プロが教えるわが家の防犯対策術!

少林寺を友人がやっています。で、このまえ、議論したのですが、友人は
少林寺は社会が平和になること人が善人になることを目的とした教えをもつ団体であって、技(こう呼ぶらしい)は手段なんだと。つまり、技を教えることによって、善人がよりよい善人になっていくのだって主張しました。
僕が、けれど暴力に違いないじゃないか、って尋ねると、暴力じゃないっていいはります。襲われたときのために、身を守るときの必要最小限の素手での抵抗なんだ、と。
僕は、少林寺を知らない人がみたら人を傷つける可能性ある技をせっせと磨いてるものなのであり、正当防衛は法が認めているもので違法性がなくなるだけであって、それは違法じゃない=法には合致するだけなのであり、暴力にはかわりがないと思います。
少林寺や他の武道(もっとも友人は崇高な教えが無い他の武術は武道ではないといいますが。)は暴力ではないんでしょうか?意見お待ちしています。

A 回答 (8件)

こんにちは。


ぼくは少林寺拳法をやってます。
細かい話は置いといて、ここでは“暴力かどうか”についてだけ回答します。

基本的には「いかに無事に逃げるか」なんですよ。
まずは「間合い」・・・攻撃を受けない間合いを作ること。
これなら暴力にはなりませんよね。

で、攻撃されたら「まず受ける」これが基本です。
受けてから反撃なんです。
自分から先に手を出す技はごく稀ですね。(無いとは言いません。)

ただ、攻撃をするにしても相手が戦意喪失をしている場合や逃げようとしている場合には技が効かないようになってるんです。(そういう風に作られています。)
相手に怪我をさせるための技はありません。
急所(経絡)を攻めて、瞬間的な強い痛みで戦意を喪失させるだけです。
数分後には元に戻りますよ。
怪我をさせるのはへたくそな証拠です。
ちなみにぼくも時々、怪我させられます。(笑)

相手に痛みを与える時点で「それは既に暴力だ」と言われてしまえばそれまでですが。
でもそれだと、電車でうっかり足を踏むのも暴力と言うことになってしまいませんか?

「知らない人が見たら」とありますが、少林寺を知らない人がどう思おうと関係ないんです。
やってる私たちの問題なんですから。
少林寺(他の武道もそうだと思いますが)をやればやるほど、技の怖さがわかってきます。
ですから、意図的に相手を痛めつける時意外は暴力だとは思ってません。
暴力かどうかは使う人の気持ち次第、状況次第だと思います。

下記URLは少林寺拳法のHPです。
何かの参考になればと思います。

参考URL:http://www.shorinjikempo.or.jp/shorinji/index.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。あなたの真剣な考えがよく伝わります。
きっと哲学をもってらっしゃるんでしょうね。
ありがとうございます。
とても客観的ないい意見で参考になりました!

お礼日時:2002/09/29 23:06

>少林寺や他の武道は暴力ではないんでしょうか?



私は武道家ではありませんので一意見として。

理由はどうあれ、武道を志す方は、まず自分を磨くことになると思うんです。

自分を磨いていくうちに技を身に付けいろいろな意味で強くなっていくのだろうと思います。
その技を体得して使う側の心次第で暴力にも、生きていく為に必要な物を守る力にもなると考えています。

正義が人の数だけあることも問題なのですが

力なき正義は無力、正義なき力は暴力だと思っています。
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この回答へのお礼

反抗ではありませんが、最後の一文はあんまり意味がわかんないです。

前文は正義にもだめなのがあるってことですよね?
後文は逆にいってもよいのなら正義があれば力は暴力とはよばないってこと
 ですよね。

なんか何がいいたいのかがしっくりきませんです。
正義の定義にもよるとおもいますが。

お礼日時:2002/09/29 23:41

2年前まで少林寺拳法をやっていました。

一応2段です。
まず、どうでもいいですが細かいことを言いますと、少林寺と少林寺拳法は違います。話からして、少林寺拳法のことであると解釈します。(もちろん少林寺は修行したことも行ったこともないので…笑)


武道の件ですが、
そもそも武とは何か?というと
「武」という字は「二つの矛を止める」と書きます。だから元々は争いや戦いを止めさせることなのです。
つまり本当の武道とは技を磨くことによって、心身を鍛え、不正や悪と戦うことのできる勇気と行動力を持った人間を作る道であり、ただ勝つことや、強くなるためにやるものではないということです。(単に勝つだけが目的なら拳銃でも持ってきてズドン!!で終わりですからね。笑)
しかし、他人の争いや、悪いことを止めさせるにしても、自分が弱くては何もなりません。返り討ちにあうだけです。無法者にはルールは通用しませんから。
だから、どんな無法者を相手にしてもそれをやっつける力をもつ事が必要です。
本当の武道とは試合やケンカをして勝つことではなく、いざというときに絶対に負けないという自信を付ける事です。


少林寺拳法で言う力は悪に対して使うことが前提として教えられています。(実際そのことが理解できるまで技を教えてくれません。)

いざというとき、例えば道を歩いていたら突然、何もしていないのにチンピラに絡まれたとしましょう。その時に、相手はナイフだの何だの暴力を振るってきても自分は「暴力反対」だの言って何も抵抗しないのですか?死にますよ…。

また、少林寺拳法は「相手をやっつける技」は教えてもらえますが、「相手を殺す技」や「傷つける技」は、ありません。いわゆる「柔の拳」というやつです。

(ほんとのこと言うと、傷つける技もあるといえばありますが、4段5段といった指導者クラス?のレベルに達し、ある程度人間として、立派な拳士として認められないと教えてもらえません)

しかし、空手などの他の拳法に至っては相手を傷つける技を平気で教えるので、他の武道は武道ではないと言っているのでしょう。


もっと詳しく知りたいのなら、その友達に「少林寺の教え」のような、本があるので借りるといいでしょう。
緑色の本で、少林寺拳法「年少部読本」というのです。(←黄緑色のではありません)
一般部用の本もありますが、年少部用は中学生未満の少年拳士に向けての本なので比較的読みやすいと思います。
少林寺拳法が作られた理由から、基本的なことはすべて書いてあると思います。(技などはこの本には載ってません。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり少林寺拳法っていうのは他の武道とは違うことを教えられているようですね。
私は空手を学んでましたが、本当に傷つけることが目的ですねえ。
剣道も小さいころは、こかされてばかりいました。
貴重な意見ありがとうございます!

お礼日時:2002/09/29 23:20

良い意見がすでに出ているので補足だけです。



武術を練習すれば力をコントロールできるようになります。
まったくの素人が暴れるより、力加減が出来るようになります。
最近暴行で人を死なす事件がありますが、
「まさか死ぬとは思わなかった。」という決め台詞があります。
武術をやっていれば、組み手乱取りで怪我もすれば怪我もさせるでしょう。こういった勉強は重要だと思います。
私の高校には武道が授業にありましたし。

また、弱いよりは強いほうが良いです。単純な摂理として。
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この回答へのお礼

私もそうおもって、空手を始めました(笑)

お礼日時:2002/09/29 23:33

簡単な話です。


カーレースを公道でやれば犯罪です。
射撃場以外で銃をぶっ放せば犯罪です。
リング以外で他人を殴れば犯罪です。

道場以外で全ての武道をしても当然犯罪であり即ち暴力です。
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簡単な話です。


カーレースを公道でやれば犯罪です。
射撃場以外で銃をぶっ放せば犯罪です。
リング以外で他人を殴れば犯罪です。

道場以外で全ての武道をしても当然犯罪であり即ち暴力です。
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この回答へのお礼

犯罪かどうかの区別ですね。たしかにそうです。
皆様にお礼をいうとともに、なぜ僕が悩んでいるかをいいますと、
僕は若いとき空手や剣道を習っていて、
ある日、傷害事件をおこしてしまいました。
反省をし、逆に今度は暴力が大嫌いになり、
それいらい、暴力をふるうことはぴたっとなくなったんですが、
人を少ないであろうとも傷つける可能性あるものを嫌うようになりました。
戦争もそうですし、しつけや武道もです。
極端ですみませんが、守るためであれ、力だといまは思っています。
傷害起こしてしまったときも酔っ払って記憶がとんで、しらないうちに殴ってました。習っていなかったらそんなことはしなかったのかもしれません。
僕自身が悪いのはわかりますが、教えないほうがいいのではないかとも思ってます。現に防衛のためとはいえ、爆弾つくりや人の殺し方などは教わりませんもの。
そのような背景が僕にはありました。みなさん、貴重な意見ありがとうございました!!

お礼日時:2002/09/29 23:29

 どんな事も、それを行う人の目的一つで暴力になります。



少し極端な例ですが、分かりやすいと思いますので
挙げさせてもらうと、
「ナイフで他人の体を切るのは暴力か?」
という問いがあったとして、どう思われますか。

 答えは二つありますよねー

 酔っ払いが暴れてナイフで他人に切りかかるのと、
外科医が手術をするのとでは、意味が全然違ってくる。

 武道も同じだと思います。しかも暴力かどうかは
武道の種類によるのではなく、それを使う人間の
心の問題です。

 武道は所詮たたき合い、殴り合いだから暴力だ
という訳ではなく、かと言って少林寺だから暴力
じゃないとも一概に言えないと思います。

>襲われたときのために、身を守るときの必要最小限の素手での抵抗なんだ、と。
あなたのご友人はそう教えられているのかもしれませんが、
少林寺が有名になった理由の一つは戦争という実践で
役立ったこと。攻撃、戦闘用の技として優れている
ことは間違いないと思います。
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この回答へのお礼

最後の3文、とても貴重な意見ありがとうございます。

お礼日時:2002/09/29 23:31

武道や格闘技は「力」です。


その力を正しく使う限りは暴力とは言えません。
「暴」とはむちゃくちゃで荒々しい様を意味しますから、
「暴力」というのは力を理性で制御することなく、
むやみやたらと使うことだと考えればよいと思います。

で、力があろうが無かろうが、みんながみんなを信じられるのなら、
なんら問題はないのですが、悲しいかな世間には信じられない人も
います。こういった人たちが自分やその周辺に及ぼすであろう
危害を防ぐためには、「力」が抑止力にならざるを得ない。
そういうことじゃないんですかね。

さて、これと法律の議論はまた別です。
力は「暴」れさせないよう、理性に基づいて行使すればよいのですが、
「暴」ということに関して、みんながわかる定義づけが必要ですね。
社会が小さくて性善説が通用するようなら暗黙のルールでも
いいのですが、現代社会では法によってみんなに明示した形で、
力を行使していい場合を決めているのです。
正当防衛もその一つですし、
現行犯逮捕が警察官以外に認められている、なんてのもそうです。
我々の社会を守る力は警察であり、海上の安全を守るのは海上保安庁、
日本の国家の主権を守る力は自衛隊というわけです。
いずれも、正しく使う限りはなんら問題はありません。
誤った使い方をしたときに問題があるだけのことです。

別に少林寺だから崇高だとか、技を学んで善人になるかどうかは
これまた別の話ですね。お題目は何であれ、要は使う本人の自覚です。

こんなところでいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

すばらしいです。(笑)
みなさんすごすぎます。
真剣に教えてもらってとてもためになります!ありがとうございます!

お礼日時:2002/09/29 23:10

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