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「僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた」
とありますが、「どこでもない場所」とはドコを示しているのでしょう?
抽象的なものだと考えているのですが、前後の脈絡からも予想がつきません。
ずっと物語性を保ってきたのに、最終ページの1シーンだけ異色を放っていると思うのは、関係してくるのでしょうか。

A 回答 (2件)

こういった一行一行が村上春樹の素晴らしさという気がします。


また、読んだ本に関して素直に疑問を感じ、深く考えている質問者さんは素敵だと思います。

大学でこの作品を使った文学論の講義を受けて、私が感じたことを書きます。

おそらく、あれほど様々な事件が起こるのに、確か上巻の冒頭は飛行機に乗っている場面から始まりますよね。私は、回想的に過去を振り返り、語り始めるその場面を、二回目に読んだとき、「僕」自身に突き放されている気がしました。つまり、飛行機に乗り込んだのは過去にリセットをかけるため、もしくはすでにリセットをかけた状態である、と。

そして、対(つい)になっている下巻の終わり。「僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた」の一行ですが、「どこでもない場所の真ん中」とは、つまり「僕」自身なのです。僕自身の位置が、様々な体験を通して、定まらなくなったのです。
今まではどこにでもいる普通の大学生だったのに。

人の死などの大きな体験を短期間に連続的にしたことにより、「今日までの自分は自分自身であり、また明日からも当然自分である、という確証を失った」のです。人生何が起こっても不思議ではない、こんな人生もある、自分とはなんだったのか。

誰かが死んでも、当たり前に続いていく日常。
近所のカフェは今日も開いているし、電車は時間通りに来る。
最後の一行は、初めて「僕」が(受身ではなく)能動的に動き出した瞬間をとらえた、といえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

遅くなってごめんなさい。
お二人のご意見を元に、もう一度読み直してみました。

やはり奥が深い、というのが感想です。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/03 03:37

自分の居場所(心理的な)が分からない、ということだと思います。



また、たしか最後の場面は街の中とか雑踏の中でしたよね? 公衆電話か何か。
実際に都会のどこかという“どこでもない”不特定な場所にいて、自分の心の中も、これからどうするかも定まっていないということなんじゃないでしょうか。

でもあれをハッピーエンドと読んだ人もいるようなので(私には信じられませんが)、解釈は人それぞれだと思います。
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