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雛人形は大人になっても飾る方も多いですよね?
でも鯉のぼりは子供が小さい時にしか上げてないように思うのです。
何歳までしか上げられないとか言う決まりはあるのでしょうか?
また皆さんは何歳まで上げていましたか?
良く子供が恥ずかしがる歳になったから上げなくなったとか聞きますが、
成人しても上げるのは変なのでしょうか?
五月人形は家の中なので雛人形と同様、節句のたびに飾ろうと思うのですが
それもOKなのでしょうか?
鯉のぼりは当然外なので、恥をかかない為にもしきたり等が有れば教えてください。

A 回答 (4件)

>> 何歳までしか上げられないとか言う決まりはあるのでしょうか?



無いと思います。聞いたことないですもん。(…あったら、ゴメンナサイ!)

>> 皆さんは何歳まで上げていましたか?

うちは、弟が大学に合格して家を出るまで、ずーっと揚げてましたね(^^;;)

>> 成人しても上げるのは変なのでしょうか?

別に変ではないと思いますょ♪ …うちの近所に"もう子供は成人して家を出てるのに、まだ鯉のぼりを揚げ続けてる老夫婦"がいてますが、別に「変だ」とは思わないです。でも基本的には、"家に子供がいる間だけ揚げるもの"みたいですね。私的には、鯉のぼり持ってる家庭は、みんな揚げて欲しいと思ってますけど。(笑) 空が賑やかになって楽しいから♪

「鯉のぼり」には、「うちにも男児が生まれました」ってことを天の神に知らせるとともに、その男児の成長と出世を願う…みたいな意味があるんだそう。

お子さんが何歳になっても、親から見れば子供ですし、その子の「成長と出世」を願いたいなら、いつまでも、しぶとく?揚げ続けたって構わないんじゃないかなぁ(笑)

それに、鯉のぼりってケッコーな額じゃないですか。(←値段的に。) ボロボロになるまで使わないと損ですよ。(ぉぃ)

結論:どんどん揚げましょう!!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。せっかく有るのにもったいないですものね。

お礼日時:2002/05/07 00:20

鯉幟は子供の健康と将来の出世を願って5月に立てる習慣ですね。

昔は15歳で成人を迎えたので、それまでだったのではないでしょうか。戦場に向かう年頃(大人)になって鯉幟をあげたとは思えません。しかし、もっと時代を溯れば(江戸時代以前)のぼりは武家の紋を入れた印に過ぎないので、違った習慣があったかもしれません(大人になっても戦がある時は、常にかかげるとか)

庶民が武家の習慣を真似て男の子の健康と出世を願うようになったとき、紋の代わりに、中国の故事にある鯉は川を登って登竜門にいたり竜になる、から鯉を幟に描くようになったといわれます。

現代では子供が嫌がらない限り、5月の民間行事として、男の子がいる家庭は、鯉幟を立てるのであり、必ずしも健康と出世を意識していないので年令制限はないと思います。子供次第、その家庭次第でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。由来等は私も知っていたのですが、現代の決まり事があるのかどうか悩んでいたので・・・・。特に年齢制限が無いなら続けていきたいと思います。

お礼日時:2002/05/07 00:17

こんにちわ!


家でも鯉のぼりあげてます。しかし、私がお嫁に来たこの土地では、男の子が生まれても、すべての家で鯉のぼりが上がるわけではないのです。

35年位前までは、男の子が生まれても、飾るのは女の子の節句に飾るお雛様だったそうです。私の主人の時も義理母が実家にお願いしてお雛様を頂いたそうです。主人の6歳下の弟が生まれた位から、少しずつ変わっていったみたいなんですけど・・・

その影響が残っているのか、田舎で立てる場所はあるのにも関わらず、本当に少ないので淋しいですね。
鯉のぼりのポールを立てるのも片付けるのも大変だけど
出来る限り、毎年あげたいと思ってます。
小学校あがるまでとか、人が言っているの聞きます。そうですね・・私は10歳まではあげますよ。
きまりはないと思います。いいものじゃないですか~
頑張って上げましょうよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。地域によっても色々あるんですね。頑張って上げたいと思います。

お礼日時:2002/05/07 00:21

ご存知のように、5月5日の子供の日になると、男の子のいる家では鯉のぼりを庭に出す習慣がありますが、現代のような習慣が昔からあったわけではありませんので、その意味からも難しいご質問ではありますね。


5月5日を端午の節句(節供)、といいますが、端午の節句自体は、奈良時代から行われている古い行事です。端午というのは、五月の初めの午(うま)の日という意味ですが、中国には月と日の数が同じ日を祝日にする風習があったり、また、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、いつのまにか五月五日に固定されてしまいましたと言われています。ただ、この端午の節句と鯉のぼりとは待ったく別の行事です。
歴史的側面から少し書きますと。
奈良・平安時代の端午の日は、災厄を避けるための行事が行われる重要な日でした。宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたりしました。
鎌倉時代には、武家の間から菖蒲と尚武をかけてこの日を大切にする気風が生れました。
江戸時代には、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べました。将軍に世継が生れると、城中にたくさんの幟や作り物の遣り、長刀、兜などを立てて盛大にこれを祝いました。
江戸中期になると庶民の間から町民のアイデアで鯉のぼりが生れました。中国に古くから伝わる登竜門の伝説(中国の古書『三秦記』には、黄河の中流にある竜門を、魚たちが争って登ろうとしていずれも失敗したが、鯉だけがこの急流を一気に駆け登り、天まで登って竜と化したとあります。)になぞらえ、竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込めたものです。この頃は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりが生まれ、昭和三十年代の半ばには雨にぬれても色落のしない合成繊維の鯉のぼりが誕生し、現在に受継がれています。
江戸時代、「菖蒲」と「勝負」「尚武」をかけて、菖蒲の節供として武家階級の祭りとしてこの行事を重んじ、甲冑(かちゅう)や刀などを飾り、家紋をしるした旗差しものや幟、吹き流しなどの武家飾りを玄関前に並べ立てることが流行した。これに対抗して町人層では江戸時代中期以降、武具がわりに鯉のぼりをたてる風習が生まれました。鯉は先に述べた中国の竜門伝説の故事からですが、立身出世の象徴として親しまれて、鯉が小さな紙製になって吹き流しにつくられ独立したと考えられています。
したがいまして、鯉のぼりは、その起こりから見ますと、男児の出生と健康を願って立てる外飾りでありますので、おおむね昔の成人である15、16才が限度といえましょう。
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この回答へのお礼

有り難うございます。由来等は私も知っていたので余計に現代の決まり事があるのならと気になった次第です。確かに起源から考えると15歳くらいなんですよね。

お礼日時:2002/05/07 00:22

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