、男性が強い地域が、それぞれ有ります。


また、時代によっても違ってきます。

日本においても、飛鳥時代までは、比較的女性が強い次代でした。
天照や卑弥呼などのように。

これが、男性優位に代わるのは、奈良時代に遣唐使により、中国風の社会システムが導入されることに起因します。

また、古代バビロニアなどでも、比較的女性の力が強かったのですが、女性を完全に卑下するイスラム教にとって代わられると、女性の地位は、急降下します。

ヨーロッパにおいては、ローマ帝国では、比較的男女平等の考え方でしたが、キリスト教が入ってくると、男性優位の社会となってゆきます。

インドなどでは、女性の地位の低さは、イスラムとどっこいどっこいです。

また、遊牧民の間では、圧倒的男性優位の社会となっています。

ただし、社会では、男性が優位になっていても、家庭内では、女性が実権を握っている場合が多々あります。

これは、社会が男性優位になればなるほど、男性が家にいなくなるため、家庭内の事は、全て女性が切り盛りするためです。
そのため、男尊女卑のはなはだしいイスラム国といえども、奥さんの機嫌を損ねると、家事などを一切放棄され、食事もできない男性も出てしまいます。
そのため、男性は、奥さんの機嫌をとる事に、精を出さざるを得なくなります。

また、東南アジア諸国は、女性が強い国です。

世界的に見て、女性が比較的強い国では、女性が積極的ですが、男性の強い国の女性は、比較的受身です。
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この回答へのお礼

てんでんばらばらって事ですね。
世界的に男尊女卑云々なんて大きな勘違いなんでしょうか…?
回答ありがとうございます。世界は広いな!

お礼日時:2006/06/06 14:10

江戸時代までの「庶民」は女尊男卑でしたが?



恐らく庶民の識字率が低かったのが影響かも。
どんなに宗教を教えても太古からの巫女による「自然信仰」が強かった。
巫女は「神サマ」を通じる力があると信じられてましたから。
それと日本は氏神に見られるように人間が神サマになれます。
とすれば、人間を生めるのは女性。
それ故、社会的地位が比較的高かった。のではないでしょうか。
でも奇形児を生むと女性は・・・(泣)

読み書きできないから聖書やお経なんて読めない。
理解も出来ない。
自然信仰は自然現象そのモノなので頭でなく、肌で理解しやすい。

人身御供は江戸時代でもあったそうで。


中世で世界的に女性が安全に旅が出来た国は日本くらいですよ。
日本が子ども王国の異名を持ったのは女尊男卑故です。
男尊女卑、女尊男卑の「女」の中には
「子ども」も含まれているのですよ。
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この回答へのお礼

日本が「子供の王国」って呼ばれていた話は初耳です。
今でも僕を含めて、お天道様に、手お合わせている日本人って多いですよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/06 16:03

私の考えですが、女性は子供を産むことが出来るため、社会的地位を低くされてきたのだと思います。


それと、人口の割合でいうと、女性の方が人数が多いというのも要因かも。(多数決をすると男性は負けてしまう。)

男性よりも力が弱いとか身体能力的な要因もあるでしょうが、それよりも女性と男性の考え方の違いも大きな要因の一つではないかと私は思います。

男性は頭(脳)で物事を考えることができるが、女性は子宮で物事を考える。と言う人がいるように、部族や国を支配する上で正しい判断が出来なくなることが、男性よりも女性には多くあったのではないでしょうか?
能力に関係なく(馬鹿息子・娘などを)要職につかせたり、王にしたり、自分の子供を王にして権力を握る等・・・・
その結果、部族や国(社会)のバランスが崩れたり、その社会自体の力が弱くなり他国からの侵略等を許してしまったり・・・という失敗が多くあったのでしょう。

そこで男性の権力者・宗教指導者等に、冷静な判断が(状況によっては)出来ない女性には社会的な権力を与えてはならない、男性と同じような発言権を持たせることは危険だと判断されたのではないかと思うのです。自分たちが権力を持つことができなくなりますしね。男性には子供は産めませんから、子供を使って、または恋人・夫を利用して権力を握ろうと思えばできる女性を驚異に思ったのではないでしょうか。

でも、冷静な判断ができなくなるというのは全ての女性が当てはまる訳ではないし、男性の中にも冷静な判断が出来ない人っていますよね。今までの歴史を見ればよくわかることです。

だから「女性」「男性」で区切らずに、能力にあった社会的地位を手に入れることや、評価をされることが自然とできるような社会にしていかないといけないと私は思います。

あと、中国の「纏足」の風習ですが、逃げ出すのを防ぐという意味もあったみたいですよ。(首長族も同じ理由です。)
纏足による弊害はたくさんあって、(たしかにしまりは良くなるとかいますが・・・)子供ができにくくなったり、できても死産だったりなんらかの障害があったり、男子が産まれにくかったりしたようです。理由は纏足だと自由に動くことが困難なためです。
纏足は幼少期から始めますので(足が大きくならないように足の指をつぶしたりとか・・・)幼少期から運動をせずに育つと子宮の発達が未熟だったりしたようです。よい風習ではないですよね。(すみません。長くなりました)
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この回答へのお礼

3199さんって女性ですよね…
ジェンダーフリー的な考え方に賛成なんですか…

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/06 15:01

ものすごく個人的な想像からなのですが


狩や採取をして暮らしていたような時代においては
体力のある男性のほうがより多くの食料を手にいれることができ、結果、「自分がとったものをわけあたえてやる」ということを女性に対してしてきたがために、そういう意識が生れたのが最初じゃないでしょうか

ちなみに、ひ弱な男性にたいする差別もここからきてるんじゃないかな
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この回答へのお礼

そうかも知れませんね。
ちなみに、僕も非力です…
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/06 13:25

専門的なことは全くわかりませんが、


経験の中で切実に感じたことが一つあります。

それは、女が男性と対等に勝負するには十分な才能と強力なバックが必要ということです。

どういうことかと申しますと、いくら男性よりも仕事ができても、頭がよくても、それだけじゃ足りない。父親がその筋の実力者。
あるいは実家に経済力がある、コネがある。
付き合っている恋人(夫)がリーダー的な存在で大きな影響力を持っている。

今も昔も、女性の幸せを左右するのは交際する男だと思っている人は多いはずです。
美人がうらやましがられるのは、お金も権力も持った男性に愛されて自らも力を手に入れられるからです。

女性がどう扱われるか、それは父親や夫の影響力によって決まる。

というのが私の意見です。
男尊女卑というのは、特別な後ろ盾も才能も持たない、特別に美しくもない多くの女性達がたどった道。
仕方ないですよね。
力じゃ男にかなわないし、感覚で意見を言うのでバカ扱いされるし。

女として生きてた中で実感したことを書かせていただきましたが、御参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、女性は、もともと弱いって言う御意見だと思うのですが、それはもともと遺伝子的に筋力とかが弱い遺伝子を持っていたのですかね…
それとも、たまたま女性が子育てをするうちに、男性が力仕事をする機会が増え、筋力が強くなったのですかね…
いずれにしろ何らかの理由で筋力が強くなり、外に出て社会と関わる機会の多い男の方に利権が集まりやすくなった言う仮説であればなんとなく分かるような気もします。

お礼日時:2006/06/06 12:12

 纏足ってのは一瞬男尊女卑に感じますが、一族尊個人卑なだけです。


 現代社会は個人主義が常識ですが、つい50年前までは家族主義が社会常識だったのです。
 纏足の女性は足が小さくされているため、立つには股間に力を加えねばなりませんでした。そういう生活を繰り返すとあそこの締り(卑猥でごめんなさい)が良くなるのです。つまり名器になるのです。名器を持つ女性は皇帝や王などの寵愛を受けやすいので子供(王子)を身篭る可能性が高いのです。もし皇太子妊娠ともなれば外戚政治は思うがままで、最強権力者になれるのです。一般の男なんて陰茎を切断して宦官にでもならなければ立身出世はできません。
 あなたにとって纏足することで我が世の春を謳歌できる女性は女卑で、男の大事な陰茎を切断することで我が世の春を謳歌できる男性が男尊なのですか?

 イスラムも、スルタンやマハラジャに寵愛されれば貧乏な女性は出世出来ますが、貧乏な男は一生結婚も出来ず貧乏暮らしするしかありません。

 日本だって、大奥が政治の中心だし、庶民は他の方も言うように女性の方が地位が上です。

 でも王や皇帝は基本的に男性じゃないかと言いたくなるかもしれません。王や皇帝の仕事って何ですか?軍隊の総司令官ですよ。最近ではヘンリー王子(チャールズ・アーサー・ジョージ王太子の次男)が騎兵隊に入隊し、イラクへの派遣が決まっています。これが王族の仕事です。ある意味男性でないと務まらないのです。
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この回答へのお礼

纏足の話は究極の選択ですね…
どちらかを選べと言われても、こまりますが、僕も男ですが、陰茎を切ると言うのはそうとう辛いですね(涙)
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/06 11:36

私は日本史が専門ですが、男尊女卑は江戸時代とそれ以降という限定された期間の事で、それ以外はそうでもありませんでした。


また江戸時代も実際に男尊女卑かというと疑問がある事例も多く、本音と建前はかなり違います。
有名な「三行半」という離縁状も、男性が書いたというのと無理やり書かされたではかなり状況が違ってきますし、離婚に伴う財産分与(江戸期は妻と夫の財産は分けてあり、勝手に手を付けられない)が出来ないので、仮面夫婦を続けざる得ない男性も多かったようです。
江戸時代から暫く男尊女卑になったのは朱子学の影響で、徳川幕府は戦国時代までのドライな主従関係を転換させ、身分を固定するために奨励しました。
それ以前は、主人が頼りなければ、家来はさっさと見切りを付けて別の主人に奉公換えするのが当たり前で、幕府としては無能な子供が将軍になっても仕えて貰わないと困りますから、朱子学を奨励して、能力に関わらず、長男が跡を継ぐことにしました。
これにより家というものが主体になり、跡を継ぐ長男が大切にされ、次男以下はスペアー、女子は他家に嫁がせるだけの者となり、地位が低下します。
ただ、家族の情愛はありますから、娘が婚家で苛められれば、実家の人間は面白くないので、婿に対して圧力をかけてきます。
江戸時代は身分が固定していますから、例えれば同族会社で、課長をやっている叔父さんから義叔母さんの従妹を紹介してもらって結婚したようなもので、理のあることなら許されますが、理の無いことで嫁さんを苛めれば、社内の上司や同僚を敵に回すことになりますから、とても出来ません。
また離婚したければ、持参金を返すのが定めですが、大方は借金の返済に使ってしまって無いのが実情で、返せませんから離婚も難しい。
また、農家では口減らしに男の子は殺されますが、女の子はとりあえず育てて貰えます。
売れますから、親としてはわが子を殺すのですから、どういう形でも生きていけたほうが幸せと思いませんか。
江戸時代以前は家長の力が強く、父親の権力はありますが、夫婦間はそうでもなく、そもそも夫婦別姓ですから、実家の力が強ければ、夫も妻をないがしろには出来ません。
有名な徳川家康の長男の信康は、嫁さん(五徳)の嫉妬で、舅(織田信長)に殺されてしまっています。
また、室町8代将軍の足利義政は、妻(日野富子)に借金があり、後継者問題で強いことが言えなくて、応仁の乱の遠因を作ってしまいました。
実態を調べると、本音と建前の違いに驚きますよ。
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この回答へのお礼

そ~なんですか。
日本って思ってるより男尊女卑ではないんですね、参考になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/06 11:31

 うーん、その前に、「男尊女卑」とは何か、あるいは民俗学や法制史の各種文献などをいろいろ呼んでみることをオススメします。



 たとえば、ヨーロッパのキリスト教国では、19世紀まで女性の人権はほとんど認められていませんでしたし、まじめに「女性は人間か?」なんて宗教会議開かれたりしていました。女性の参政権や離婚する権利が認められたのも、多くの国で20世紀になってからです。
 一方で、イスラム教では7世紀にすでに女性の財産権や女性の離婚の権利を明確にして女性の権利を確立していました。一夫多妻制度というのも、(戦乱の多かった)当時に、男性が多く戦争で死亡し、残された女性の生活を保護するという意味もあったと言われています。夫は結婚時に妻に財産分与しなければならず、妻の財産を夫が使うことは許されず、複数の妻がいても夫はすべての妻を平等に扱わなければならず…これらに違反すると夫は宗教裁判に掛けられて処罰されます。キリスト教徒として名目上一夫一婦といいながら、多数の愛人をかかえて奴隷化した中世ヨーロッパの貴族とくらべると、よっぽどまともな制度ともいえます。

 一方、日本では儒教やヨーロッパキリスト教圏ほどひどい男尊女卑社会にはなりませんでした。女帝(女性天皇)もいますし、鎌倉時代までは男女平等の相続権がありました。(その後、男性…というか跡継ぎにのみ相続が認められるようになったのは、中国の儒教の影響と、すべての子供に財産を均等相続すると、資産が分散して権力を維持できなくなるからと言われています)
 また、かかあ天下という言葉にあるように、日本では一家の中心が女性ということもめずらしくありません。男女が一緒に歩くことも昔からめずらしくありませんでした。
 江戸時代、通信使(今で言う外交団)として日本を訪れた中国の役人が残した日記がありますが、「日本では男女が平気で一緒に道を歩いたり、妻が夫に何かを指図したりすることが平気で行われている。なんて野蛮な国だ」という意味の記述があります。儒教的な価値観からすれば、男女が対等に話をする日本は野蛮国だったようです。
 また、江戸時代の日本では女性から離婚する権利もみとめられていましたし、有名な三行半(みくだりはん)というシステムあります。三行半というのは、再婚するときに前夫が再婚の邪魔をしないように、妻が離婚する夫に対して「この女性とはもはや一切関係がありません。どこの誰と結婚してももんくはいいません」と書かせる誓約書です。これがちょうど3行半ぐらいの長さになるので、三行半といいます。現代誤解されているように、「夫が妻に突きつける」ものではなく、「妻が夫に書かせる」ものです。

 部族によっては伝統的に女系家族で、男性には男性権がないというのもまずらしくないですし、沖縄では神女(のろ)といって女性が神に仕えるため、男性立ち入り禁止の聖域も多くあります。
 時代、文化によっていろいろな制度や背景があるので、一概にこうだとはいえません。

 ただ、現在の日本でよく言われる「男尊女卑」というのは、主にヨーロッパのキリスト教文化的な視点でいうことが多いようです。日本でも、明治期にヨーロッパ文明を受け入れていろいろヨーロッパ文明のまねをしたので、「男尊女卑」という点では江戸時代よりも明治~昭和前期の方が後退してしまった感があります。
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この回答へのお礼

そうですね…
僕も男尊女卑っていう質問を書きながら、男尊女卑ってなんだろうなって漠然と考えていました。
はっきりした事は良く分からないのですが、遺伝学的なものと、文化的、宗教的、いろいろな分野から切る事が可能で一概に男尊女卑と言っても並列にはならないかもしれませんね…
回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/06 10:34

>日本も戦前は男尊女卑だった訳で、



強ち、そうとも言い切れないんですよ。

江戸時代、江戸の商人(町方)の間では女性の地位が高かったらしいです。
しかし、残念ながら当時の正確な記録が殆ど残っていない(記録を残すのはヤボだという理由からだそうです。)ので、一般的に昔の日本は男尊女卑というイメージが出来上がってしまっているみたいです。
(↓の【江戸は女性上位】を参照)
http://72.14.203.104/search?q=cache:vMIJZ2qGrCYJ …
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/archi …

歴史とは、所詮記録の上でしか判断できませんから、記録に無い歴史にも出来る限り目を向ける必要性があるのかも知れません。

リンクが開かない場合は、↓からどうぞ。

参考URL:http://pcsoft.okwave.jp/kotaeru.php3?q=2198477
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
面白いですね、江戸も…
参考になりました。

お礼日時:2006/06/06 10:21

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