プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

直接暴力を振るったり罵詈雑言を浴びせたりというパターン以外のよくあるいじめに、人の持ち物をいたずらしたりという、時間差をもって対象の持物を介してやるものがあります。下駄箱パターンとか。
それらに共通しているのは、「~~より」という名乗りを上げたものはめったになくて、誰がやったかわからないようにするというのが通例のようです。これは考えてみるとどうも腑に落ちないところがありまして、名乗りを上げることがそんなに不合理で矛盾があるものなのでしょうか?泥棒する前に向かいの家に「これから泥棒します、こういうものです」と挨拶に行くようなものなんでしょうか?

A 回答 (7件)

匿名性を上げるのは自分に非がこないようにするため。

たとえば先生に怒られたり親に怒られたりなど。

それから、泥棒が、ものを盗んだあとにそこの家の人に「私が盗みました」といって警察に突き出されると言うことと同じじゃないでしょうか。

ですから泥棒は普通は名乗ったりはしないのではないでしょうか。

これが、ライバルへの宣戦布告だとか、「私あなたのことが嫌いです」などと知らせたい場合には名乗るのではないでしょうか。

もちろんいじめなので、そのときには気に入らない内容を伝える手紙に
(手紙とは限りませんが)は沢山の同級生の名前が乗せられていることでしょう。

なぜそんな陰湿なことをするかと言えば、ただはたきあいの喧嘩では
周りから見られて、自分も注目されてしまいます。

とにかくいじめってのは陰湿で弱(人間性)い人間のやることです。
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この回答へのお礼

名乗る事によって、随分と陰湿性は消えるんですけどね。名乗らないというところに実はものすごく大きな転換点があります。フェアとはいえないが、まともな人間性があります。

お礼日時:2007/07/23 08:55

泥棒が「匿名」であるのは、自分がやったと知られると不都合があるからですよね。

いじめの「匿名性」というのは、そういう一般的な(?)「匿名」とは別の意味を持ちます。それは、匿名であることによって、相手にさらなる打撃を加えることができるからです。誰にやられたと分かっていれば、その時はショックかもしれませんが、その相手から離れることさえできれば、もう恐怖は感じません。しかし、誰にやられたか分からなければ、ひどい時は一生その「匿名の相手」に脅えなければならないかもしれません。「いじめ」問題の悪質さの根源は、この「匿名性」にあります。おそらく無意識にではあると思いますが、「匿名性」によって相手に加えられる打撃の大きさも計算した上での行為なのです。

古い本ですが、最近、再版されたようですので参考文献を挙げておきます。

別役実『ベケットと「いじめ」』
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%82%B1%E3%83 …
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%82%B1%E3%83 …

演劇との比較という特殊な方法ではありますが、「いじめ」問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった鹿川君事件を例に取り、「匿名性の悪意」について鋭く指摘しています。
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この回答へのお礼

いやあ、どうしようもないところまで来ましたね。仁義という言葉はこの場合どういう意味合いを持つのでしょうね。こういうことをやった本人はその後どうやって人間性を回復して生きるのでしょうか。回復しないまま死ぬのでしょうかね。

お礼日時:2007/07/23 09:08

いじめであろうといたずらであろうと、犯人は私ということは隠しますね。

これは悪いことしている自覚があるからだと思います。

逃げ切れると思えば、追求されても、自分ではないと嘘までつきますね。
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この回答へのお礼

悪い事をする煮にさらに悪い事(匿名)を重ねるというのが、人間のどうしようもないところです。

お礼日時:2007/07/23 09:05

見方を変えてみると、それを行う者にとって匿名性が必要なければ「下駄箱パターン」は必要ないですよね。


相手が困るを見て楽しむというより、その行為の瞬間に行う者の欲求が満たされているようにも思います。
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この回答へのお礼

そうですね。時間差があることを会えて名乗っても仕方ないかも。

お礼日時:2007/07/23 08:59

これは自己神格化の一種です。

つまり自分のしたことに対する相手からの報復を不可能にすることによって自分の優越性を絶対的に不動のものにするという願望の最も安易な実現法です。特定のの相手に自分の優越性を認めさせることが目的ではありませんから自分の幻想が崩壊するに決まっている名乗りをするはずがありません。
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この回答へのお礼

私は「神」だなんて思って匿名性を実践しますかね?でも、潜在意識的には何かなぞらえるものがあります。

お礼日時:2007/07/23 08:58

これはちょっと考えてみると、正当なことですよ。


昔「名乗るほどのものじゃござらん」という決まり文句を言うヒーローがいたようですが、そのこころは、「たいしたことしたわけじゃない」ということでしょう。
翻ってこういう状況を考えてみると、やるほうとしては「名乗るほどのものじゃござらん、たいした事やってないんだから」という意識とはちょっとずれていて、「お前(対象)は、おれがわざわざ名乗るほどのものじゃない」という姿勢です。こんな見下し方をするということ自体、人間としてあるまじき心持なのですから、当然「名乗るほどものもじゃない」ことを体現しているわけですね。もしこれをやりながら名乗ったとしたら、それこそ分裂した侠気の世界です。病院いかなくてはなりません。
古来より、合戦の作法は、まず名乗ることからですね。後ろから敵を切ることはまったく美談にならないどころか、非難の対象です。映画でよくある、銃で果し合いをするときでも、相手が拳銃に手を伸ばして構えようとするとき初めて撃ちますよね。それがモラルというか常識だからでしょうね。
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この回答へのお礼

まさにその通りです。結局小ずるい理性は常に生きています。

お礼日時:2007/07/23 08:56

名乗りを上げることの必要性が無いと思われます。


行っている本人は対象者が困っている様をみて楽しんでいるわけですから、わざわざ名乗って自分の犯行だと認めるのはただのリスクにしかならないからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

実はお礼を書くのも気が重いほど、よくよく考えると救いようない気分になってきます。もちろんお礼をちゃんとしたいわけですが、皆さんのかかれている事を味わうにつれなんとも心さむからしめる気がします。
名乗らないという損得勘定と、その実その行動による非人間性を同居させていますね。

お礼日時:2007/07/23 08:53

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