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実際には、人間は、霊が肉体に宿っているのではなく、肉体をたずさえた霊であるようですが、霊や魂のようなものが肉体に宿るのはいつなのでしょうか?母親のお腹の中にいたときの記憶を持つ人もいることから、魂や霊はその時点でもう宿っているのでしょうか?

また、どのようにして霊は"物"である肉体に宿るのでしょうか?

恐らく複雑な過程を経て肉体に宿るのでしょうが、もし、その過程を克服したならば、生命体ではないロボットやサイボーグのようなものにも
霊が宿り得るのでしょうか?

霊性はどのようなものにも存在するようですが、霊がどんなものにでも宿るとしたら、究極的には人体もロボットも差異はないのでしょうか?


なお、シルバーバーチの霊訓を参考にさせていただいております。
あくまで、霊が存在するとした場合の質問ですので、霊の存在を否定する回答はなるべく控えていただけるとありがたいです。

A 回答 (8件)

no.2です。



まだ質問が開かれているようでしたので、再度書き込み致します。
ガフの部屋や、宇宙の混沌から魂が来るとのお考えなのですね。
私は残念ながら魂の個体生成論支持なのです・・・。

>最終的に、人もロボットも、サイボーグも変わりないという結論に達しました。
降格機動隊とイノセンスというアニメ映画はご覧になられましたか? 
まだ未見であれば、お勧めします。
ちょっとグロテスク描写なのですが、サイボーグに宿った魂はどこから来たのか、という問いも含まれて大変面白い作品になっています。

この回答への補足

現在の科学では立証できないことであり、思想的な要素も含みますので、今回の質問に関しては、良回答を選ぶことはできませんでした。ご了承願います。

補足日時:2008/03/05 11:23
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この回答へのお礼

ゴーストインザシェルとイノセンスを拝見しました。

美輪明宏さんの諸著によりますと、霊を考えやすいように、原子の数億倍を数億回かけたぐらい小さな素子「霊子」とすると、宿るとき・宿り方:既に、という結論を得られました。
詳しい内容は、著作の侵害になりますので控えさせていただきます。

大変ありがとうござました。確かに、霊よりも遥かに実在でない、人もロボットもサイボーグも相違ありません。同じ土です。しかし、肉体は、神様が人々の成長進化に適するようにつくられたものであり、人々も長い歴史の中でそれを物的な意味でも向上させたものですから、大いに大切にしたいものです。むやみに、サイボーグに肉体を代替してしまっては、それは大変な精神的・霊的な問題を引き起こすに違いありません。私はどうも機械は好きになれません。負の波長が強い場合が多いのでしょう。人の精神的・霊的な向上とともに肉体も向上するのでしょう。

大変勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/05 11:20

霊・魂が存在するとした場合(個人的には否定しますが)


霊・魂が生命体に宿るなら(生命体の定義はおいといて)
人間と限定した場合は、生命誕生の時点だと思いますが
(この場合の生命誕生は、生を受けて生まれた時ではなく、精子と卵子が結合した時点と思います)

>霊や魂のようなものが肉体に宿るのはいつなのでしょうか?
 ・精子と卵子が結合した時点・・(母親のお腹の中にいたときの記憶を持つ人もいることから)による
>どのようにして霊は"物"である肉体に宿るのでしょうか?
 ・生命誕生と同時に存在する事になりますね・・生命誕生と同時に”ある”状態
>生命体ではないロボットやサイボーグのようなものにも霊が宿り得るのでしょうか?
 ・生命体の定義なので・・留保
 ・注:サイボーグは元々人間ですよ
>霊性はどのようなものにも存在するようですが、
 ・霊性は霊・魂に付随する物でしょうから、霊・魂がある物にしか存在しない事になります
 ・どのようなものにもとすれば、霊性と霊・魂の関連性がなくなるので・・霊・魂がなくともよくなりますから
>霊がどんなものにでも宿るとしたら、究極的には人体もロボットも差異はないのでしょうか?
 ・生命体に関する定義に絡むので・・留保


 

この回答への補足

すみません、coco1701とは関係が無いのですが、imuzak5320さんの敬称がお礼の中で抜けておりました。申し訳ありませんでした。投稿してしまった後なので、ここでお詫びいたします。つたない文章で申し訳ありませんでした。

補足日時:2008/01/20 00:32
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この回答へのお礼

丁寧な回答をありがとうございました。
自分なりに理解することができました。

最終的に、人もロボットも、サイボーグも変わりないという結論に達しました。私は、霊性の意味を取り違えていたようです。霊性はもちろん霊魂に付随するものでしょうが、仏性やアニミズムとは、本質的に同じことをさしているといっても、人間の使う言葉ですから、多少意味が変わってしまったのでしょう。霊性=法則と捕らえたほうがよいと思いました。霊界も現世も人も物も、絶対的で完璧な法則にしたがって存在する、ということだと考えます。

生命体に関してですが、所詮人間の言葉など不完全であります。霊界では、意思疎通の媒介となるものを必要とせず、言葉は存在しないようです。もちろん、人間社会におけるすべての言語は理解できますが、そんなものを使う必要が霊界では無いのでしょう。生命体という言葉も、人造の曖昧なものなのでしょう、もしかしたら、本当は、それがさすものは存在しないかもしれません。人間の思い込みという訳です。言葉には、歴史的なもの、時代的なものが必ず含まれますから、言葉自体に関する考察は、あまり意味を成さないことに気づきました。

霊魂が宿るのは「精子と卵子が結合した時点」というのは、確かに納得できます。coco1701さんの根拠のほかに、水子というものが存在するからです。ですが、宿る時期と宿り方には疑問が残ります。ただ、霊魂自体のイメージも、人間の能力では計り知れませんから、仕方ないのかもしれませんが、できる限り理解したいです。

お礼日時:2008/01/20 00:31

霊と言う実体が存在してとこかの肉体にくっついて人格が出来るとお考えなのですね?否定はしませんがそれが事実ならおぎゃーって生まれた赤ちゃんを人間社会から完全に隔絶しても霊君がきてスッと入り人格が出来あがると。


なら人間としての教育なんてほとんど無意味です。

莫大なエネルギーを注いで長い年月をかけて高等教育を受ける意味がありません。初めから全知全能の霊君が来てくれるのですから。
しかし現実はどうでしょう、人間は社会性の生き物で教育を施さなければ言葉すらしゃべれません。人間としての知性は勿論感情すら完成されませんね。人間は生まれてから周囲の影響を非常に多く受けて一歩一歩完成されていくのだと思います。

この回答への補足

私は、人格=霊魂 だとは考えておりません。
人格は人として現世で生きていくなかで育まれていくもの(影響するもの)だと思います。もちろん、霊魂は人格に対して大いに関係しているといえるとも思います。霊魂はいわゆる「過去世」「前世」のように、霊魂によっては数万回も生き返ったものもあるようです。それは、必ずしも人類が現れたときからとはいえません。人類が現れる前は、他の生物に宿っていた可能性もあります。(実際には考えにくいですが)人のみに霊魂が宿るのではなく、他の特定の生物あるいはものにも宿ることは十分あると考えます。細菌の一つ一つに魂がなくても、犬にはあるかもしれませんし、車に宿っていなくても、人形に宿る(いわゆる低級な浮遊霊)の場合もあります。また、宇宙には、地球以外にいる人のような生物に霊が宿っているそうです。そして、地球が生まれる前にも人のような霊魂が宿る対象となるものがあったようなのです。これは、今後の研究で証明される(生命体の存在する天体がある)可能性があります。
つまり、過去世として人間界に生きたことがある以上、その経験も実際は忘れているだけで、霊魂には刻まれており、人格の形成に貢献するものだと思います。
もちろん、人間としての教育が無意味だとは思いません。狼に育てられた子は狼のようである、という事実もあります。
重要なのは、現世に来る際に、あの世(霊魂の世界)の記憶をすべて消し去っているからであることです。お釈迦様は、人が生まれる際の痛みで、霊界での記憶を失うと説きました。これが必ずしも正しいとはいえませんが、霊界での記憶を失っている、あるいは忘れていることは事実であります。事実、幼児期3歳以下の人間は霊が見えたり、聞こえたりするようです。これは、まだ、人間社会に汚染されず、純粋な心・記憶が残っているためではないでしょうか。大人に霊などいない、などと否定されていては、本当に自分が間違っているように幼児は思い、洗脳されることでしょう。また、幼児は老人が好き、近づきたがる、とよく言われますが、それは、年をとり人生を経験した上で人間の汚染を克服することに成功した老人は、イコール、汚染を受けていない幼児だからでしょう、波長の法則。また、生まれる際に大声で泣くというのも、現世が苦しみ・修行・学びであり、現世に来たことを悲しんでいるから、という考え方もあるようです。記憶を失うのを恐れているのかもしれません。あまりに汚らわしい肉体に宿ることを拒絶しているのかもしれません。
記憶を忘れる・失う理由は、様々なことが考えれますが、第一に感動を味わうためだと推測されます。実際は死んでも不滅の霊が残る、もう一度生き返られる、などと考えては日常の出来事や生きる上で感動がなく、現世での修行の学びにつながりません。なお、人生の青写真はおおまかにあの世で決まっているようで、もちろん心持次第で大いに変化を起こせますが、準備された宿命をもとに、その人生での目的が設定されているようです。
また、自分の人生の目的(設定されたもの)を探し当て、それをどう克服するか、というためにも、記憶を一時的に失うことは重要です。霊界復帰後(必ずしもすべての霊魂が無条件で霊魂に戻れるとは限らない、霊の世界にも階層のようなものがある、波長の法則、地獄といわれるものもある可能性がある、因果応報法則、業の存在)は、その失っていた記憶が戻り、人生でのカルマや経験も責任を負うようです。

莫大なエネルギーを注いで長い年月をかけて高等教育を受けることは、それこそ、死んでしまえば意味を失います。霊魂が存在するため、それも魂の成長に役立つものであるといえましょう。それでこそ意味を成すというものです。

補足日時:2008/01/20 00:07
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この回答へのお礼

全知全能の霊君と、仰いますが、霊に階層があることはもちろんのこと、人体という制約を大いに受けます。人体は修行のための借宿ですから、完璧なものではなく問題が限りなく存在します。それは修行のために仕方のないことです。食べる、排泄、病気などの行為を考えれば、人間自体を神的に崇拝することに私は嫌悪を抱きます。霊がたとえ完璧なもの(森羅万象の法則に即した完全なもの)であったとしても、修行のためにわざわざ人体という不完全で不自由なものを使用するわけです。この意味で、人体が修行用に「創られた」というのには理解が可能です。霊魂が、霊界復帰後はその「霊君の全知全能」が回復する(体の制約を逃れるため)ので、知性や記憶も回復します。感情というものは、思うに、生物特有のもので、これがあるから人生で学べるといっても過言ではないと考えます。つまり、霊自体には感情のようなものはほぼ存在しないでしょう。喜怒哀楽、感動を味わい、そこから学ぶためにわざわざ、感情というものを持つ借りの宿をつかうわけです。知性といっても、人間の知性などたかが知れています。霊魂の知恵は永遠であり、森羅万象すべての事象に精通します。もちろん、人間社会においてのこともです。先ほどいったように、わざと知性も捨て、無知から一歩一歩学んでいくのです。その意味では、imuzak5320と意見が一致します。

このように考えると、やはり、霊魂は存在の肯定もできなければ否定もできません。それは、霊魂の世界が求めていることかもしれませんが。霊魂が存在すると科学的に証明されることは、先ほど述べたことと対立しますから。おそらく、完璧に証明されることはありえないのですね。でも、それではそこから学ぶべきことが無いように思います。否定できないのであれば、それを排除する理由はありません。霊魂の存在を仮定したとき、そこから何を学び、どう生きるかであると思います。


回答ありがとうございました。2000字を超えてしまったので分割させていただきました。長くなってしまい、申し訳ありませんでした。乱文をお許しください。

お礼日時:2008/01/20 00:11

霊や魂は、思いがあるからこそ存在できるのです。


あなたが忘れ去ってしまえば消えます。
目の前にあった物が無くなってしまった時でも、思い出としてココロに残っていさえすれば、魂は残ります。

思いの強さが魂や霊の存在の大きさと比例することでしょう。
お墓参りなどを欠かして、先祖への礼節を忘れてしまうと先祖の霊は消えてしまいますので、注意してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
私も思いは非常に大事なものだと考えております。
>>思いの強さが魂や霊の存在の大きさと比例することでしょう。
私も納得します。
>>お墓参りなどを欠かして、先祖への礼節を忘れてしまうと先祖の霊は消えてしまいますので
本当にその通りだと思います。氏神様への礼節も忘れないようにしたいです。

お礼日時:2008/01/19 23:17

こんにちは。


回答になるかどうかわかりませんが、
このような論がありますがいかがでしょう↓。ご参考までに。

http://www.sol.dti.ne.jp/~sam/realaim/Lifeindex. …

私は自分の経験と信仰から、このような話を信じています。(霊というよりは命とか、魂というような言葉で信じていますが。)

参考URL:http://www.sol.dti.ne.jp/~sam/realaim/Lifeindex. …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
私も個人的には「福島大学経済学部助教授 飯田史彦」さんの話を信じています。いつの日か、科学的に証明されることを願っております。

お礼日時:2008/01/19 23:14

> 適切なカテゴリが見つからなかったのですみません。



多分、教育カテの哲学辺りに投稿されると、多くの回答を得られると思いますよ。


> 母親のお腹の中...魂や霊はその時点でもう宿っているのでしょうか?

生まれた瞬間に宿る、とは考えにくいので、お腹の中のある時点で宿ると考えた方が自然でしょう。

> 生命体ではないロボットやサイボーグのようなものにも霊が宿り得るのでしょうか?

霊が宿った時点で生命体です。というつっこみはさておき。
ものにも霊が宿る例として、付喪神なんかがありますね。古いものに霊が宿る、というあれです。

> 究極的には人体もロボットも差異はないのでしょうか?

もし、霊と肉体が分離可能であるとすれば、差異はないでしょう。質問者の方は分離可能(少なくとも肉体と別に霊魂が存在する)との立場ですので、その通りだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
丁寧な回答で自分なりに理解することができました。

お礼日時:2008/01/19 23:11

霊=個人意識の集合体と仮定するなら、


意識を持った瞬間に霊が宿ると考えていいでしょうね。

つまり、どこかに漂っている霊がふいに何かに入る訳ではなく、
その固体で生成される意識そのものが霊なんだと解釈しています。

という考え方から行くと、ロボットにも意識を生成する要素があれば
霊のようなものが宿ると私は考えます。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
その固体で生成される意識そのものが霊、というのは納得いきます。
しかし、前世というものが存在することに代表されるように、固体の中で生成される前に、既に霊が存在しているものと私は思います。意識していないというのは、単に記憶が忘れ去られている(仏教で言う、生まれたときの痛みで記憶を一時的に失う)ということのように思います。

お礼日時:2007/12/09 14:01

基本的には物に対する思い入れが霊魂思想へと繋がっていると思われるため、対象物が何であれ思い入れが発生する、ということを考えると何にでも霊魂は宿ると考えればいいでしょう。



あなたが、それを「物」と認知した瞬間が、あなたにとって、霊魂が宿った瞬間ではないでしょうか。

なんにせよ、物は大切にしましょうね。。。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
どんなものにも霊魂が宿るとすれば、人の霊魂と無生物の霊魂にはどのような違いがあるのでしょうか?

お礼日時:2007/12/09 13:27

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