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OvidiusのRemedia Amoris 648

Qui nimium multis "non amo" dicit, amat.

ですが、教科書の訳では、「あまりに度々『俺は愛していない』と言う人は、愛しているのだ」となっています。対応させてみると、multisは「度々」という意味のようですが、multisは副詞としてそのような意味があるのでしょうか?それとも複数の与格あるいは奪格で副詞のように使われているのでしょうか?辞書の中にこのような用法・意味を見つけることが出来ません。教えて下さい。お願いします。

A 回答 (4件)

No.2です。

回答の流れを見落としていたのでほったらかしたようなかっこうになってしまっていました。質問者さんにもNo.1の回答者さんにも申し訳ないことでした。No.2の回答でわたくしが意図したことは決してNo.1さんに反論することではありませんでした。でも結果的にそのように受け止められたのは残念です。

multisが複数与格であり、dicitの間接目的語という見方は間違っていません。dicoは与格の間接目的語を取る動詞です。素直に読めばこちらの方がむしろ普通の自然な読みだと思います。

さて、名詞の複数はほとんどが与格と奪格が同形なのはご承知の通りです。ならば可能性として他に考えられるのはmultisが奪格であり、時間や場所を表しているという解釈です。

No.1さんが引用しておられるサイトで「副詞句」といっておられる根拠はわかりません。でも個々の名詞について辞書の項目として載っていなくても、文法書や入門書の「格の用法」の項目にはたいてい記述があると思います。時間を表す場合、対格の副詞的用法が継続的であるのに対し、奪格では瞬間的だといった違いがあります。

ところでRemedia Amorisでは、multisは一種のキーワードです。表現を変えて、いくつも、何度もという繰り返しのイメージが何度も現れます。そのなかから文脈なしに一行だけ取り出して正しい解釈を一つに決めるのは難しいですね。おそらく何か根拠になる研究なり注釈書の記述を踏まえた上で、無難な線を避け「度々」「あまりにしばしば」なのかもしれません。

ところでよろしければどの教科書をお使いなのか教えていただけませんか?
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#1です。

Oxford Latin Dictionary(ラテン語辞書としてもっとも権威があるもの)でmultusを引いてみました。3で中性複数の用法が取り上げられています。すこしわかりやすくして引用します。
3 (neutral plural 中性複数)
a Many things, much.
b many words.;(usulally in elliptic phases.,e.g.例えば)quid multa?, ne multa, in brief, to cut a long story short(要するに)
c(internal acc.内的対格)to a great extent, much(大いに)
aの用例ですが、すべて複数主格、対格のものです。
bでは奪格の用例も挙がっていますが、
 ne ego multis loquar ,
multis ... crepuit,
eadem dicit ille, quae tu, sed ea minus multis
すべてmultis verbis(多くの言葉で)の省略としてのmultisです。
cは副詞的用法ですが、すべて複数主格、対格です。
いったい、単独のmultisだけで「しばしば」というような用例があるのでしょうか? ラテンの古典作家でそのような例がたとえ一例でもあるのなら是非ご教示願いたい。
 最近は日本語のWikiも充実してきました。しかしこと西欧の事項となると英語のWikiに比べると貧弱なものが多いことは嘆かわしいことです。日本におけるラテン語研究の歴史は西欧に比べるとまだまだ浅いと言わざるを得ません。ラテン語文献の訳も、日本人のものが正しく西欧の多くの訳が間違っているとは考えにくいのです。
この例文のポルトガル訳を見つけました。898番です。
Quem insiste em dizer a muitas pessoas ‘eu nao amo’, esse ama.
"a muitas pessoas"とは"to many persons"ということで、はっきりと「多くの人に」と解釈しています。このような訳がすべて間違っているとはとうてい考えられません。反論されるなら確かな証拠を示してください。

参考URL:http://www.hkocher.info/minha_pagina/dicionario/ …
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副詞的な意味は、奪格の「時間・場所」を表す用法にあると考えられないでしょうか。

Qui nimium multis "non amo" dicit, amat.
のmultisは中性でしょう。この型の形容詞では複数与格奪格ではどの性も形が同じなのですが中性とすれば無理無く「多くの場合において」→「しばしば」という意味に取ることができます。「時間・場所」の奪格という用法は、こっそり前置詞 in を補って読めば判りやすいかもしれません。「しばしば」といってもsaepeとは違って一回ずつ数えたてるようなそんな感じかもしれません。

Big-babyさんが引用しておられる山下先生の「副詞句」というご説明もmultisを中性と考えておられるからだと思います。

男性であれば当然dicitの間接目的語です。文脈からいってこちらのほうが自然であればそれもよいと思います。
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ラテン語学習者にとっては参考になる山下太郎のホームページには次のような説明がありました。


”nimium multisは副詞句で「あまりにしばしば」と訳します”
http://www.kitashirakawa.jp/taro/hist996.html
ですが、普通に解釈すれば、multisは複数与格で(大勢の人々に)という意味です。したがって、直訳すれば、「あまりにも多くの人に<わたしは恋なんかしていないよ>という人は恋をしているのだ」ということになります。ただ訳し方の問題で、「あまりにも多くの人に」を「あまりにたびたび」と訳してもいいでしょう。
ドイツ語訳、フランス語訳も見たのですがやはり「あまりにも多くの人に」と訳してますね。
ドイツ語訳
http://www.lateinservice.de/dicta/inhalt/littera …
フランス語訳
http://perso.orange.fr/alain.canu/Pompeii/graffi …
ラテン語multiは単独で「多くの人々」という意味でよく使われます。複数形で副詞になるということはないでしょう。
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