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先に「なぜ観客数は増えている?」という質問をさせていただいたものです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2800781
いただいた回答から昔の記憶をたどり、特にパ・リーグの二球団について観客数が増加した理由をお教えください。

1)西部
前身は1年で身売りしたクラウンライターで大赤字だったことが想像されます。西部の買収とともに九州から首都圏に移転したとたんパ・リーグ1の観客増員を果たしました。買収後しばらくは弱体チームだったのになぜ首都圏に移転しただけで人気が出たのはどのような営業戦略をとったのでしょうか?設立当時はまだBSも一般的ではなく、人気選手もいなかったように記憶しています(江川選手に入団拒否されましたね)。

2)ダイエー(ソフトバンク)
前身の南海では大阪のど真ん中に本拠地がありながら毎試合実数4千人程度の観客動員だったように記憶しています。ところが人口の少ない福岡に移転してすぐに200万人前後の観客増員。優勝争いをするようになってからは阪神に匹敵する観客増員数です。クラウンライター(前身の太平洋も)観客増員の少なさから撤退したことを考えれば特に九州が野球人気が盛んとは思えません。

観客数アップの理由、よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

まず、西部ではなく西武ですね。


西鉄が球団を手放してから、スポンサーに恵まれず、選手は北九州で試合が終わった後、球団のバスではなく国鉄の電車に乗って博多へ帰ったという逸話があるくらいです。
球団自体も弱体化しており、江川を指名したものの入団拒否といったような存続の危機に瀕していました。

西武に買収され、所沢に本拠を移したころは、西武王国の景気が一番良かったころです。西武の威信にかけて補強もしたし、田淵等の人気選手を獲得しました。系列の社会人チームプリンスホテルから有望選手を獲得し、年俸も明らかに他球団より上でした。当時、堤オーナーはCMなんかに出なくていいように給料上げてやりなさいといってました。
収益を考えてというより、企業グループのシンボル的なものでしたので、割引券等もバンバン出てました。

ダイエーの場合は元々中内オーナーは総業の地、神戸に球団を持っていきたかったようです。
それを周りがマーケティングデータを元に説得したそうです。

福岡はライオンズがいなくなって以来、球団待望の空気がありましたしアジアへの玄関口として都市自体も成長期にありました。
ここでも球団社長を務めた根本さんの功績で、人気選手や有望選手を獲得していきました。特に初期は秋山選手や池田投手など九州出身者を集めてました。また、当時はダイエーの店自体も九州に進出して店舗網を拡大してましたのでホークスが目に留まる機会も多かったと思います。
日本発の開閉式ドームを建設し、観光名所にもなりました。

また九州は野球の盛んなところです。ライオンズは去る結果になりましたが、九州の野球人気が低いというのは大きな間違いです。ホークスが福岡に行った直後は、ライオンズを応援する人とホークスを応援する人が入り混じってました。

いずれのチームもものめずらしさが残る最初の数年はともかく、チームが強くなっていくにつれて、観客動員が増えていったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/08 23:16

★西武の場合


新装オープンの西武球場をはじめとするきれいな設備に加え、みなさんが回答されるように惜しみなく資金をつぎ込んだのが最初の人気につながりました。
当時は巨人の常勝時代が終わりを告げ「巨人ファン」というのがかっこわるいと思われる風潮がありました。
池袋から西武球場前駅までの直通電車も今よりずっと多くて便利でした。
その後、経営努力を怠りファンに見放されつつあります。
※ちなみに私はライオンズファンクラブ会員です

★ダイエーの場合
ライオンズを失って地元プロチームの存在する意義の大切さを知ったのか、ホークスが移転してきたときは今度は逃がすまいとばかりにバックアップがすごかったです。
まず福岡のマスコミが急にホークス一辺倒になりました。
何が何でもスポーツ新聞の1面はホークスネタです。
ラジオ局(RKB/KBC)もライオンズ時代は平和台球場でやるとき以外は巨人戦を中継していましたが、これまた何が何でもホークスの試合を中継するようになりました。
福岡ドームができて施設も改善され、観戦予定が狂うこともなくなり、九州全体から観戦ツアーが組まれるようになりました。
弱小軍団から常勝軍団になるに連れて人気も自然に上がっていきました。
※ちなみに私は福岡県の隣の熊本県出身です

どちらも共通するのは「新しくてきれいな球場」ができたことが客足が伸びた最大の原因だったと思います。
西武球場も今でこそパで最古の球場となりましたが、所沢に球団が移転してきたときは新球場で最先端の施設でした。
ダイエーも平和台球場を使っていた頃はまだそれほど人気は上がらなかったのですが福岡ドームになってから急激に観客が伸びました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。営業努力も集客の要因になることが理解できました。

お礼日時:2007/03/08 23:22

内輪話ですが、西武の社員は、ファンクラブ加入と、年間数日の野球観戦が義務となっています。


その内の1日は、勤務時間内での観戦です。
私もせっかくですので、交流戦のときは、インボイス西武ドームにお邪魔しています。
券のばら撒きは、かなり少なくなったように思います。
お客さんが定着してくれたのでしょうか。
選手の車掌さん乗務も支持があるようです。
選手がアナウンスしてくれる企画です。
阪神の赤星選手だったら、ドアの開閉も出来ますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。法律を屁とも思わない堤のオッサンならやりかねないですね。確か自分の家の墓掃除を社員にやらせるとかいう話も聞いたことがあります。

お礼日時:2007/03/08 23:21

どうもこんにちは。

野村時代からの南海ホークスファンです。
西武に関しては
西武&プリンスホテルが一丸となって
大金をかけてチームを強くしたのでとにかく強くなったしスター選手が山のように居ました。
最初に田淵を阪神から大型トレードで獲得したりですね。
ただパリーグでは観客動因の努力をとにかくしていたのは阪急ブレーブスですし、パで最初に100万人(低次元だけど凄い事だった)超えたのは阪急です、データを見てないですが西武も直ぐに阪急より観客動因が増えたわけではないと覚えてます。

ホークス
>大阪のど真ん中に本拠地がありながら毎試合実数4千人程度
ひどい事をおっしゃりますね、そんなに少なくは無いですね、
ちなみに身売りした年は球団史上最高で90万人弱でしたね。
ダイエーの今の観客動因はNo1さんが書かれている事が全てです。
「ダイエーホークスは商店街などのホークスのロゴ使用を無償で許可していました」
ダイエーの観客動因は最初の数年はガラガラだったのがこれを実施して満員になったはずです、
パリーグをずっと見てきファンにはダイエーの満員振りが信じられない事でしたし、これは首になった(たしか)球団社長が実施したのですがこんな馬鹿なことをしてと思いましたがまんまと成功したわです。
+王が監督になったことも大きいでしょう、そのおかげでドラフトでいい選手が指名出来て毎年優勝争いしてますからね。

ちなみに日ハム楽天の観客動因、またロッテの観客動因はJリーグが相当影響していると思います、「おらがチームを応援しよう!」って意識ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>大阪のど真ん中に本拠地がありながら毎試合実数4千人程度
ひどい事をおっしゃりますね、そんなに少なくは無いですね、

南海ファンのみなさん、すみません。昭和50年前後近鉄や阪急が首位争いでもなければ新聞発表5千人程度だったように思うので南海も似たようなものかと思いました。

お礼日時:2007/03/08 23:19

西武は「チケットばら撒きすぎ」と批判されるくらい、優待券や割引券を配布しています。

ライオンズのサイトからファンクラブの案内を見ていただけるとわかりますが、定額で入場するのがばかばかしいくらいに大盤振る舞いです。

たとえば外野席割引券が10枚。1つのチームとの対戦はホームとビジターで10試合ずつ(今年は少し違いますが)です。つまり、あるチームとの対戦を全部見ることができます。

それにより、ホームのライオンズのファンだけでなく、ビジターチームのファンも積極的に西武ドームに足を運ぶようになります。だから西武のファンクラブはビジターチームのファンも多く加入しているようです。

また、所沢にいると無料券が手に入ることが多くあります。
そうやって球場に足を運んでもらいます。

西武はホームのファンが増えたことよりも、ビジターのファンも多く取り入れてきたということがいえると思います。福岡や札幌に行けばほとんどがホームのファンでビジターのファンは探さなきゃいないような状況ですが、西武ドームでは半々前後の割合になります。

西武が強くなることによってライオンズファンも増えるし、その他のチームのファンが「ライオンズ戦を見たい」と考えて球場に足を運ぶようになるのです。首都圏は球団が固まっているのでビジターファンも大きな要素となると思います。

球団が固まっているのでそれなりの努力をしなければ人は集められないし、それを利用するのも営業のひとつでしょう。

逆の立場なのがホークス。
大阪を中心とする京阪神地区は南海のほかに阪神や近鉄もあったので、その辺で競合します。とくに阪神の力が強い地域です。当時は交流戦もないし、テレビで放送される阪神やセリーグの球団に注目が集まりがちでした。パリーグは暗黒時代でしたから集客はかなり厳しい状況にあったと予想されます。

その点で言うと福岡は競合相手はいませんし、ライオンズが移転して野球というものに飢えていたのだから最初は黙っていても人は集まるでしょう。それで放っておいたら熱が冷めて終わりなので、そこで地元の球団として植えつける努力をします。また、強くなるための基盤を作ります。また、九州のファンも一度ライオンズを失った経験から再び球団を失いたくないという考えもあったようです。
99年に初優勝しますが、そこでファンが定着したと思います。

勝ったら安くなる店がある、野球に興味がなくてもドームの周りでショッピングしたり、遊んだりできるようにアミューズメントを作る、選手をアイドル化して売り出す・・・そんなことで人を集めていっていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/08 23:15

>クラウンライター(前身の太平洋も)観客増員の少なさから撤退したことを考えれば特に九州が野球人気が盛んとは思えません。



 西鉄ライオンズの売却は「黒い霧事件(八百長試合)」の騒動で多くのスター選手が永久出場停止処分(永久追放)や長期間の出場停止、年俸の減額などの厳罰を受けたり、事実上の引退に追い込まれたことでプロ野球人気の低下と西鉄の本業の不振からで、九州が野球不人気という訳ではありません。
 長い間、九州では「ライオンズ」を返せ運動(?)がありました。

>買収後しばらくは弱体チームだったのになぜ首都圏に移転しただけで人気が出たのはどのような営業戦略をとったのでしょうか?

 移転直後は然程人気球団ではなかったと思います。工藤、秋山、清原などの選手が入団し常勝軍団になってからだと思います。

 ダイエーホークスは商店街などのホークスのロゴ使用を無償で許可していました。 これで商店街が優勝セールなどを行え野球に然程興味なかった人も地元球団ホークスを認識したと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/08 23:15

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