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 仏教が日本に伝わってから1500年、その間いろいろあったと思いますが、一番堕落した時代はいつでしょうか(宗派などありますので一概には言えないかも知れませんが)、教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

こんにちは。


色々な捉え方があると思うのですが個人的には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時代もひどかったように思います。
勿論力ずくで言う事をきかされたり必死に抵抗したお坊さんも沢山あったとは思いますが、率先して廃仏や廃寺を行った人々も多かったと聞きます。
つい昨日まで拝んでいたものをいとも簡単に捨てるどころか弾圧する側に回るものが出るだなんて、軽薄そのものというか何かもう情けない感じすらします。
まあ、それほど江戸時代の檀家制度などによって多くのお坊さん達が骨抜きにされてしまっていたということの証なのかもしれませんが。
お上が許したからと言って肉食・妻帯も平然と行ってしまえるところが何とも・・。
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この回答へのお礼

 実家が檀家になっているお寺の住職があんまりひどいので、こんな質問をしたわけなんです。教養ゼロ、銭ゲバのエロ坊主で妻帯をしていません(戒律とは無関係で嫁の来手がないだけ)。
 廃仏毀釈・・・ひどかったようですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/29 07:53

こんにちは、質問者様のような博識な方に自分の意見を書くのは物凄い気が引けるのですが、思い切って書きます。



私が、ダメ坊主といって思い出す僧侶に、「中環」という僧がおります。

僧が守るべき『戒律を全て破った』ために、死罪を天皇に言い渡され、
弘法大師が罪の許しを請う為にわざわざ上京したそうです。

http://www.ku-kai.org/gangouji.html
(ネット上では、これくらいしか発見できませんでした。)

また、スッタニパータによれば、お釈迦様の時代でも、お経や詩を読んで食べ物を恵んでもらう僧、肉食の僧もいたそうです。

お釈迦様は、あんまり怒っていませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83% …
(ご存知と思いますが、一応スッタニパータについてのウィキペティアへのリンク)

おそらく、お釈迦様も、空海も、自分には厳しい人でしたが他人にはやさしい人だったような気がします。

そういう、「やさしさ」には、つけこまれる隙がありますが、「やさしさ」がなくなり、キリ○ト教、イス○ム教のように、厳しく断罪しても、偽善者坊主が増えるだけかも知れません、

だから、「教養ゼロ、銭ゲバのエロ坊主」であることを丸出しにできるのも、『ある意味で』仏教の短所でも、長所でもあるのかもしれないと思いました。

一体どうするのが良いのか、若輩者の私には想像もつきませが…。

ところで、ダライラマさんよれば、現在が一番仏教にとって良い時代だそうです。、、理由は忘れてしまいましたが(チラっと読んだだけです。 図書館に置いて'あったので、、、。)、

確かに、(識字率あがり)お経が誰でも読め、信仰の自由があるという点を考えると、現代が仏教の最盛期かもと考えたり、、、。

また、「誰にも仏性あり」などと言い出したら、そもそも堕落期も、最盛期も無くなってしまと考えたり、、、

しかし、お寺の僧侶として考えたら、現代が一番の堕落している時期かも知れません。

、、、やっぱり分かりません。
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この回答へのお礼

 こんにちは、いろいろな情報のご提供ありがとうございます。
>ダライラマさんよれば、現在が一番仏教にとって良い時代だそうです。
 なんででしょうね。
 仏教=悟り、精神が大事=物質主義を排す→ 現在の物質的に豊かになった時代にこそ仏教の活躍の場がある、ますます仏教の教えが必要とされるということじゃないかな?
 そして利己主義ではなく利他主義(他人を思いやること)が、仏教の根っこのところだろうと思います。
 しかし、小生にはとてもとても・・・。
 また教えてください。
 

お礼日時:2007/09/30 11:47

 ANo.11です。


 最初に誤植訂正:
 (1)最後から二行目≪学会かなと遠く伏し拝みなが、~~~。≫⇒≪学会かなと遠く伏し拝みながら、~~~≫
 (2)最後から一行目≪鶴と聞くはタブー≫⇒≪鶴と菊はタブー≫

 [追加]たくさんのお話が寄せられ、啓発もされていますことを感謝します。議論の場ではないので、それに誤りの読解もありますし。
 私が観念や概念している、宗教は、自分が創造されてくる以前のことについての信仰と尊崇、畏敬と畏怖、精進と勤行です。
 これはどんな社会や状況、そして文化事情になっても必要であるし、義務ではないかとおもっています。釈尊は私の師祖ではありませんが、いつの時代においでになっても、やはりみんなに自分ってなんなのだろうとしっかり判ってもらう教えと指導はなさると存じます。核家族であれ、治安の栄華に眠る巷であれ、意識が人類普遍の真理を歌うがごとき憲法に遵うようになっていても。そういうことでは宗教の役目はなくならないと存じます。いつの時代もこういうことは同じだと存じております。
 
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この回答へのお礼

 わざわざ、ご丁寧にありがとうございます。
>宗教の役目はなくならないと存じます。
 仰せの通りと存じます。

お礼日時:2007/09/30 11:28

ブッダが現代を覗いたら、宗教的に必要性が無くなっている=堕落している、と思うかもしれませんね。



確かに古くは殺生までする坊主もいましたが、そういった時代は現代の感覚からすればおかしいほど、治安が悪いのでその視点からは批判するのは難しいと思います。

ともかく1500年も経ってしまって、仏教由来のものは日常に溶け込んでいますから外国からすれば「日本はブッダの国」と見えるかもしれませんが、本来の宗教としての役割は年々薄まっていると思います。
核家族化でお墓も自由な選び方をする人が増えていますし、世界を気軽に移動できる為に、様々な宗教と出会うこともできます。

個人的に宗教が必要な人にとっては、ある程度優しい言葉を得られる環境であれば、出会いのタイミングにもよりますが、宗教なんてどれでもいいんだろうなあと感じます。

都会でビル建築の寺?を見かけるたびにこれも選択肢の一つかと、しかし見た目はセンスがないなあと思いますね。(笑)
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この回答へのお礼

 おっしゃるような感じがします。
 >都会でビル建築の寺・・・金ぴか屋根の霊柩車の方がまだマシか。ありがとうございました。
 

お礼日時:2007/09/30 09:36

#3です。


>実家が檀家になっているお寺の住職があんまりひどいので、こんな質問をしたわけなんです。教養ゼロ、銭ゲバのエロ坊主で妻帯をしていません(戒律とは無関係で嫁の来手がないだけ)。
なるほど、そういうことでしたか。
そういえばうちのところのお寺さんなども坊さんは親子揃って丸々太っており、話をしたがる割にはちょくちょく素人でもわかる間違いがあるような有様でして・・うちでは「あの姿からして狸が化けているんじゃないか」となどと罰当たりなことを言っている始末です(笑)
そういうものを見ますと確かに「今」というご意見にも説得力を感じざるを得ない気がしますね。

文面などからの勝手な推測でしかありませんが少しお元気になられたように感じてほっとしております。
これから寒くなってきますのでくれぐれもお身体ご自愛下さい。
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この回答へのお礼

 お気遣いいただきすみません。
 小生もだんだんと他人の悪口を言うのが増えてきました。本性が出てきました。坊主への悪口もそのうちの一つです。

お礼日時:2007/09/30 08:06

 日本などの古代から以前の祭政一致のものは、これを別にして、僧などの宗教者、宗教称するものが、王や政治の政治権力、俗権と結合したり、寵を受けたりしてきたことは、古今東西に多いし、一面避け得ないことでもある。


 しかしこれは当然に宗教というものではなくなってきた面であるといわれてもいる。
 そういうことからも、また他の回答者も書いておられるとおり、やhり、○○学会とかいう団体はもう、宗教の信仰団体というたぐいではないのではなかろうか。
 真摯に日常の精進研鑽をされておられる方々も中には当然おられるであろうが、市民としての仕方、対応においても宗教者というには、広範な概念をもってしても、無理が有る人が多いかなと、熱心なあまりとはいえ、例えば、非常に敵愾心的、排他的、暴力的であるし。宗教者は敵に広い気持ち、普遍な感情を持って対することを指導しなければ。
 日蓮上人も、まぁどの宗教も最初は激しい方が教祖ではあるが。
 そういうことを思うと、最たる状況は、この学会かなと遠く伏し拝みなが、思わざるを得ないものである。中に入ればまた違うであろうし、もっとよくわかり、理解できようが。遠く拝している限りは。素人在家としては、尊崇するには無理がある。鶴と聞くはタブーであろうが。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。、○○学会ねえ、なんともはや・・・。

お礼日時:2007/09/29 15:29

1180(治承四年)安徳朝のあたりではないでしょうか


なんといっても僧が僧兵となって寺を焼いてたくらいですから
論外です ちなみに名前は平重衡 南都東大寺・興福寺を焼きました
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この回答へのお礼

僧兵・・・これは悪だな。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/29 08:10

現在に一票ですね。


現在の仏教徒は肉食、妻帯なんでもありです。
金儲けを優先しており、墓地の建設やら、託児所の建設やらで忙しいらしいですよ。
坊主丸儲けというやつです。

極めつけは、「創価学会」でしょう。
仏教の一派を名乗っていますが、創価学会は仏教ではないと思っております。
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この回答へのお礼

坊主丸儲けというやつです。・・・おっしゃるとおりです。

お礼日時:2007/09/29 08:09

いつの時代も堕落しておりますが・・・。


迷いますね。今と言う事も出来ますし、室町という事も鎌倉と言うコトも平安と言うコトも・・・・。

ただ、昔の科学で開明できない時代は宗教に頼らざるを得ない部分がありましたからね。
それと、平安までは宗教が文化と教養の担い手でもありました。

平安時代の途中から文化と教養の担い手が宗教から外れ始めると、民衆のウケを考えて破戒僧が目立ち始めますね。
ここまでは功罪を問うのは難しいでしょう。

文化と教養からハブれた宗教は新たな道を開拓していきます。
ここからどんどん別れていった感じがしますね。

膿が爆発したのが戦国時代でしょう。
石山本願寺でも低俗な坊主がいれば、織田軍を撃退し尚且つ文化人として名を馳せた坊主も居ます。

結局のところ、仏教は日本の自然信仰を取り入れた寺が残ることが多くなりました。
民衆に迷惑をかけた過激な宗教は業火の中に消えていきました。

やはり、文化と教養の建前を持たぬ現代は簡単に堕落する土壌ではあると思います。
何しろ、己の宗教が万人に誇れるモノが無いのですから。
仏教が来ようとキリスト教が来ようと自然信仰は簡単に駆逐されなかった。
名残が残っていましたが、現代は自然信仰すら信仰されなくなってきたので堕落するには危険な時期でしょうかね。
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この回答へのお礼

 現代は一般人の教養のレベルが上がり、坊主が檀家よりレベルが低いということが起きています。いろいろな面で、余程厳しくやらないと先行き危ないですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/29 08:08

ある意味で、鎌倉新仏教の時代でしょう。



この時代、日蓮や親鸞を肇とする巨人が存在しますが、彼らのやったことは実際にはそれ以前の仏教を換骨奪胎し、牽強付会の解釈を追加したことといっていいと思います。その過程ににおいて、偽書をでっち上げることも躊躇せず、怪力乱神を語るに近いことを行っています。結果の善し悪しは別として、本来の仏教からしたら、もっとも荒れた時代がこの時代でしょうね。
それ以降はこういった破壊者があまり登場しません。
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この回答へのお礼

 「荒れた」ということではおっしゃる通りと思います。勉強になります。

お礼日時:2007/09/29 08:01

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