A 回答 (20件中1~10件)
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No.20
- 回答日時:
こんにちわ。
お久しぶりです。お返事読みました。
toolboxさんは、お返事で演繹がいいといわれてたので、
僕自身は、数学で言うなら、数学的帰納法や、背理法、と言うのがものすごく好きです。
分析と統合は、常に対ですし、僕自身は、両方を好きなように使う事にしてます(その分、どちらか一個に徹している人と比べると底が浅いですが)。好みの問題と思われますが。
演繹で思い出したのですが、好きな数学で、複雑系という分野では、論理的なのに還元主義が通じません。還元主義=演繹、?かどうかわからないのですが。
僕自身も、論理的なメカニズムでも、論理では解けない物がある、というのが考えの前提にあります。捉えられない、では無く、前提から導く、と言う一方方向のやり方では越えられない壁がある、と言う考えです。と言っても本当かどうかわからないので、僕は分析と統合を同時に使っていて、もちろんそれで分析だけで分析しきる事が出来るならそれにこしたことは無いんですが。スーパーコンピュータみたいな思考力は持ってないので、全体像の把握と、細かい分析をかわるがわる交替に使ってます。これでどこまでやれるか?
質問の返事じゃないですねー、これは。
演繹的にというのは、世界にある相対と絶対の分類の事ですね。
あれを分けたのは、内側の感覚として、捉えられるものは絶対、感じないとわからないものは相対、と言うアバウトさなので、
分類時の方針や規則性というものは、それくらいで、大雑把に、意識にうったえてくる、ぴぴっとくる、目の前にビジョンがはっきり浮かぶ物は絶対、と言う大まかなくくりなんです。相対のところに書いた物は、曖昧で、アバウトで、イメージしずらいもの、と言う感じです。
今一回回答した文を読んだんですが、筋道だった文か、と思ってみたら、そういう目で見ると何かいてるのかわからないですね。内面では抽象的なイメージがあるのですが、言葉にするのに困ってる感じです。=良くわかっていない、です。
無限について良いでしょうか? 以前GOOでも直感と想像力でイメージできる物と、それでも無理な物について質問したのですが、今考え中ですが、自分が何を使って無限をイメージしているか、と言う心理学的な分析はとても有効だと思っています。
たとえば空間の次元を想像するとします。前は、人間は3次元空間までイメージできると思ってたのですが、間違いでして、3次元空間までは、有限の物をイメージして、その延長線として~つまり、静止したイメージと、それが膨らんでいく、と言うイメージの変化、の2つを組合す事で、3次元空間までは想像できます。僕らが3次元空間に住んでいるので、たとえば、2次元平面なら、有限の折り紙の紙みたいなものを想像して、それが無限に拡大する、と言う風に、2つのイメージを組合す事で近似的に想像できます。その調子で、0~3次元まで出来ますが、4次元になるとこの方法が使えないです。最初の有限の近似がもう描けないからです。困ったなーと思っています。論理のみでは,数学者の人がしていますが、ダイレクトな想像力には色々規制があって、それの分析してます。人間自体の有限性に基づいたイメージと、それ以外のイメージです。かなり心理学サイドに立ち居地を変えてるつもりです。
つまり、考える時に、僕は、心理学、哲学、数学、物理、宗教、などなど、一番合うんじゃないか、と思うスタンスに自然に視点が移っています。どの分野も素人がかじった程度しか知らないのですが。
これはもしかして、釈迦に説法か? いやいや自己確認の意味もあるし・・。また書きなぐってます。と言うか、質問の趣旨とあってるのだろうか?関連はあるつもりなんですけど・・。
なんか、自分の立ち居地の説明になっています。これは・・・要するにちゃんと、答えが出るよう頑張ります。と言う話です。
>これは・・・要するにちゃんと、答えが出るよう頑張ります。と言う話です。
いえsheep67さんはよく考えておられると思いますよ。
例えばNO19の絶対的な絶対者というのは相対者を内に含むんですね。(絶対者と相対者はペアである以上いずれも相対者になりますよね。)
カン違いされている方もいらっしゃいますが真の絶対者は決して相対者を超えるものではありません。
分析とは綜合である。
これもご理解いただいていると思います。
ただ無意識が何故相対的であるのかもう少しお聞きしたかったのですが。
無限と有限に関しては新しく質問を立てますのでもし時間がありましたらよろしくくお願いします。
No.19
- 回答日時:
追加で、一つだけ思いついたので、
調べた中で気になったことの内、
絶対の絶対は、そういう視点が生み出す概念、という言い方はどうでしょうか?
自己がここにあり、その自分が絶対と相対を観察する、そのポイントでは立ち位置では、この2つしかありません。
そこから視点を移動して、今自分が立っていた立ち位置を外から見るところへ移動したときに、絶対の絶対、が生まれます。絶対と相対のペアを内包する絶対と相対、というのがあります。
相変わらず、我ながらおおざっぱです。悪い説明ではないと思うんですが。
もう知っておられるなら、あしからず、です。
この回答への補足
>>相変わらず、我ながらおおざっぱです。悪い説明ではないと思うんですが。
いえ、いえ、そのようなことはないです。
相対者を内包した絶対者という意味だと思いますが。
例えば「色即是空 空即是色」。
No.18
- 回答日時:
補足の文を読んで、いろいろ調べました。
極めて厳密に考えておられるんですね。
僕自身は、分析ではなく、トータルとしての生活の把握の実感の中での絶対と相対と直観、という視点なので、答えが勘違いだったかも。
切り口が違うみたいです。
お急ぎのようなので、答えが見つかるといいですね。
厳密な定義づけについては、そろそろ考えようかなーと思ってたので、補足も参考にして、あとあと何か分かればいいのですが。またその時に意見を交換できればいいなと思うんですがー。
この回答への補足
事物の知り方には二つの方法がある。
一つは事物を外から見ることであり、他方は事物を内から知ることである。
前者は分析であり後者は直観である。
分析とは対象を全体的に知ろうとするのではなく要素に分割して認識することである。
つまり本来唯一不可分の事物の周囲に次々に視点をとってそれを何らかの符号によって表現しようとするものである。
故に分析は事物に事物に対する視点の数を無際限にふやしつつその周囲を回り続け・・・疲れた。
もし私がsheep67さんの言いたいことを絶対的に知ろうとしたら私とsheep67さんの精神がピッタリと重ならない限りは無理でしょう。
それが内から知るということですよ。
しかしそんなことは不可能だから言葉が厳密になってゆくということです。
No.17
- 回答日時:
さらに補足です。
絶対と相対、そして現実の意味です。
例えばテクノ依存症でパソコンから離れられないとします。
この場合、パソコン依存というと、それは意識的で、意志を感じ、絶対です。
パソコンへの逃避、というと、それは無意識的で、相対です。
2つがあるということは、単純に、人は、意識だけでの生き物でも、無意識だけでの生き物でもないということになります。
同じ人という生き物の、意識的=絶対的な面と、無意識的=相対的な面は、視点の置き方で両立している、という仕組みです。
絶対は、意志、意識。相対は、自然、無意識、とも言えると思います。
直観の機能は、直観といっても、それは、主体である人間の道具であり、恣意的に、道具として使うものなので、それは、論理や意識と同じく、相対を把握できない、ということはここまで変わらないです。
そもそも人が存在している、と思うこと自体、ある種の絶対化だからです。
こういう風に偉そうにものを言うのも、真実は分かったことと分かってないことが混ざっている現実の、知っている面だけを書いている=相対の絶対化、といえます。乱文でごめんなさい。
この回答への補足
sheep67さん、せっかくだからここのカテゴリーで次のような質問を立てられたら如何でしょう?
無限(無際限)と実無限(無際限に対する無限)の区別、そして実無限と直観との関係。
絶対と絶対者の区別、及び相対的な絶対者と絶対的な絶対者に違いについて。
少しはスッキリするかも知れませよ。
No.16
- 回答日時:
ごめんなさい、さらにまだ忘れてました。
絶対~カリスマ、ブランド、アイドル、厳格な父親、意識する、依存など。
相対~人が実は対等で同じであること、アイドルも同じ人であることを感じること。母親。無意識に感じること、理想、希望、逃避など。
相対と絶対の一致点が、現実、と考えています。
人や物への適応の例を忘れてました。
絶対は実は相対であり、相対からまた絶対が生まれ、2つの連係プレーが大事と思います。
人が、直観と把握と、集中力をかけられるのは、それを把握してるから、絶対だからです。このとき相対も~~無限数列でも何でも、近似で一時的に絶対化して、把握の対象として考えてるみたいです。どんな数学者でも天才でも相対をダイレクトに把握できる人はいないと思うので。
この場を書いて自分の考えを整理してみたです・・
この回答への補足
私は先に無限(無際限)ではなく実務現(無際限に対立する無限、完結した無限)と説明しています。
完結した無限は符号による表現は不可能で直観を得る以外に把握する方法がありません。
当たり前といえば当たり前の話ですが。
No.15
- 回答日時:
ご存じということはないですが、参考までに僕の分類です。
絶対⇔相対
具体⇔抽象
把握⇔体感
有限⇔無限
地⇔天
上の式の左辺は左辺で同じ、右辺は右辺で同じカテゴリーだと僕が思うものです。適当に書いてるわけではないですが。
こう分類したときに、直観が把握できる対象は絶対の方、左辺のみになります。(相対、抽象、体感、無限を人は把握できません)
物理学はいつも相対化と絶対化を繰り返しながら、全体としては相対化の歴史を続けてますが。
直観が把握できないものー近似でない次元世界ー大きさのない点、長さに果てのない2次元などは、近似では理解できますが、性格にイメージは直観でもできないです。
4次以上の空間、5次以上の時空間は、近似を使ってもイメージできません。空間で4次元以上、時間では、今現在のこの瞬間が、全くできません。
無限ーがイメージできないのはご存じと思いますー無限操作の必要な概念ー極限の概念なども直感で分かるのは近似のモデルー具体化そのものです。
あと一つあるのは、認識の次元、といってもいい物で、
http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/ar …
こちらの婦人と老婆の絵は有名です。人の直観では、この2枚の絵が重なった構図になってる絵を、同時に把握できません。老婆だ、と思ってるときに、同時に婦人だ、とは思えません。2つが同じものであることは明らかなのですが。これも直観の限界と思ってます。
大事な話が抜けてますね。つまり、直観が認識できるのは絶対だけ、ということです。僕の中だけの話ですが。
参考URL:http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/ar …
この回答への補足
我々が符号で表現する世界が無際限なわけですから直観で無際限を把握できないのは当たり前です。
(この場合の無限は無際限としての無限であって実無限ではありませんよ。)
No.14
- 回答日時:
補足ありがとうございました。
福居純の『スピノザ『エチカ』の研究』を読まなくちゃ、とこのところ思っていたので、てっきりスピノザの読解だと思っていました。
ただ、
> 事物それ自体の中に身を置き、
というのはベルクソン的直観といえると思うのですが
> 全体の無媒介的な把握の方法が対置されることになる。
この定義は、ベルクソン、あるいはスピノザのみならず、広く直観一般に当てはまるように思います(ただし、カントの「直観」は除きます)。
無媒介的であるがゆえに、対象をそれ自体として認識することが可能であるもの、それゆえに絶対的なものである、というのが、かなり幅広い意味を持つ「直観」の理解としては、はずれてはいないかと思います。
> 日本語の直観について
いったいどういうことを考察なさっているのかはわかりませんが、わたしはこの点に関してこれ以上のことを言うことはできません。
ご研究が実りの多いものでありますように。
ghostbusterさんの解説は似非専門家やインチキ経験者と違ってストレス無く読めるので好きです。
(お世辞ではないですよ。)
No.13
- 回答日時:
絶対とされているものに「光速度不変」と「時間は不可逆」がありますね。
これは誰が、どんな理由で、どこで観測しても反証可能性を有しているから。相対性は時間や距離の物差しにしている光でさえ常識とか固定観念の範疇を越えると止まったり、後戻りもするということをアインシュタインは発見したんですね。直観で?
直観は観測のデーターが揃わなくても一部の性格だけを取り出して好き勝手に補充したり、関係つけるということがあります。科学者の思想実験が直観だとしたら無駄であるどころか有用な場合が多かったのではないでしょうか。
これは絶対の真理に対して越権行為となるのですが、真理がある秩序で絶対であるにしても、目的を定めず移行し続けるのに対して、直観は現実より目的が先行して表象されて無数の可能性から選別して唯一の現実にへと(都合良く)処理する。逆行して働くものなのかもしれません。
ほぼ直観ですので反証可能性の多くは謎として残していますけれど。
No.12
- 回答日時:
直観というのは、一部、超越イマジネーションの事を言うのだと思います。
超越イマジネーションというのは、いわゆる形而上世界のこと、それはある種の極まった見方ですが、平たく言えば、言葉になる前の元素、無形を直観するという類のものです。
(美術的に例えるならば、見えるものを、光と、空間と、透明感と、合わせた見え方である精彩、それらが分化した孫である色彩、空間に伴って映像的に浮き上がり、彫り込まれる次第に形を具象化するサーフェイスと内部の形、そのような抽象からの造形作用の始まりに見られる、抽象の極地へのアプローチの仕方が、一部の直観であると思います。)
絶対について。
絶対というのは、それが何ものにも規定されえないものであるということを意味するのだと思います。
直観には何がしか透徹したもの、間を省く性質があって、その本領は、規定されている、規定されていない、絶対か、相対か、などと言った思考分別からは飛躍した場所にあります。(絶対と言うものが、思考によって規定されえるのであれば、それは、絶対ではなく、思考の及ぶ絶対であり、思考に規定されえた一種の概念に過ぎません。)
直観は絶対的なものを把握しようと努めるわけではなく、ただ、直観的に作用するというだけで、ここに、ある人に、絶対的なものを意志するところがあったとして、その人が直観的に絶対的なものを求めたとするならば、その人は、しばらくして、絶対を知るのに、直観を以ってする必要はないであろうという諦観に至るだろうと思います。
というのも、絶対が、分別無用、知己一体であり、特に何かの作用(直観や思考、あるいは感覚や感情)によらずに生じえる、主体的知であり、何かに規定された自己によらない、普遍的な、見えることの頂と言えるようなものであるからではないでしょうか。
No.11
- 回答日時:
補足欄拝見しました。
まさにその通りです。
おそらく福居さんがおっしゃっておられる「直観」というのは、スピノザの「直観知」のことだと思うんですが(よろしければ出典をご教示ください)、ここまでスピノザの直観知(認識の第三種)がベルクソンに近いとは知りませんでした。
ありがとうございました。
この回答への補足
気に入った文章を書きとめておいたもので、哲学用語の解説本か何かだったと思います。
多分、哲学者の名前は出てませんでしたがベルグソンを基本にして説明されておられたと思います。
さらに付け加えて置きます。
分析とは即ち綜合であるという事実を示すものであるが、分析を以って綜合しようとする全体は事物のそれ自身において完結した全体ではなく、尚一つの部分にすぎない。そこで、部分を以って全体に統一するのではなく、全体の無媒介的な把握の方法が対置されることになる。それが直観である。
<福居 純>
intuitionではなく日本語の直観について調べているのですが資料がなかなかないので困っています。
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