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高村さんは夫婦宣言をして智恵子さんと一緒に暮らし始めたものの、籍を入れられたのは智恵子さんが病になってからですよね。
高村さんにとって、入籍とはどういうものだったのでしょうか。籍を入れる、入れないということにはこだわらない人だったのでしょうか。また、籍を入れるということによって、智恵子さんの病が改善されると思ったのでしょうか。どうして、最初から入籍をされなかったのか不思議です。お互い納得されてはいても、やはり世間の目は気にならなかったのでしょうか。
男女の事は当事者にしかわからないとは思いますが、籍を入れることの意味について考えてしまいました。皆さんはどう思われますか。また参考文献などがあればご教示下さい。

A 回答 (2件)

こんにちは


憶測ですけれど
智恵子さんは没落した旧家の長女でたしか家を
背負ってゆく立場にあったかと。
樋口一葉もですが、そういう立場では籍をぬくのは
困難だったかもしれません。

それに彼女は日本のフェミニズム運動といえる「青鞜」にかかわって表紙をデザインしたりしていますし「新しい女性」としての思想みたいなのがあったかも。
病気になってから籍を入れたということでしたら、「入院」するにあたって光太郎氏が家族として面会とか世話をする立場上必要になったのかもしれません。

以前たしかここで「高村智恵子」に関しての本を尋ねた方がいらっしゃいました。資料はそちらを探してみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もう少し調べてみます。また「新しい女性」としての思想の方からも考えてみます。

お礼日時:2006/09/30 21:19

その当時は、入籍というものは一般的にそれほど重んじられていませんでした。

普通の農家などでは「足入れ婚」といって、子供ができたら入籍し、できないような嫁は実家へ帰すというようなことがありました。光太郎はそうではないでしょうが、籍を入れないことが進歩的、といった捉え方をすると間違います。入籍はむしろ、女性の権利を守るためのものだったという背景を押さえておいたほうがいいと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。「足入れ婚」などということもあったのですね。知りませんでした。当時の時代背景なども調べてみることにします。ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/02 18:09

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