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このかぎの中の言葉は2次関数の方程式を解いたときには必要であることはわかってます。私が子供のころは1次には不要だったように思う。昨年の大阪書籍では必要になっている。昨年の啓林館では例題の部分的にあるので必要と意識しているようだ。現在中学生の数学にはこの言葉は必要ですか。大人も1次式にも必要なのですか。1次式を解いたときそれを答えに直す前に必要なわけを教えてください。また、数学のxとyを直接答えの代わりとしないで(立式して解くのが効果的なように、答えは今年のを求めるのに、xを前年の値と仮定しておくなど)のっばいかぎの中の言葉はどこで書いておくといいのでしょうか。

A 回答 (3件)

 学校の数学の事情は全く知りません。


 けれども、「この解は問題にあう」かどうかの確認(「解の吟味」と呼ぶことがあります)が必要な場合、すなわち検算しないと駄目な場合がどういう時に出て来るか(もちろん、大人も子供も関係ありません)をおおまかにご説明することなら出来そうです。

方程式
f(x) = 0
があったとします。
 これが方程式であるというのは、
●どんなxでもf(x)=0であるという訳ではないが、f(x)=0になるようなxが存在するかも知れない。
ということです。(もしどんなxでもf(x)=0になるなら、これは恒等式と呼ばれます。)
 さて、この方程式を解けと言われたら、
● f(x)=0になるようなxが存在するかも知れないので、そのようなxを「解」と呼び、その集合をXとする。解の集合Xを求む。
ということを意味しています。

[1] 問題文の中に、もっと他の制約が書いてあることもあります。たとえば、
「f(x)=0 であり、しかもx≧0 であるようなxの集合を求む」
であれば、f(x)=0を解いて得た集合Xのうちから、条件x≧0に合わないものを除外しなくちゃいけません。

[2] 問題文に制約が明示的に書いてない場合も多々あります。(実務で出くわす問題は全てそうだと言えましょう。)たとえば
「100円持っています。りんごは1個80円、みかん1個は40円です。何か2個買いました。何をいくつ買ったのでしょうか」
買ったりんごの数をx, 買ったみかんの数をyとします。そして、
200 ≦ 80x+40y
x + y = 2
と式を立てる。さて、 x=-1, y=3は確かにこれらの式を満たす(つまり解である)にも関わらず、「問題に合わない」ですね。
 なぜこんなことが起こるかというと、そりゃ、これらの式だけでは問題が完全には表せていないからです。
 問題をきちんと表すと、
「200 ≦ 80x+40yである」と「x + y = 2」と「x,yは0または正の整数である」を全部満たす(x,y)の集合を求む。
ということであり、もうちょっと本格的な書き方をすると(Zを整数の集合として)
(x,y)∈X ⇔ 200 ≦ 80x+40y ∧ x + y = 2 ∧ x∈Z ∧ y∈Z ∧ x≧0 ∧ y≧0
という論理式になります。x=-1, y=3はこの式を満たしていませんから解ではない。
 ですが日常的には論理式を使わずに日本語で代用してしまうことが多く、すると、数式で書いた部分ばかりが目立ってしまいますね。

[3] そしてまた、式をいじくってる途中で「問題に合わない解」が入り込んで来る場合もあります。このケースについては、ご質問で二次式の話をなさっているのだから、よくお分かりなのだろうと思いますが、その場合には:
 問題が求めている解の集合Xに対して、
X⊂Y
であるような解の集合Yを持つ別の問題をまず解いて、次に、Yの要素(つまり出て来た解)の中からXの要素であるものを(解の吟味によって)選び出す、というやりかたになっている訳です。

[4] 微分方程式を解く場合などは、問題が求めている解の集合Xに対して、
Y∩X ≠ φ (φは空集合)
であるようなであるような解の集合Yを持つ別の問題をまず解いて、そこを突破口にしてX全体を見つけだすということもやります。この場合、Yの要素は元の問題の解かもしれず、そうでないかも知れない(だから解の吟味が必要です)。そして、元の問題の解がYの要素以外にもあるかもしれないから、解の吟味をしただけでは答として不完全です。

[5] 連立1次方程式
ax + by = c
dx + ey = f
の場合、解(x,y)の集合をXとすると、
(1) Xは空集合(X=φ)である(解がない)
(2) Xは丁度1個の要素(x,y)を含む(解がひとつだけある)
(3) Xは無限個の要素(x,y)を含む
のどれかしか生じないことが証明できます。
 ですから、この連立1次方程式を満たす解(x,y)を直感でひとつ見つけたとしても、もし(3)に該当していたら、
「その解は「問題に合わない」可能性があり、しかも他にも解があるかも知れない」
という事態が生じます。微分方程式の話と同じような状況です。
 ところが、学校で習う普通の解き方をしますと、それで解けた場合には、その過程が同時に「(2)であることの証明」になってる仕掛けなんです。で、(3)の場合にだけ
0=0
なんて式が出て来てしまう。(この場合、つい「解けない」なんて言っちゃいますけれど、正しくは無限個の解があるんです。)
 なお(1)の場合には、1=0という式に行き着きます。これは(x,y)をどう選んでも満たせない式ですから、「解がない」訳です。
 だから、もし普通に解けたんなら、わざわざ吟味や他の解の有無を心配しなくて良い。(もちろんその場合でも、[2]で述べたように、この連立方程式だけでは問題を表せていないのであれば、吟味が必要です。)

[6] 書き方の話
> また、数学のxとyを直接答えの代わりとしないで(立式して解くのが効果的なように、答えは今年のを求めるのに、xを前年の値と仮定しておくなど)のっばいかぎの中の言葉はどこで書いておくといいのでしょうか。

 数式の羅列の部分だけが「解答」だと思ったら大間違い。文章題から式を立てるときには、何をどの変数で表すかをきちんと書かなくちゃ断然落第です。実際、上記の「りんごは1個80円、みかん1個は40円です…」の問題では、
「買ったりんごの数をx, 買ったみかんの数をyとします。」
と明記しました。これは誤解のないように明晰な言葉ではっきり宣言しなくてはいけません。括弧に入れるようなことではない、重要な部分です。

 なお実務では、どの条件をどの式で表現したかも併記しておくと読む人が理解しやすく、間違いの発見も容易になります。例えば:

「手持ちのお金より多くは買えないから
200 ≦ 80x+40y …(1)」
と書いてみると、「あ、不等号の向きが逆じゃん!」と気がつきます。以下同様に、
「買ったりんごの数とみかんの数は合わせて2だから
x + y = 2 …(2)
りんごとみかんの個数はどちらも整数でなくてはならないから
x∈Z ∧ y∈Z …(3)
りんごとみかんの個数はどちらも負の数にはならないから
x≧0 ∧ y≧0 …(4)」

てな具合です。
 なお、文中の括弧は読みやすくするために適宜使います。何を括弧に入れねばならない、なんて決まりは(少なくとも数学には)ありません。

この回答への補足

ありがとうございます。わかったような気もしますがゆっくり考えます。中学生としては、2次式では無視すると都合の悪い場合が頻繁に出てくるから、すべての文章題についても立式して解いた場合はこの考証が大事だと覚えておくのが無難だと思いました。

補足日時:2006/08/20 17:17
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 中学レベルでどうか、ということは知りませんが。



 No.1へのpitagorajrさんのコメント:

> すべての文章題についても立式して解いた場合はこの考証が大事だと覚えておくのが無難だと思いました。

 危険だなー。「この考証が大事だと覚えておくのが無難」というご発言からは、どうも、

問題や、式を操作する意味をよく理解することが決定的に重要だ(大人だろうと小学生だろうと)

ということがお分かりでないように察せられます。(そんなこたーない、とおっしゃるのなら、以下は単にstomachmanの考え過ぎってことですから、無視した上でご容赦ください。)

 吟味が要るってことは、(問題に明示されていてもいなくても、ともかく)何らかの制約条件があるということです。
 「解いてからさて吟味」というんじゃなくて、まず問題をよく理解し、記号や式で表現して十分整理して、制約条件がどんなものであるかを明示的に表現した上で、取りかかるべきです。
 なぜなら、

(1) 制約条件をきちんと把握していないと、当然吟味などできませんし、吟味が要らないかどうかも判断できません。
 答案の末尾に「この解は問題に合う」と書いてあるだけじゃただのオマジナイです。「問題に合う」と言う以上は根拠を示す必要があり、そのためには制約条件は何と何(そしてそれ以外に条件はない)、とはっきり言い切れなくてはなりません。

(2) 制約条件によってアプローチが違います。一見複雑な式になる問題が、制約条件の方に注目するといとも簡単に解決する、なんてこともちょくちょくあります。(こういう問題こそ、面白いんですが。)

(3) 一般に、吟味や検算が簡単にできるような問題ばかりじゃありません。例えば、複雑な問題を何段階かに分割して解くことはよくあります。その場合、各段階での制約条件は問題文から自明に分かるような単純なものではなくなることがしばしば生じます。


 また、「式の変形」という操作をただのパターンだと思って意味が分からずにやってたら、一定のレベル以上には行けないだろうと想像します。例えば
「 a = ab
だから
 b = 1」
が間違いであるのはどういう場合か。この操作に暗黙の内に含まれている条件(あるいは、きちんとやるには本来どうすべきか)を理解する事は、学習の上で重要です。
 さもないと、自分ではいつも同じ「ときかた」をやってるつもりなのにテストの度に○が貰えたり×だったり、あーもー数学なんて分かんない!嫌いだけど受験テクニックとして暗記するっきゃない…ということになるでしょうね。もし教える方が分かっていないようなら、そりゃ、教わる方は浮かばれません。
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この回答へのお礼

なんというか、あなたの考えが実によくわかるつもりです。低レベルで機械的にかぎの中を書いているうちに進歩して本当のことがわかってくるのではないでしょうか。出た答えを吟味して、実は途中の計算間違いを発見することも多い私です。極論すれば、考証じゃなくて計算が間違えていて検算も間違えてまぐれあたりに正しい答えになることもあるでしょう。お礼逃げななるまも知れませんがお許しください。あなたの考えの大切さはわかります。私以外にもあなたの考えを意識するべき人は多いでしょう。また私の名が出たらよろしくお願いします。ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/23 21:13

NO.1の方が詳しく書かれていますが、学校の数学の事情に即してお答えします。



方程式の文章問題への利用手順は
(1)未知数を決める。「みかんの数をx個とする」
(2)立式する。
(3)方程式を解く。
(4)解の吟味「x=-5はみかんの個数としては不適」
(5)(解から答を導き、)単位をつけて答える。
という指導をするのが通常でしょう。

ただし、方程式に表れない条件(「答は整数」など)を検討する「解の吟味」は、1元1次方程式では、「解が不適なので、問題に適合する答は存在しない」となる場合しか必要ありません。(解が1つしかないのですから。)
このようなケースに言及しておくことは、連立方程式や2次方程式への発展を考えると、ムダとまでは言えないでしょう。

ただ、実際には、1年でこれを指導しようとしても、多くの生徒を混乱させただけで終わる程度の時間しかとれないのが現状です。

以前のように、正確な計算ができたかどうかの「検算」と、正確に計算できても答に採用しない場合もある「解の吟味」を混同していた教科書よりはマシですが、大阪書籍のように1次方程式で必須とするのは、私は「やりすぎ」と思います。

「答の書き方」は、中学生でも大人でも、「答を読む人に解法の筋道がわかる」という見方から、ていねいに書かれることが望ましいでしょう。
立式の前に何を未知数としたかを明記するべきです。

「解の吟味」を忘れてはいけませんが、その指導は、吟味の価値がはっきりする2次方程式からで充分と考えています。
1年生は、ただでさえ、演習時間がとれないのですから「この解は問題にあう」を機械的に書かせる指導はパスした方が良いと思います。

この回答への補足

ありがとうございました。私は、塾で時々教えるので、教えていただき増した。身分を隠してすみませんでた。難しい問題ですね。

補足日時:2006/08/22 22:40
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この回答へのお礼

お礼を書く順としては二人目です。二次方程式を習ってかぎの中の言葉の必要性を知り感動した遠い昔を思い出しました。この感動をするためには1次式でかぎの言葉は無いほうがよかったかも知れません。1番の方へ、あなたのも感謝してますが、お礼をすると締め切ってしまうので名残惜しくしばらく書き込みはいたしません。

お礼日時:2006/08/23 21:19

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