No.1ベストアンサー
- 回答日時:
すいません。
わたし、あんまりフライも知らないんですよ(笑)。まあそれでもちょっと本を探してみました。
フライの『批評の途』という邦訳があるんですが、その訳者あとがきに「彼の代表作は、ブレイクを論じた『恐るべき均整』(一九四七)と『批評の解剖』(一九五七)である」とあります。ご質問の"Fearful Symmetry"はまさにこの『恐るべき均整』であると思うんですが、ここでいかにも邦訳がありげに(笑)日本語で書いてある。とはいえ、これは原題がウィリアム・ブレイクの " The Tyger " から来ていることを考えると、詩の「定訳」なのかもしれません。この本が出版された1974年当時は、もしかしたら何らかのかたちで翻訳があった可能性は否定できませんが、翻訳書という形にはなっていないようです。
『批評の解剖』は有名な本で、いまでもフライといえば、何を置いても同書をあげることになるでしょうが、それに比べて『恐るべき均整』の方は、同じ「代表作」といっても日本では今日その翻訳を読むこともできません。それはなぜか。この理由はなんとなく見当がつくんですね。
これはウィリアム・ブレイクの詩を論じたものであるということ。
ひとつにはブレイクがあまり日本で知られていないということがあります。
さらに、フライは『批評の途』のなかでも言ってるんですが、文学外的なアプローチを「文学を何かの記録文書と見なす」として退け、詩の言語と形式を詩の意味の基礎におきます。
その上でこのように述べます。
「詩の詩的形式こそ、その意味の第一義的な基礎であるということを受けいれた後で、その次になすべきことは、詩のコンテクストを文学自体のなかに求めるということは、わたしには当然のことと思われました。そして言うまでもなく、一篇の詩にとって最も明白な文学的コンテクストは、その作者の全作品です。」(P.22)
このとき、分析の対象となる詩の言語は、やはり翻訳してしまっては意味をなさないように思うのです。
さて、ブレイクを分析しながらフライは何を見いだしていったか。
もう少し『批評の途』から引きます。
----(p.22-23)---
われわれはすぐに、どの詩人も彼なりに特有の心象(イメジャリー)の構造をもっていることを知るようになります。これはふつう彼の最初期の作品にさえあらわれ、本質的に変わることはないし、変わることのできないものです。詩をその作者の全「精神風景」のなかに置いてみるという、この大きい詩のコンテクストの見方は、すべての最も優れたエクスプリカシオン(解釈)において前提条件になっています――たとえば、スピッツァーにおいて。わたしはブレイクについて研究しながらその重要性をさとるようになったのは、ブレイク独特の象徴的な名前などが、詩的心象を築きあげる真の構造になっていること、そして「体系」という言葉を彼が使っているにもかかわらず、管理者がコンピューターに縛られているようにブレイクが縛られていた体系などが問題ではないことを理解したときでした。
しかし、心象の構造は、その研究を進めるにつれ、他の詩人の構造との類似性をますます多く示すようになります。ブレイクはつねに「個人的象徴」をその胸のうちに封じこめた詩人と見られてきましたが、こういうブレイク観はまったく根拠のないものでした。…
わたしは特に三つの結論に導かれました。第一は個人的象徴というようなものは存在しないこと。…
第二に、…あらゆる詩人はめいめい自己の心象の構造を持っています。が、その細部は、すべての他の詩人のそれと実によく似ています。
第三に、この類似的な構造のパターンを最後まで追求していくと、それは各詩人の個性をかきけす相似性ではなく、個性を確認する自己同一性へ通じていることが判ります。
----
こうやって見ていると、ブレイクの批評そのものはわからなくても、フライがどういうことをやったかはあるていど想像がつきます。そしてまたこの相似性と自己同一性を対照させていくということは、かの膨大な『批評の解剖』のなかでフライがやろうとしたことでもある。
そういうふうに考えると、この講演録『批評の途』はそのような役目を果たしていたと考えることもできます(いや、現物を読んだことがないので、あくまでも想像です)。
> このフライの著作に対する批評ないし論文
Robert Scholes の "Structuralism in Literature; An Introduction" では、フライを構造主義詩学の先駆的業績と位置づけて検討されているのですが、ここで扱われているのは『批評の解剖』での様式論で、確か" Fearful Symmetry "への言及はなかったような気がします。
ご質問に該当する著作となると、わたしにはよくわからないのですが、かのHarold Bloomのwikipedia には、
http://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Bloom
ブルームはフライを自分の先行者と位置づけ、" Fearful Symmetry "に心を奪われた、自分の「父」はケネス・バークではなくフライである、という記述がみられます( Early careerの項)。それを考えると、おそらく"Blake's Apocalypse: A Study in Poetic Argument"のあたりにはフライへの言及もあるのではないかと思います。
wikipedia からの情報なんて、もうすでにごぞんじですよね。
あまり役に立たない情報で申し訳ないのですが。
あと、先の(結構いいかげんな)回答で、購入を見合わされた旨、おっしゃっておられましたが、わたしはだんだん、もしかしたらわりとおもしろいかも、という気がしてきています(笑)。
ひとつには、カフカというのは従来ユダヤ系文学者という文脈にはあまり置かれてこなかったですよね。けれど、ブルームという人は、ニューヨークのブロンクスにユダヤ系アメリカ人として生まれ、その「批評行為を動機づけているものは、エリオット流の西洋文化の正統の「伝統」ではなく、ユダヤのカバラ的口承伝統である」(『現代の批評理論』)とある。わたしはブルーム、読んだことないから、いい加減なことを書いてるんですが(笑)、どうも英米批評家からみてもその「カバラ的な聖典の秘教的解釈体系をもとに詩の歴史を書き変えようとした」試みは「なぜこの種のものを必要とするのかどうにも理解できないところがある」らしいのです。
で、もし、こういうものだったら、ちょっとパスしたいとは思うのですが、そういう観点からカフカを読み直すとどうなるんだろう、という興味は、ちょっとあります(ここらへん、全体に最近わたしはあまり興味がなくなってきているので、実際に読むかどうかはわかりません)。
この回答への補足
(先に「お礼」の方をご覧ください)
>カフカというのは従来ユダヤ系文学者という文脈にはあまり置かれてこなかったですよね。
いえ、そんなことはないと思います。
"Kafka und die Kabbala"という本がありまして、『カフカとカバラ』というタイトルで、あの法政大学出版局から翻訳も出ています。
ドイツのウィキペディアでは、
http://de.wikipedia.org/wiki/Franz_Kafka#Interpr …
Franz Kafka のページの、 Interpretationの項目に、
「カフカ作品の解釈における一つの重要な問題は、ユダヤ教およびユダヤ文化の作品に対する影響という問題であるが、この問いは、現代のカバラ研究の大御所ゲルショム・ショーレムによってすでに答えられた。すなわち、カフカは、ドイツ文学史というよりも、ユダヤ文学史に分類されるべきである、と。この解釈上の示唆は、カール・エーリヒ・グレーツィンガー『カフカとカバラ』に広範囲にわたって取り入れられている」
と説明があります。ですから、少なくともここ20年くらいは、すでにカフカとユダヤ教という観点からの研究がなされていると考えられます。
その意味では、ghostbusterさんの
>その「批評行為を動機づけているものは、エリオット流の西洋文化の正統の「伝統」ではなく、ユダヤのカバラ的口承伝統である」(『現代の批評理論』)
という引用は、とても面白いと思います。
しかし、ブルームは編纂者のようですから、彼自身がカフカ解釈を書いているのかどうかも、あの本を手にとっていないからわかりませんね(^^;
ところで、前回は早く締め切りすぎたかもしれませんね。
日本にも数多くのカフカ愛読者がいるので、
もしかしたら他にもリアクションがないかと期待し、
後一週間くらい、こちらは開けておこうかと思います。
ghostbusterさん
お忙しいなか、再度のご回答ありがとうございました。
>すいません。わたし、あんまりフライも知らないんですよ(笑)。
そうでしたか…
今日はお酒をけっこう飲んできたせいか、
フライという文字が美味しく見えます(笑)
>「彼の代表作は、ブレイクを論じた『恐るべき均整』(一九四七)と『批評の解剖』(一九五七)である」
やはり、そうですね。
>ひとつにはブレイクがあまり日本で知られていないということがあります。
柳宗悦も、大江氏も、きっと嘆くことでしょうね(^^;
岩波文庫にも『対訳・ブレイク詩集』が入っているのですから、それくらい読んでおいて損はないと思うんですが、残念なことです。
わたしは、その岩波文庫の「虎よ、虎よ、輝き燃える…」でブレイクにはまりました。
>Robert Scholes の "Structuralism in Literature; An Introduction" では、フライを構造主義詩学の先駆的業績と位置づけて検討されているのですが、ここで扱われているのは『批評の解剖』
これは、イーグルトン『文学とは何か』の「構造主義と記号論」におけるフライについての記述と同様である、というように、とりあえず理解しました。
(文字制限のため、後半は補足の方に記入します)
No.2
- 回答日時:
おはようございます。
中身の薄いゆるーい回答です。
前回にわたしが書いたこの部分
>>ひとつにはブレイクがあまり日本で知られていないということがあります。
すいません、雑でしたね。
ノースロップ・フライ(アクセントは「ラ」)でも読もうかというような人は、ブレイクを知らないはずがない、逆にまたブレイクさえ知らない人は、ましてフライなど読まない(笑)。
フライの著作を多く出版しているかの法政大学出版会など、根本的に「供給は需要を作りだす」という発想で本を出しているのではあるまいかとわたしは密かに思っているのですが、この本にしても翻訳を出してないほうが不思議に思えます(いや、ホント、大変お世話になってます)。たとえ、冬のオホーツク海に浮かぶ流氷のごとくに英単語に覆われた翻訳であったにしても、フライ自身の文章は厳密だけれど、非常に理路整然と見通しのよいものですから(カバラ的秘教的なものではなく)、翻訳の不可能性に挑戦するようなものではないと思うので、やっぱりそこらへんの事情はよくわかりません。
『世俗の聖典』には「若い頃に始まったブレイクへの傾倒は、二つの方向に拡がりを見せていた。一つの方向はミルトンを経由して、わたしを聖書への研究に向かわせた(※『大いなる体系』と本文註解にあるんですが『力に満ちた言葉』もその系列でしょう)。…もう一つの方向は、ブレイクを特に二人の作家、ともに感傷ロマンスの作家であるスペンサーとウィリアム・モリスに結びつける方向である。」とあります。
後半の方は何のことを直接には指しているのかよくわからないのですが、" A Study of English Romanticism " あたりかもしれませんし、註解がないところを見ても翻訳はされていないのかもしれない。どうもここらへんの事情はちょっとわかりません。すいません。
ただ、前回の回答で上のようなことを書いたのは、ボードレールやランボー、あるいはヴェルレーヌのように、日本人全体に広く親しまれるような詩人ではなかった、という印象が頭にあったんです。
先日、赤塚不二雄のマンガ『おそ松くん』を読んでたら、登場人物のひとりイヤミが「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ、リンゴの芯も流れるよ」と歌ってるんですね。おお、アポリネールがこんなところに! とびっくりしたんですが、そのマンガが描かれた1960年代はまだ、ある種の西洋の翻訳詩は、啄木の歌や萩原朔太郎や宮沢賢治の詩などと同じように、ふとしたときに口ずさめるほど、だれにとってもなじみの深いものだったのかもしれません。
それにくらべると、ブレイクは柳宗悦の手によって『白樺』などで大正時代にはすでに紹介されていたにもかかわらず、そこまで人口に膾炙されたものではないような印象を持っています。
もちろん、ブレイクの詩世界が、単純な理解を拒む側面があることは確かです。
けれど、それだけではなく、フランスの詩人が日本で親しまれたのは、堀口大學や日夏耿之介など、自らもまた詩人であった人々の功績も大きかったのだろうと思います。それこそ朔太郎が「ふらんすへ行きたしと思へども」とうたった「ふらんす」は、大學の描き出した「ふらんす」だったんだと思うんです。
konstellationさんは窪田般彌の『一切合財みな煙』(河出書房新社)はお読みですか。
この本、すごくおもしろかったんだけど、このなかに「訳詩に魅せられた詩人たち」として、詩の翻訳にたずさわった人々のことが描かれてあったのですが(手元に本がないので、あやふやな記憶を元に書いています)、彼らは自分の「創作」として翻訳に取り組んでいった、みたいなことが書いてあった。
岩波文庫の『対訳 ブレイク詩集』はわたしも持ってます。これは松島正一さんの訳がついてますが、あくまでもやはり英詩そのものを味わうことが重点に置かれている本ですよね。詩人の「創作」ではなく、あくまでも翻訳者は黒子、脇役に徹そうとしているように思われます。
堀口大學や日夏耿之介の訳は、もちろん文語体の口調の良さということもあるし、日本には朗読の伝統もまだ残っていた。単純な比較はできないのだけれど、そんな時代の産物として、「巷に雨の降る如く われの心に涙ふる」もあったのだろう。それを思うと、いまのわたしたちが同じようにブレイクを口ずさむ、という情況は、少し想像しにくい。
それでも「虎よ、虎よ、輝き燃える / 夜の森のなかで…」なんて、暗い夜なんかにふっと口ずさんでみたら、自分の身体の奥深いところで血がざわざわしそうです。この「血のざわざわ」はどれほど英語になじんだとしても、母語でない言葉からは生まれないものなのかなあ、と思ったりもします。
もちろんマザー・グースやドクター・スースみたいな子供向けの詩は、意味なんてわからなくても発音するだけで口のあたりが生理的な快感を覚えるんですが、そういう詩は別として、やっぱり詩といえど、日本語で読みたい、もっと深いところで自分のものにしたい、という思いはあります。それも単にわたしの語学力の欠如ゆえかもしれませんが(笑)。
おっとずいぶん無駄話になっちゃいました。
> これは、イーグルトン『文学とは何か』の「構造主義と記号論」におけるフライについての記述と同様である、というように、とりあえず理解しました。
細かく言い出すときりがない、こんな分類、昔はこういうことがおもしろいと思った時期もあったんですが、いまはあまりおもしろいとも思わないのでさらっといきます(笑)。
ポイントは同書のp.148 「構造主義には、フライの中にはぜったいに見いだせない、一つの顕著な原則がふくまれている。それは、いかなるシステムであれその個々の構成単位は、他の構成単位との関係のなかではじめて意味を帯びるという考え方だ」という部分です。
ここも非常にすっきりとまとまっていて、ほんと、イーグルトンってクリーニング屋みたいな人だ(ぐしゃぐしゃのまま出しても、きちんと分類分けされてプレスされてついでに少し縮んで戻ってくる)、といつも思っちゃうんですが、確かにフライが詩の「構造」を取り出していくのは、critical path を見つけるためなんですね。
この『批評の途』の原題でもある critical path というのは、同書の「訳者あとがき」によると、「経営管理の専門用語」で、「作業開始から終了までの時間が最も長い工程経路をクリティカル・パス(問題の経路)といい、このパスの部分にあたる作業をクリティカル作業と呼んでいる。工事の工程管理を行なう場合、まずこのクリティカル・パスを発見し、このパスの部分にあたる作業を短縮すれば、作業日程が短縮できるわけである」と引用がなされているのですが、フライの読解というのは、この「クリティカル・パスを発見」していくものなんです。
となると、この作業の目的が問題になってくる。つまり構造の向こうには「実体」が想定されている。それはこういうところに見て取ることができるでしょう。
----『批評の途』p.199
だからわれわれは、客観的真理はプラトンの形相の世界や、キリスト教的な、堕落以前の、賢人や善人が住まう世界に存在するという根拠にもとづいて、芸術や科学の自律性を認めることはできません。客観的真理が存在することは信じられます。しかし、じっさいには、それは見えるでかいではなくて、それによって見る世界なのです。到達すべき客観的目標というよりは、むしろ内面的な形成力です。まさにこの理由のために、芸術の自由、とくに文学の自由が、自由の神話の本質的な部分を構成するのです。
-----
これは確かに「宗教的ヴィジョンの改訂版としての文学観を、私たちへと差し出したことになる」(イーグルトン)ということにもなるのかとも思うのですが、一方で、そう言い切ってしまってもいいのかな、とも思う。だからこそ、フライはスコールズなんかよりも、今後もなお読み継がれていくのかもしれません。
>『カフカとカバラ』というタイトルで、あの法政大学出版局から翻訳も出ています。
教えてくださってありがとうございました。
ここでわたしの頭にあったのはブランショとバタイユで、あとカフカの評論というとサロートぐらいしか読んでない(笑)。先の発言はそういう無知なわたしの発言でございます。勉強になりました。
> 少なくともここ20年くらいは、すでにカフカとユダヤ教という観点からの研究がなされていると考えられます。
少なくともここ20年くらいは、情報の更新が滞っていたということですね(笑)。よくわかりました。『カフカとカバラ』も見てみたいと思います。そのまえに「カバラって何?」というところを押さえておかなきゃならないんですが(前の回答では、知りもせずに書いておりました)。
ご紹介どうもありがとうございました。
>ノースロップ・フライ(アクセントは「ラ」)
ツッコミありがとうございます!
日本語の「フライ」とはアクセントが違いますね(笑)
>赤塚不二雄のマンガ『おそ松くん』
正確には「赤塚不二夫」らしいです。
名前だけ見るとピンときませんが、バカボンの作者なんですね。
>大學の描き出した「ふらんす」
そっちの世界にもぜひ行ってみたいですね。
わたしは二度パリに行きましたが、
あそこは実際に詩や芸術が似合う都市だと思います。
ボードレールなんかとはまったく違うものの、ブレイクには、
「妻に私が望むものは
娼婦の中に常に見出されるもの―
満たされた欲望の表情」
(ブロノフスキー『ブレイク 革命の時代の預言者』から引用)
などという詩句もありますが、難解な詩と絵画の背後にしばしば感性的(官能的)なものが見えるので、ブレイクもけっこう面白い芸術家だと思っております。
>窪田般彌の『一切合財みな煙』(河出書房新社)はお読みですか。
いえ、なんかしら翻訳は読んだことがあると思いますが、この本は今回初めて知りました。
>細かく言い出すときりがない
ghostbusterさんによりますと、Robert Scholes は、「フライを構造主義詩学の先駆的業績と位置づけて」おり、「ここで扱われているのは『批評の解剖』」ということでした。
他方、クリーニング屋イーグルトンは、たしかに、「フライの批評は、広義の構造主義批評である」と述べているが、構造主義とフライの批評には決定的な違いがある。それが「同書のp.148」以下の説明にある、ということですね。
よくわかりました。
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